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住宅瑕疵担保責任保険:2000年に任意の制度としてスタート。2005年の「耐震偽装事件」を切っ掛けに見直しが進み、2009年が10月の新法施行で強制となった。同事件の様な故意による欠陥は、本来は保険の対象外だが、業者が倒産した場合等は救済の対象になる事“も”在る。保険料は住宅の床面積によって決定。平均額は、掛け捨てで約8万円(2回の検査料を含む。)。加入を怠った業者には、罰則規定も在る。
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2月11日付け東京新聞(朝刊)に、「住宅新築時の強制保険 ~消費者保護 名許り~」という記事が載っていた。住宅を新築する際に原則加入が義務付けられている「住宅瑕疵担保責任保険」に関し、支払いが為される為の条件が余りに厳しく、実際に支払われるケースが極めて少ない事から、「消費者救済が目的だったのに、実際には消費者の負担が増えただけ。」と、其の必要性を疑問視する声が少なくないのだとか。
住宅瑕疵担保責任保険では、加入から10年の間に建物に欠陥が見付かった場合、2千万円を限度に保険金が支払われる事になっている。保険料は業者が負担しても構わないが、其の場合には大概、販売価格に上乗せされるケースが殆どとか。
では、住宅瑕疵担保責任保険で保険金が支払われたケースは、何の位在るのか?国交省によると、法施行から昨年11月迄の3年2ヶ月間で、保険加入数は145万8,895件で在るのに対し、支払われたのは526件だけ。約2、770件に1件の割合で、平均支払額は約91万円。単純比較は出来ないけれど、火災保険の支払い割合が「数十件に1件」という事を考えると、格段に低いと言える。
支払い件数が極めて低い理由の1つに、「様々な条件が設けられている。」というのが挙げられる。「地震や津波、台風等の自然災害は免責。」、「故意や重大な過失が在った場合、支払い対象にならない。」、「地盤沈下や白蟻、鼠等のトラブルも支払い対象にならない。」等々。
一方、仮に支払われても、雨漏り等小さな修理のケースが多く、高額の保険金が支出される事は殆ど無い。抑、保険でないと賄えない様な大規模な欠陥が見付かるのは稀と言う。
「評判にも関わるので、雨漏り等は直ぐに自分達で修理するし、大きな欠陥を出す様な業者は、直ぐに淘汰されてしまう。現場を知らない人間が法律を作るから、住宅の価格が高くなってしまう。」(都内の一級建築士の男性)
「現場を知らない人間が法律を作るから、ざる法等、意味の無い法律が次々に出来上がってしまう。」というのは良く指摘される事だが、住宅瑕疵担保責任保険にもそういう側面が在りそうだ。
「欠陥の発覚時に業者が倒産しているケースも在り、セーフティー・ネットとして必要。」(住宅瑕疵担保責任保険協会)と、住宅瑕疵担保責任保険の存在意義を主張する声も在るが、新築住宅を購入する際に「こんな保険、本当に必要なの?」と建築会社に尋ねる客は少なくないそうだ。
「すまい塾古川設計室」(熊本市)代表で、一級建築士の古川保氏は、記事の最後で次の様に主張されている。
「耐震偽装事件を渡りに船として、保険会社に都合の良い制度を作られてしまった。一概に保険制度が悪いとは思わないが、支払いの条件等に比べて、保険料が高過ぎる。台風被害や地盤沈下が対象にならないなら、以前の様な任意の制度に戻すべきだ。」。*1
*1 「笹子トンネル天井板落下事故」が起こった様に、経年劣化した公共施設を国や地方自治体が血税を投じて修繕、又は作り直す事を否定はしない。国民の安全を守る為、早急に取り掛かるべきだとも思っている。唯、警戒しなければいけないのは「東日本大震災」や「笹子トンネル天井板落下事故」といった不幸な災害&事故が発生した事を渡りに船と許りに、不必要としか思えない公共事業迄も行おうとしている連中が居る事。
自民党の某国会議員が10日、自身の後援会会合で「公共事業悪玉説が飛び交っているが、何が悪いのか。強固な故郷を子孫に残す事が、正しい大人の生き様だ。直ぐ出来る経済再生は、公共事業だ。言葉に振り回されず、敵が居ても遣るべき事は遣り抜く。」と言い放ったとか。「正しい大人の生き様」と決め付けるのも、又、「敵」と仮想敵を作り上げる事で支持を集めるワンパターンな手法もどうかと思うが、「公共事業が全て悪。」とは自分も思わない一方で、戦後の自民党が「私利私欲を満たす為だけに、何れだけ多くの無駄な公共事業を行い、そして莫大な借金を積み上げて来たか。」にも目を向けないといけないだろう。
「公共事業悪玉説」を持ち出す事で、「『公共事業』という名が付けば、何でもOK。」という雰囲気を作り出そうとしているなら、此れはとんでもない事。仮に絶対に必要な公共事業で在ったとしても、「200億円で出来る物に対し、其れ以上の血税を投入して、“差額”を個人の懐に入れる様な事が在ってはならない。“不必要な”公共事業に対して血税を投入し、此れ以上多くの借金を子孫に残す事は、其れこそ正しい大人の生き様では無い筈。
保険会社と国が共謀して保険が有利な制度としても保険と言えば何か有った時に助けてくれると言う安心感からついつい受け入れてしまいそうです
気候の違い(特に湿度)が在るとは言え、他国に比べると日本の場合は、家の“寿命”が短過ぎる気がします。短いなら短いなりに購入費用が安ければ良いのだけれど、決して安くは無い。あらゆる分野で「価格破壊」が進み、家も安い物が出てはいるけれど、其れでも全体としては高値据え置きな感じが在る。
以前、興味深い話を目にしました。イギリスでは家に手を入れて行くと、古くなっても値が上がるケースが少なく無い。中古住宅を購入し。リフォームする事で結構高く売れる(「購入費+リフォーム費」よりも高く。)事も珍しく無いとか。一方、日本の場合は手を入れ様が、経年と共に価格は下がって行くのが普通。「耐久性を格段に上げ、其れ形に手を入れている家の場合は、値段が上がる、若しくは値段が維持される様な文化が日本に根付いて欲しい。」という話でしたが、其の通りですね。