温泉やスーパー銭湯の類いは数え切れない程利用して来たが、こじんまりとした所謂“町の銭湯”を利用したのが、記憶違いで無ければ1度だけ。物心が付いた頃には既に、自宅に“内風呂”が備わっていたので。幼い頃、従兄弟の父方の実家が在る鹿児島県へ一緒に遊びに行った際、銭湯を利用したのが最初で最後だ。
「週刊現代」には「今週のへえ~、そうなんだ」というコラムが連載されているが、1月8・15日号は「銭湯のペンキ絵には描けない3つのタブーがある」というタイトル。
「銭湯の浴室の壁には、雄大な富士山が描かれている。」というのは、定番と言って良いだろう。唯一利用した鹿児島県の銭湯も、雄大な富士山の絵が描かれていたと記憶している。
「1912年、東京の神田猿楽町に在った銭湯『キカイ湯』の主人が、施設の増築に当たって、『子供に喜んで湯舟に入って欲しい。』という思いから、浴室の壁にペンキ絵を描く事を発案。静岡県出身の画家・川越広四郎氏にペンキ絵を依頼した所、川越氏は生まれ故郷の名勝・富士山を題材に選んだ。」のが、事の始まりだそうだ。
「日本の象徴で在り、姿形も美しく、末広がりで縁起が良い。」という事で、キカイ湯の富士山のペンキ絵は評判を呼び、此れに倣う銭湯が続出。全国的に定着したと言う。
其の一方、「此の3つの題材は、描いてはいけない。」という“暗黙”のタブーが、ペンキ絵師の間には在る。「『猿』=『客が去る。』」、「『夕日』=『家業が沈む。』」、そして「『紅葉』=『落ちて、赤字になる。』」という“悪い意味合い”を連想させる言葉の絵。
因みに、1968年頃に最盛期を迎えた日本の銭湯は、当時、全国で1万8千軒以上在ったが、今や4千軒を下回る数迄減少しているそうだ。