ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「憎悪のパレード 池袋ウエストゲートパークⅩⅠ」

2014年09月07日 | 書籍関連

テニス4大大会の1つ「全米オープン」。大会に於て日本人選手としては96年振り準決勝に進出した錦織圭選手が、日本時間の今日未明に行われた準決勝で、相手のノヴァク・ジョコヴィッチ選手を下し、男女通じて日本テニス史上初の4大大会シングルス決勝進出を果たした。

 

テニスに関してはそう詳しく無い自分だが、「世界ランキングで11位の錦織選手と同1位のジョコヴィッチ選手の対戦」という事で、「錦織選手に勝って貰いたいけれど、九分九厘難しいだろうなあ。せめて、相手を充分苦しめる試合をしてくれれば。」と思っていた。其れが決勝進出というのだから、本当に凄い。こうなったら、何としてでも錦織選手には優勝して貰いたい。(彼が政治利用されそうなのは心配だが。頑張れ、錦織選手!!!

 

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池袋は進化する。彼の男達に、又会える。

 

脱法ドラッグ仮想通貨ヘイト・スピーチ。起こるトラブルは変わっても、マコト達は変わらない。

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石田衣良氏の人気作品「池袋ウエストゲートパーク・シリーズ」。第1弾が刊行されたのは1998年だから、もう16年前の事になる。記事「4TEEN」で記した様に、自分の場合は小説よりも先にドラマで同シリーズに触れた其れも、ドラマ「池袋ウエストゲートパーク」【動画】が最初に放送されてから5年後の2005年に見たのがファーストアクセスというのだから、可成り遅い。

 

ドラマが非常に面白かったので、「原作を読んでみよう。」と思い、手に取ったのが「反自殺クラブ 池袋ウエストゲートパークⅤ」。グロい描写が目立つものの、機関銃如く多用される比喩表現が実に瑞々しく、又、登場人物達が魅力的だった事も在り、すっかり同シリーズに嵌まってしまった。

 

3年前に「PRIDE-プライド 池袋ウエストゲートパークX」が刊行された際、石田氏は「此の作品を以て、『池袋ウエストゲートパーク・シリーズ』の執筆暫く休む。」と宣言。ファンとしては寂しい限りだったのだが、3年半の時をて復活したのが、今回読了した「憎悪のパレード 池袋ウエストゲートパークⅩI」。

 

4つの短編小説で構成されており、扱われているテーマは「脱法ドラッグ」、「ギャンブル依存症」、「仮想通貨」、「ヘイト・スピーチ」。「ノマド・ワーカー」に触れる等、今の世相上手く拾っていると思う。

 

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憎悪パレード」より

 

・おれたちは経済成長の先輩として、もうすこし余裕をもったほうがいい。共産党政府につながるひとにぎりの大金もち以外、中国人のひとりあたりの収入はまだジャマイカより少ない。岩だらけの小島でもめようが、GDPで抜かれようが、そこまでナイーブに傷つくことはないはずだ。二十一世紀アジア世紀だよな。世界経済の中心が数百年ぶりに東アジア回帰するのは、まず間違いない。その果実をいらいらせずに、ゆっくり待つといい。近隣関係で耐えがたきを耐えるとしても、先進ニッポンで心たのしく暮らしたほうが、死ね!死ね!と叫んでデモするより、ずっとましなにせ、こちらは政治家の悪口だって言いたい放題自由民主なんだからな。

 

・人を憎む。出身国や民族といった、その人間の個性ではなく、属性だけで無条件に憎む。失われた二十年で、おれたちはそこまで追いつめられていたのだ。こいつらが不景気の日本でも、ごく少数派でよかったと、おれは思った。日本のすべての街で、こんなことが起こるようなら、おれたちに「アジアの世紀」はこない。憎しみと敵意の先になにが待つか、七十年ばかりまえには誰もがわかっていた。だが、七十年は全ての傷や悲惨を甘い砂糖くるむには十分な時間だ。砂糖菓子の名は愛国心

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長期に亘る人気シリーズの場合、登場人物、特に「主人公の年齢設定をどうするか?」が大事になって来る。記事「遺譜 浅見光彦最後の事件」でも触れた様に、「主人公の年齢をずっと変えない。」というケースが在る一方で、赤川次郎氏の「三姉妹探偵団シリーズ」の様に「主人公達が、着実に年を重ねて行く。」というケースも在る。「池袋ウエストゲートパーク・シリーズ」の場合は後者で、“デビュー”時には20歳前後と思われるマコト(真島 誠)も、今回の作品では「20代後半」と記されている。詰まり破天荒な活躍を見せていたマコトも、もうアラサーなのだ。

 

「憎悪のパレード 池袋ウエストゲートパークⅩI」に関するネット上のレヴューを見ていると、「作者の年齢を感じるというか、“若者文化に無理矢理合わせている小父さん”的な痛々しさが文章から滲み出ていて、一寸読んでいて哀しくなりました。」、「昔と比べると、マコトも随分丸くなったなあと感じました。」、「(第1弾の)『池袋ウエストゲートパーク』を初めて読んだ時の衝撃を思うと、最近の作品は面白く無い。」といった、同シリーズの“賞味期限切れ”を指摘する声が結構在る。

 

シリーズが長期化する事で「書き手の感性の老化」、「読み手の感性の老化」、そして主役の年齢設定を変えて行く事での、『昔』と『今』とのギャップの広がり。というのは、どうしても在ると思う。最初の作品が衝撃的で在れば在る程、そういったギャップは読み手にとって耐え難い物となるのは、自分も理解出来る。

 

嘗てのマコトは、もっと自分自身で行動していた様に感じる。最近の作品でのマコトは、他者の協力に重点を置いている様な所が在り、言葉は悪いが“楽隠居”的なイメージも在る。アラサーという年齢を考えれば、自分がちょこまか動くよりも、“部下”を使い熟す方に重点が移るのは仕方無いのかもしれないが・・・。

 

ストーリー的にも、良くも悪くもドキドキ感が在った昔に対し、最近の作品は予定調和的な感じが否めない先達てキング誕生 池袋ウエストゲートパーク青春篇」というのが刊行され(自分は未読。)、内容的には過去に遡っての話の様だが、今後はこういう形で、若かりし頃のマコト達を描いて行くという方が、ファンとしては楽しめるのかもしれない。

 

ファンとしては、新作が刊行されたのは非常に嬉しいのだが、期待度が高かった分、内容面ではがっかりな面が目立った。総合評価は、星3.5個とする。


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