「『家庭訪問』ってなくなってきてるの?」という記事が載っていた。この記事によると、家庭訪問をしない学校が近年増えて来ているのだとか。「家庭訪問がプライヴァシーの侵害になるのではないかという懸念。」がその背景には在る様で、「家庭訪問の代わりを学校での個人面談や保護者会等で補っている。」とか「家庭訪問では無く、地域訪問を行っている。」等、代替策を打ち出している所が少なくない。又、家庭訪問を続けている学校でも「春は家庭訪問で、冬は面談。」という様に区分けをしていると。
学生時代、素行決して宜しくはなかった自分にとって、担任教師が自宅を訪れる家庭訪問は嫌なイベントの一つだった。「落ち着きが在りませんねえ。」とか「もっと勉強させて下さい。」、「悪戯が過ぎます。」といった”忠告”を親にされるのは目に見えており、その後に親から小言を食らう流れが出来上がっていたからだ。だから「何とかして家庭訪問を阻止出来ないものか?」と色々知恵を絞り、親の筆跡を真似て「都合の良い日が在りません。」といった文書を担任教師に提出するも、いとも簡単に見破られて怒られた事も在った。家庭訪問が減って来ているとはいえ、代わりに学校での個人面談等が在る訳だから、嘗ての自分の様に様々な小細工を弄しては”撃沈”されている学生も居たりして。
話を戻すが、家庭訪問が減りつつある事に対して教師の側からは「学校でやる面談だけでは、どうしても子供の日頃の様子が見えない所が在る。」、「親子関係や家庭の様子等は、実際に家庭に行ってみないと判らない。」等、教育を施す上での不安も出ている様だ。又、家庭を見た上で個々の児童に補習等をしているという現役教師が「玄関を開けると家中の物が全部見えて、床には色んな物が散らかしっ放し、子供の勉強するスペースも全く無い・・・なんていう家も在ります。実際残念乍ら、そういう子は勉強する習慣が出来てない事が多いんですよ。」と語っているのも印象的。
学生時代、素行決して宜しくはなかった自分にとって、担任教師が自宅を訪れる家庭訪問は嫌なイベントの一つだった。「落ち着きが在りませんねえ。」とか「もっと勉強させて下さい。」、「悪戯が過ぎます。」といった”忠告”を親にされるのは目に見えており、その後に親から小言を食らう流れが出来上がっていたからだ。だから「何とかして家庭訪問を阻止出来ないものか?」と色々知恵を絞り、親の筆跡を真似て「都合の良い日が在りません。」といった文書を担任教師に提出するも、いとも簡単に見破られて怒られた事も在った。家庭訪問が減って来ているとはいえ、代わりに学校での個人面談等が在る訳だから、嘗ての自分の様に様々な小細工を弄しては”撃沈”されている学生も居たりして。
話を戻すが、家庭訪問が減りつつある事に対して教師の側からは「学校でやる面談だけでは、どうしても子供の日頃の様子が見えない所が在る。」、「親子関係や家庭の様子等は、実際に家庭に行ってみないと判らない。」等、教育を施す上での不安も出ている様だ。又、家庭を見た上で個々の児童に補習等をしているという現役教師が「玄関を開けると家中の物が全部見えて、床には色んな物が散らかしっ放し、子供の勉強するスペースも全く無い・・・なんていう家も在ります。実際残念乍ら、そういう子は勉強する習慣が出来てない事が多いんですよ。」と語っているのも印象的。
子どもが小学校になってから移り住んだ地域にもそれぞれ差がありましたねえ。
名古屋は家庭訪問ありで玄関のみ。
金沢は家庭訪問は無しでその代わり学期ごとに通知表を取りに親が学校へ行かなくてはいけない。
奈良は家庭訪問は春のみありで、先生は家まで上がってお茶も飲んで帰ります。
奈良が一番昔ながらって感じです(^^;
これは女性の就業率が大きく関係していまして、金沢が一番合理的でした。(通知表取りに行く以外は)
学校の半ドンはほとんどなく、給食も終業式までありますし、始終業式や入学・卒業式は午前午後に振り分けて、半日は授業があります。
参観日もほとんどなく、あんまり楽だったので奈良に来てちょっとしんどさを感じてしまいました。すぐ慣れましたけどね(^^;
最後に書かれている現役教師の方のおっしゃる様に、ちゃんと生活しないと良い生活習慣がつかないのですが、私の周辺では荒れ放題のお家の子ほど成績がいいんですよね、何故か・・。
うちは・・・聞かないでください・・(^0^;)
家庭訪問の際に部屋中を綺麗にするというのは、今も昔も変わらない光景なんですね(笑)。小学校高学年の頃、担任教師が「家庭訪問の際には何も出さない様に御母さんに言って下さい。店屋物等を出されても困りますから。」と生徒達に注意していたのを覚えています。「それって『店屋物を出せ。』っておねだり?」と思ったりしたもの。
それにしても担任教師からの電話というのは判りますが、メールというのは時代を感じますね。誰もが携帯電話位は持っている時代という事なのでしょうが、「持つ余裕の無い家庭だとどうするんだろうか?」とふと思ってしまいました。