
1970年代の日本は、“不可思議な存在”に多くの人達が魅了されていた。ユリ・ゲラー氏等による超能力、「ノストラダムスの大予言」、UFO、そしてツチノコやイッシー、クッシー等、未確認動物(UMA)の目撃談といった物がマス・メディアで大きく取り上げられ、子供だった自分も夢中になっていたっけ。
1970年7月20日午後8時頃、広島県比婆郡西城町油木・比婆郡比和町・庄原市(現在は、全域が庄原市。)の中国山地に在る比婆山連峰で、当時31歳の男性がUMAを目撃した。 六ノ原ダム付近を軽トラで帰宅途中だった彼が目撃したのは、「身長が160cm程、顔は逆三角形で、頭は剛毛がピンと立ち、全身が毛で覆われた、猿でも無い、人間でも無い怪物。」が道路を横切る姿だったと言う。
3日後の7月23日午前5時頃には当時43歳の男性が、そして7月30日午後8時頃には当時47歳の男性が、第2&第3の目撃者として、同様の証言を。中国新聞・庄原支局長だった宮尾英夫氏が、最初の目撃から約3ヶ月後、其のUMAを「ヒバゴン」と名付ける。「目撃されたのが“比婆”山の『ヒバ』に、『ウルトラシリーズ』で人気のカネゴンの『ゴン』を足した名称。」だった様だ。以降、ヒバゴンは大きく取り上げられる様になる。
23日に放送された「NNNドキュメント」では、最初の目撃から50年経ったヒバゴンを取り上げていた。ヒバゴンの名付け親で在る宮尾氏(85歳)も出演されていたが、当時は目撃したと証言する人達を全て取材したと言う。其の結果、新聞記者としての勘から「彼等は、本気で信じている。」と思ったそうだ。「怪物かどうかは別にして、何か異様な物が存在するのではないか。」とも。
西城町は、ヒバゴン騒動に巻き込まれる。小学生は集団登下校を余儀無くされ、警察官が出動する事も。「ヒバゴンを見たい。」と全国から大勢の人が押し寄せ、地元住民には電話や取材が殺到。「こんな事じゃあ、仕事にならない!」というクレームが住民達から上がった事も在り、役場に「類人猿相談係」が設けられた。「通常の業務に加え、ヒバゴンに関する相談に当たる。」というのが類人猿相談係の役割で、「ヒバゴン騒動を逆手に取り、西城町を全国にPRしたい。」という当時の町長の思惑も在った様だ。又、目撃者には取材の迷惑料として、町から5千円が支給される事になったと言う。当時、大卒の初任給が約4万円という事なので、今ならば約2万6千円位か。結構な金額だ。
ヒバゴン目撃者の多くが亡くなった中、12番目の目撃者となった男性が出演。当時、小学校6年生だった彼は、現在61歳。「50年経っても、怖かった思いは忘れられない。」と語る彼。下校後、山に茸を捜しに行った際、ヒバゴンを見たと言う。「猿は何度も見た事が在るけれど、大きさ等から絶対に猿では無い。」と穏やかに語る彼からは、嘘を吐いている様な感じはしなかった。
ヒバゴンの物とされる足跡が発見されたり、ヒバゴンとされる写真(宮尾氏は、「ヒバゴンでは無く、猿の写真だ。」と判断していたが。)が撮られたりはしたが、結局、ヒバゴンが捕らえられる事は無かった。ヒバゴン騒動が始まって4年が経った1974年10月、29件目の目撃情報が寄せられたのを最後に、ヒバゴンに関する目撃情報はピタッと無くなる。そして、翌年の1975年6月、西城町は「ヒバゴン騒動終息宣言」を出す事に。
ヒバゴンが最初に目撃されてから50年、そして終息宣言が出されてから45年経った現在、西城町では町の到る所に“ヒバゴンの姿”が見掛けられる。ゆるキャラや関連グッズ等の形でだが、町民はヒバゴンを身近な存在として親しみ、又、楽しんでいる様だ。
今年、比婆山で体長1cmにも満たない新種の昆虫が発見され、「ラトロビウム ヒバゴン」と名付けられたと言う。50年の時を経て、違う形でヒバゴンは捕獲されたのだ。