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「園佳也子さん80歳=女優、愛嬌の在る脇役で活躍」(7月29日、毎日新聞)
舞台やテレビで愛嬌の在る脇役として活躍した、女優の園佳也子(その・かやこ<本名・清水郁子=しみず・いくこ>)さんが東京都世田谷区の自宅で死亡していた事が、29日判った。80歳。
警視庁世田谷署によると27日午後、自宅を訪れた親族が風呂場で倒れている園さんを発見、119番し死亡が確認された。心不全だった。園さんは1人暮らし。
高校在学中の1953年、NHK大阪放送劇団の聴講生となり、テレビに初出演。「細うで繁盛記」(映像)、「ありがとう 第3シリーズ 魚屋編」(動画)等のホームドラマで、大阪弁を話す元気で庶民的な女性を演じ、親しまれた。「細雪」や「三婆」等の舞台にも出演した。
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「茶の間」や「ホームドラマ」なんて言葉はすっかり死語化してしまったけれど、家族で茶の間に集まって一つの番組を見ていた時代が嘗ては在った。テレビが一家に一台在れば御の字の時代で、生活臭漂うドラマをホームドラマと呼んでいたっけ。
園さんと言えば自分の場合、出演ドラマで一番に頭に浮かぶのは「ありがとう 第3シリーズ 魚屋編」だ。「熊取酒店」の女店主・熊取乙美(くまとり・おとみ)という役だったが、引っ詰めた髪に黒縁を掛け、関西弁でワアワア捲し立てるという、町内のトラブルメーカー。意地っ張りで我が儘だけれど、心根は優しいという役柄が印象的で、この手の「灰汁が強いけれど憎めない人」という役を園さんは得意としていた。
又、「金鳥サッサ」のCMも忘れられない。「金鳥サッサ、もう使うてはる?御友達になりたいわぁ~。」の決め台詞は、当時の流行語になった程だったし。
此処暫くはテレビでその御姿を拝見していなかったが(大河ドラマ「徳川慶喜」【動画】で御見掛けしたのが最後だったか。)、舞台では2006年辺り迄活躍されていた様だ。今回の訃報で園さんが80歳だったという事を知り、「そんな高齢だったのか・・・。」と思うと同時に、「自分が子供の頃から第一線で活躍されていたのだから、その位の年齢でもおかしくはないのだなあ・・・。」と感じたりも。
それにしても昨年の大原麗子さんもそうだが、華々しい世界で生きて来た有名人が孤独死するというのは何とも哀しい。合掌。
「園佳也子さん80歳=女優、愛嬌の在る脇役で活躍」(7月29日、毎日新聞)
舞台やテレビで愛嬌の在る脇役として活躍した、女優の園佳也子(その・かやこ<本名・清水郁子=しみず・いくこ>)さんが東京都世田谷区の自宅で死亡していた事が、29日判った。80歳。
警視庁世田谷署によると27日午後、自宅を訪れた親族が風呂場で倒れている園さんを発見、119番し死亡が確認された。心不全だった。園さんは1人暮らし。
高校在学中の1953年、NHK大阪放送劇団の聴講生となり、テレビに初出演。「細うで繁盛記」(映像)、「ありがとう 第3シリーズ 魚屋編」(動画)等のホームドラマで、大阪弁を話す元気で庶民的な女性を演じ、親しまれた。「細雪」や「三婆」等の舞台にも出演した。
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「茶の間」や「ホームドラマ」なんて言葉はすっかり死語化してしまったけれど、家族で茶の間に集まって一つの番組を見ていた時代が嘗ては在った。テレビが一家に一台在れば御の字の時代で、生活臭漂うドラマをホームドラマと呼んでいたっけ。
園さんと言えば自分の場合、出演ドラマで一番に頭に浮かぶのは「ありがとう 第3シリーズ 魚屋編」だ。「熊取酒店」の女店主・熊取乙美(くまとり・おとみ)という役だったが、引っ詰めた髪に黒縁を掛け、関西弁でワアワア捲し立てるという、町内のトラブルメーカー。意地っ張りで我が儘だけれど、心根は優しいという役柄が印象的で、この手の「灰汁が強いけれど憎めない人」という役を園さんは得意としていた。
又、「金鳥サッサ」のCMも忘れられない。「金鳥サッサ、もう使うてはる?御友達になりたいわぁ~。」の決め台詞は、当時の流行語になった程だったし。
此処暫くはテレビでその御姿を拝見していなかったが(大河ドラマ「徳川慶喜」【動画】で御見掛けしたのが最後だったか。)、舞台では2006年辺り迄活躍されていた様だ。今回の訃報で園さんが80歳だったという事を知り、「そんな高齢だったのか・・・。」と思うと同時に、「自分が子供の頃から第一線で活躍されていたのだから、その位の年齢でもおかしくはないのだなあ・・・。」と感じたりも。
それにしても昨年の大原麗子さんもそうだが、華々しい世界で生きて来た有名人が孤独死するというのは何とも哀しい。合掌。