今から42年前の1977年、或るTVドラマが日米で大反響を呼んだ。アメリカで製作された「ルーツ」【動画】という作品で、作家のアレックス・ヘイリー氏が「自身の先祖、即ち“ルーツ”を辿り、そして描いた小説。」だ。アフリカ系アメリカ人のヘイリー氏の先祖は、アフリカから連れ去られ、アメリカで奴隷として働かされた人物で、以降、彼の子孫達は苦難の人生を送る。壮大な歴史ドラマで在り、又、「自分の祖先は、どんな人達だったのだろうか?どういう人生が積み重ねられて、今の自分は存在しているのだろうか?」と多くの人達に思わせたのが、此のドラマが大ヒットした要因だと思っている。
「ルーツ」が放送されて以降だったと思うが、父が突然「我が家の家系図を作ってみたい。」と言い出した。今になって思えば「ルーツ」の影響も在ったのだろうけれど、「一族の来し方を知りたい。」という思いが、父の心の中にずっと在ったのかも知れない。家系図作りを結構真剣に考えていた様だが、若くして亡くなった為、実現する事は無かったが。
昔、父方及び母方の親戚が其れ其れ、作った家系図を送って来てくれた。共に定年を迎えて以降、自身で調べ上げて作った物だ。全然知らなかった人間の存在や経歴等が記されており、「へー。」と意外に思うと共に、「彼等の人生の積み重ねの下、今の自分が存在するのだなあ。」と感動も。
今程歴史に興味が無かった昔、「我が家の家系図を作ってみたい。」と言い出した父の思いが、正直理解出来なかった。でも、歴史に興味を持ち、そして馬齢を重ねて来た事で、父の思いが判る様になった。親戚が作ってくれた家系図は共に4代前迄しか遡れていないが、「『ファミリーヒストリー』【動画】の様に、もっと前の代も知りたいな。」と思ったりする。
歴史、特に近現代史が好きな自分は、関連する書籍類を、数多く読んだり見たりしている。“専門家”が記した本も良いが、其の時代を生きて来た庶民の証言は、“時代の息遣い”の様な物が強く感じられ、夢中になって読んだり見たりしてしまう。
亡き父からは疎開先の話等を何度か聞いたが、祖父母からは殆ど聞く機会が無かった。「昔は歴史に余り興味が無かったので、自分から積極的に聞かなかった。」というのも在るが、「嫌な時代の話は、自分の方からしたく無い。」という思いが、彼等に在ったのかも知れない。
「自分達にとって不都合な事柄は全て捏造で在り、逆に好都合な事柄は、仮に嘘で在っても全て事実。」とする風潮が、世界中に広まっている。不都合な証言は無根拠に否定し、存在しなかった様に抑え込む。非常に危険な事だ。
当ブログを良く覗いて下さっている悠々遊様は、「悠々遊きまぐれ写真館」というブログを運営されているのだが、先日より“パラオを訪れた際の手記”を書き続けておられる。“御自身のルーツを辿る旅”で在り、実に読ませる内容。「過酷な時代を、一庶民がどう生き抜いて来たか。」が窺い知れるし、“時代の息遣い”も感じられる。
多くの人に読んで貰いたい記事なので、今日の記事で紹介させて貰う事にした。現在、「なぜパラオに行くことになったのか 1」(4月10日)、「なぜパラオに行くことになったのか 2」(4月11日)、「なぜパラオに行くことになったのか 3」(4月12日)、そして「なぜパラオに行くことになったのか 4」(4月13日)と4つの記事がアップされている。是非、読んで貰いたい。
テレビドラマとして、また準ドキュメンタリー感覚で「ルーツ」は欠かさず見ていました。
白人優位社会の出現は人類の歴史の中でも、たかかだかここ何百年かの事なのに、白人至上主義の差別意識の亡霊が今も白人社会の中の一部とはいえ生き続けていることに幻滅を感じたもの。
現在は放映の頃よりより巧妙により過激に、排他主義が蔓延しているように見えます。
自分のルーツに興味を持ち家系図を作りたくなる衝動は、中高年の男性共通のもののようですね。同じ中高年でも女性にはそういう人は少ないように思います。
女性は年齢に関係なく「今現在」を大事にたくましく生きているということでしょうか(苦笑)。
今回の私のブログ記事を取り上げていただき、ありがとうございます。
御礼を言いたいのは、寧ろ此方の方です。戦前から戦後に掛けての一般庶民の人生という物に、歴史的観点から非常に関心を持っておりますので、今回の悠々遊様の手記は非常に参考になりますので。
「現在は放映の頃より、より巧妙に、より過激に、排他主義が蔓延している様に見えます。」というのは、全く同感。又、触れられる“情報”が昔と比べて格段に多くなった事で、逆に情報の真偽を見分ける能力が落ちている様にも思います。「情報が余りに多過ぎて、見分けるのが大変。」と端から放棄している人も少なく無いし、抑々、「自分が心地良い情報は無条件に事実で、逆に心地良く無い情報は嘘だから、一切触れたくない。」と考えている人も結構居そうだし。