今月、私立の麻布中学校で行われた入学試験の理科で出題された或る問題が、ネット上で大きな話題になっているのだとか。2月12日付け東京新聞(朝刊)で取り上げられていたので、今日は其れを紹介する。
*********************************
「ドラえもん 生物で無い理由は? 麻布中入試 話題の難問」(2月12日付け東京新聞【朝刊】)
<問>右図(今回の記事では、「見出し画像」に使用。)は、99年後に誕生する予定の猫型ロボット「ドラえもん」です。此の「ドラえもん」が優れた技術で作られていても、生物として認められる事は在りません。其れは何故ですか。理由を答えなさい。
「ドラえもんが生物として認められない理由は?」、私立麻布中学校(東京都港区)が今月行った入学試験の理科で、こんな趣旨の問題が出題され、インターネット上で話題になっている。受験生の小学6年生より上の年代と見られる人達が「難問」に挑戦し、問題の前提となる生物の特徴に疑義を唱える等、議論は百出。扨、貴方ならどう答える?
出題では、生物の重要な特徴として「自分と外界とを区別する境目を持つ。」、「自身が成長したり、子を作ったりする。」、「エネルギーを蓄えたり、使ったりする仕組みを持っている。」の3つを挙げ、ドラえもんが生物で無い理由を尋ねた。
複数の学習塾が公開した模範解答は、「自身の成長や生殖という、2番目の条件を満たせないから。」とする。此れに対し、ネット上では1日の入試直後から「ユニークな問題。」、「大人でも中々答えられない。」と感心する声が上がる一方、反論も噴出。ツイッターやブログ等の反応を纏めたホームページの閲覧件数は、12日時点で26万件に上っている。
ドラえもんは、ポケットから様々な秘密道具を出して不可能を可能にする。「ビッグライトを使えば大きくなれる。」、「フエルミラーで自己増殖出来る。」。「此の手の問題に利用するには、(ドラえもんは)万能過ぎる。」との声も。
更に「女王蜂と働き蜂の様に、生産担当と其れ以外に分化した種は存在する」等、設問が挙げる生物の特徴に疑義を挟んだり、生殖技術が進んだ未来を仮定して、生物の定義が揺らぐ事を検討する書き込みも在る。議論を楽しんでいる面も在る様だ。
大手塾「四谷大塚」(本部・中野区)は「前提として3つの特徴が書かれ、論理的に考えさせる出題。暗記だけで無く、頭で考えさせる。」と出題の狙いを評価する。
麻布中学校は「学校として問題の解答や意図の解説は一切しません。暗記内容を問うのでは無く、考えさせる出題は毎年しています。今回も、其の一環です。」とコメントした。
*********************************
有名中学校で実際に出題されたユニークな入試問題を、日能研が電車の車内広告として掲示しているが、目にするとついつい真剣に考えてしまう自分が居る。「日本人は暗記内容を問われる問題は得意だけれど、応用力や発想力をを問われる問題は不得手。」と良く指摘されるが、確かにそういう面は在り、だからこそ応用力や発想力を問う様なユニークな問題というのは悪くない。勿論、「採点する側も柔軟な思考を持ち、判断する上で恣意的な物を介在させない。」というのが必要だが。
今回の「ドラえもんが生物で無い理由を問う問題」、無難に考えれば「自身の成長や生殖という条件が満たせないから。」という解答を自分も記すと思う。
「生物は排泄物を出すけれど、ドラえもんは排泄物を出さない。だから、ドラえもんは生物では無い。」という解答も思い付いたけれど、「生物」という概念は「動物」だけでは無く、「植物」も含むだろうから、「生物は排泄物を出す。」という前提が不可になりそう。(「動物全てが、排泄物を出す。」というのも、果たして正しいのかどうか判らない。3年前の記事「常識を疑う」で紹介した様に、「排泄物を出さない。」というのが常識だったアリジゴクが、実は排泄物を出している事実が判明したというニュースも在ったけれど、もしかしたら排泄物を出さない動物が居るかもしれない。)
抑、「ドラえもんは排泄物を出さない。」というのが、事実かどうかも怪しい。ドラえもんの漫画は殆ど全て読んでおり、排泄シーンは無かったと記憶しているが、もしかしたら自分の思い違いかもしれないし。ドラえもんが放屁するシーンが在った様な気もしており、そうなると排泄物を出すのかも。
もし俺だったらそんな3つの中から選ばなくてもズバリと答えたると言って「ドラえもんは卵や子宮から産まれてないから生物では無いと」偉そうな事を言って後から誰かに「試験管ベビーは生物だろ」と突っ込まれて赤っ恥をかくタイプです
其の性質から、入試で「作品」を取り上げられる場合、作者(又は著者)い対して事前乃至は事後に「使用に対する許可」が求められる事は無いと聞きます。以前、自身が著した「小説」の一部を現代国語の試験に使われた作家が、「答えの選択肢の中に、自分が意図した物は無かった。」といった趣旨の発言をしていたのを記憶していますが、「試験の答え」と「作家の意図」とが異なるというのは、或る意味面白いですね。
以前にも書いた事なのですが、「ロボット」と言えば「人型ロボット」を思い浮かべる人が日本人は多いのに対して、外国人の場合は「組み立て機」の様な「作業に特化したシンプルな機械」を思い浮かべる人が多いのだとか。其の差異の大きな要因は、手塚治虫氏が創造した「鉄腕アトム」に在るのではないかと分析した人が居ました。「鉄腕アトム」の登場により、ロボットは単なる「作業機械」では無く、「感情を持った、人間の友達。」というイメージが出来上がり、其の後のドラえもん等でそういったイメージは完全に出来上がったのではないかとも。
其の一方、「介護用ロボット」等、人と密接に関わるロボットの場合、「人型ロボット」にしてしまうと、何か「奴隷に命令する主人」の様な感じがしたり、壊れた場合には「廃棄する事に強い抵抗」を感じたりするのではないかという懸念を指摘する人も居ますね。
「何等かの目的意識を持っている。」、其れが意識してで在ろうとも、又、無意識で在ろうとも、生物足り得る要素というのは納得です。