元ジャイアンツの監督・堀内恒夫氏は「今日もどこかであくたろう」というブログを運営されているのだが、先月30日の記事「年寄りのボヤキ」の中で、次の様に記している。
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巨人の背番号、今年もなんだか、変わる選手が多いようで。記憶力が勝負のピッチャー出身の俺と言えども、(まぁ、歳も歳だけどさ)こうも変わると、ついていけません(笑)。成長に合わせて番号が若くなる、っていうのはわかるんだけどね。背番号は選手の顔だからさ、あんまり変えないで欲しいけどね。ホント、覚えるの大変なんだから。頼みますよ(笑)。
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自分が思っていた事を代弁してくれた様な感じ。「此処数年のジャイアンツ、背番号が余りにも安直に変更されている。」様に思っていたので。
“チーム内で選手の背番号の変更が在ったケース”(他のチームから移籍して来た選手が、前のチームで付けていた背番号から変更したケースや、首脳陣の背番号変更は除く。)を此方で調べてみた所、昨年度は「14人」も存在した。又、来年度から変更となるのは、以下の「8人」。
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・増田大輝選手:「0」(2020年)←「63」(2019年)←「98」(2017年7月28日~2018年)←「015」(2016年~2017年7月27日)
・大城卓三選手:「24」(2020年)←「46」(2018年~2019年)
・髙橋優貴投手:「26」(2020年)←「12」(2019年)
・吉川尚輝選手:「29」(2020年)←「0」(2017年~2019年)
・鍵谷陽平投手:「30」(2020年)←「32」(2019年6月28日~)
・若林晃弘選手:「37」(2020年)←「60」(2018年~2019年)
・鍬原拓也投手:「46」(2020年)←「29」(2018年~2019年)
・宮國椋丞投手:「58」(2020年)←「30」(2011年~2019年)
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「首脳陣からの期待度が高まった選手は背番号が小さい数字、逆に低くなった選手は大きくなる。」のが一般的で、そういう意味では「江川卓氏の背番号『30』を入団時から9年間背負い続けて来たけれど、来年度からは『58』に変更となった宮國投手。」は、来年度が正念場という事になるだろう。
“育成選手が支配下登録選手になった場合の背番号の変更”というのは理解出来る。又、凄い結果を残した選手の背番号を、首脳陣が大きな期待を込めて小さな番号にしたり、名選手と同じ番号に変更したりというのも理解出来なくは無い。でも、後者の場合、“何年か継続的に活躍した場合”に限った方が良いと思う。増田選手や大城選手、高橋投手、吉川選手、若林選手の場合、「1軍で活躍した。」のは今年だけと言っても良い。「1年だけの活躍で、背番号を変更する。」というのは安直だし、「選手自身も、首脳陣からの期待の高さに胡坐をかいてしまう危険性。」を懸念する。(高橋投手に到っては、入団2年目での変更だし。)
元タイガースの掛布雅之氏は、大好きな野球人の1人。1973年のドラフト会議で、タイガースから6位指名でプロ入りした彼は、決して大きな期待を持たれた選手とは言えなかっただろう。そんな彼の背番号に関する逸話が、自分は好きだ。プロ入りした際、彼に与えられた背番号は「31」。「球団から提示された“空いている背番号”の中で、一番若い番号だったから。」という理由で、彼は「31」を選んだと言う。「31」を背負って活躍した1976年のシーズンオフ、当時の球団首脳から「背番号を『3』に変更しないか?」という打診を受けた。「郷土の英雄にして、子供の頃からの憧れの人でも在る長嶋茂雄氏と同じ背番号『3』を背負える。」という事に喜びを感じつつ、「でも、其れで本当に良いのだろうか?」という思いも在った掛布氏は、悩み続けた結果、背番号の変更を固辞する。「入団時に貰った背番号『31』を、“自分の顔”として育てて行きたい。」というのが固辞の理由だったが、其の心意気は凄く良いと思うし、「安直に自分の背番号を変えない(又は変えさせない)で、背負った背番号を“自分の顔”として育てて行く選手が今後、ジャイアンツから現れて欲しい。」とも。