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「五輪貢献『東京で叶えば。』 幻のモスクワ代表、苦悩今も」(10月24日付け東京新聞[夕刊])
日本や米国等が当時のソ連によるアフガニスタン侵攻に抗議して、ボイコットした1980年モスクワ五輪の「幻の日本代表」の多くが、今も苦悩や葛藤を抱えている事が、日本スポーツ学会の最近の調査で浮き彫りになった。アンケートでは82%が「ボイコットすべきでは無かった。」と回答。元選手の間では、40年の節目となる2020年東京五輪の開会式や聖火リレー等で改めて「スポーツと平和の価値」を訴える機会を模索する動きが出ている。
怒りに震えた日は忘れない。東京都内で10日に開かれたシンポジウムで、モスクワ五輪代表だった日本レスリング協会の高田裕司 専務理事(63歳)は「国の為に日の丸を揚げる思いが昔は強かったが、馬鹿馬鹿しくなった。」と回想した。涙の訴えも届かず「男の癖に泣くな。」と苦情電話を受けた。「次の(1984年)ロサンゼルス大会で金メダルを取ったら、首から外してぶん投げ様と思っていた。銅だったから、遣らなかったけど。」と打ち明けた。
同学会によると、モスクワ五輪に選ばれたのは178人(馬術の候補選手含む。)。所在が判明した92人に質問書を送付し、9日迄に61人から回答を得た。今も大きな傷として残るのは「五輪代表と言っても、必ず“幻”が付くので、堂々と代表と言って良いのか。」(水泳選手)という思いだ。
米国では、当時のカーター大統領がホワイト・ハウスに選手を招待し、経緯を説明したと言う。だが、日本は認定証とバッジが配布された程度。レスリング男子の太田章氏(60歳)は、「国内では五輪代表と認定してくれたが、国際的には認定して貰えていない。御揃いのユニホームも、1着も無い。聖火リレーで、東京五輪に参加出来れば。」と訴える。
英国、フランス等は政治の圧力に屈せず、参加を決めた一方、日本は「スポーツの独立」を守れなかった。モスクワの教訓から、日本オリンピック委員会(JOC)は日本体協から独立し、組織と財政面で自立の道を選んだ。だが、2020年五輪に向けてもスポーツ界の存在感は依然乏しく、スポーツ庁の設置等で、政治主導は強まる。馬術の選手だったJOCの竹田恒和会長(69歳)は、モスクワ五輪出場の夢を絶たれ、引退を決意した1人。「五輪を奪われたモスクワ代表同士で、何が出来るか。皆で五輪を応援して貰う形に繋がれば、意義が在る。」と話した。
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1980年のモスクワ・オリンピックと言えば、大会マスコットの小熊の「ミーシャ」、当時のソ連のレオニード・ブレジネフ書記長の太い眉毛、そして、幻の日本代表となった選手達の涙が忘れられない。「“政治ゲーム”に振り回され、本当に気の毒だなあ。」と、当時思ったもの。
彼等が悔し涙を流すのは、とても理解出来た。「心身共に最高の状態に持って行き、何とかメダルと獲得したい。」と思っていた彼等にとって、“花の舞台”が突然奪われ、「4年後を目指しなさい。」というのは余りにも酷な事だから。伸び盛りの年齢の選手で在っても、4年後にどうなっているかなんて全く判らないし、況やそうじゃ無い選手ならば、4年後に出場出来るかどうかはとても危うい事だから。其れだけ、4年という時間は長い。
そういう事を考えずに、「男の癖に泣くな。」なんぞと、苦情電話を態々掛ける人の気持ちが理解出来ない。「御国が命じた事には、一切歯向かってはならない。」という思考なのだろうか。
モスクワ・オリンピックのボイコットから37年経つが、“幻の日本代表”となった選手達の多くは、心の傷が癒えていないのだ。
オリンピック選手だからといってなぜ特別視するのでしょう。彼らが常人ではない能力をそなえ、血のにじむ努力をしているのは判ります。
でも、そんなことは市井の普通の人もやってます。働いて金を得るのは一朝一石ではできません。私は、本業は長年、製造現場で働いてきました。現場の職人さんたちは職種によってはものすごい修練が必要なモノもあります。その職人さんたちの苦労と修練はオリンピック選手にも優るとも劣らないものです。
オリンピックに出れないと泣いたご仁がいたとか。長年働いてると、思うどおりにならないことが多々あります。私はリストラされた経験があります。そのくやしさは、余人には想像できないでしょう。オリンピックに出れないからといって食うには困らないでしょう。リストラされると食うにこまるのです。なぜオリンピック選手だからといって特別視するのか不思議です。
自分は元記事を読んだ際、雫石様とは違う捉え方をしました。確かに取り上げているのは元オリンピック選手達ですが、日本レスリング協会の高田裕司専務理事が口にした「国の為に日の丸を揚げる思いが昔は強かったが、馬鹿馬鹿しくなった。」、「次の(1984年)ロサンゼルス大会で金メダルを取ったら、首から外してぶん投げ様と思っていた。銅だったから、遣らなかったけど。」というのが、此の記事の肝ではないかと。どういう事かと言えば、「大きな組織という物は、時に人をちやほや持ち上げるけれど、不都合な状況になると、平然と切り捨てる。だから、大きな組織を過信し、依存し過ぎると、裏切られた時のショックは半端じゃ無いから、留意した方が良い。」というのを、自分は感じました。今回の場合、「大きな組織=国」という事になりますが、人によっては「企業」で在ったりするでしょうね。飽く迄も、自分の場合はそう感じただけで、雫石様の様な捉え方も在ると思います。