日本プロ野球で初めて2千本安打を達成したのは、元ジャイアンツの川上哲治氏。1956年、彼が36歳2ヶ月の時だった。以降、今年の11月7日迄、日本プロ野球では通算で52人が2千本安打を達成(メジャー・リーグ等の記録は含まない。今回の記事では、以降の記述も同様。なので、イチロー氏や松井秀喜氏等はカウントしていない。)。
そして、一昨日の試合の第1打席、安打を放ったジャイアンツの坂本勇人選手は、53人目の2千本安打達成者となった。ジャイアンツの生え抜き選手としては川上哲治氏、長嶋茂雄氏、王貞治氏、柴田勲氏、そして阿部慎之助氏に続く、通算6人目の達成者となった。坂本選手、おめでとう!!!
「31歳10ヶ月」で達成した坂本選手は、「31歳7ヶ月」で達成した元毎日オリオンズの榎本喜八氏に次ぐ、歴代2位の若さでの達成となる。“たられば”を言っても仕方無い事だが、新型コロナウイルス感染症の影響(約3ヶ月遅れた開幕戦、感染した事が影響していると思われる坂本選手の開幕戦以降の不調等。)が無ければ、歴代1位の若さでの達成となっていたかも知れない。(右打者に関して言えば、坂本選手は歴代1位の若さでの達成となる。)
興味深いのは、「通算何試合目で、2千本安打を達成したか?」という点。坂本選手の場合は「1,783試合目」での達成だが、榎本氏の場合は「1,830試合目」での達成で、坂本選手よりも「47試合」遅い。年間に行われる試合数の違いが在る訳だが、達成した試合数で言えば、坂本選手の方が早かった事に。
達成した試合数で最も早かったのは、川上哲治氏の「1,646試合目」となっている。達成年齢では「36歳2ヶ月」と決して早くは無いが、試合数の少なさ(例えば、1938年は年間62試合。)や太平洋戦争(1943年~1945年は未出場。)が影響している訳だが、坂本選手よりも「137試合」も早い。
2006年の「高校生ドラフト」1巡目で、ジャイアンツに指名された坂本選手。過去に何度か書いたが、ジャイアンツが最初に1巡目として指名したのは堂上直倫選手だったが、3球団が競合し、籤引きの結果、彼を引き当てたのはドラゴンズ。ジャイアンツが“外れ1位”で指名したのが坂本選手なのだから、彼を獲得出来なかった可能性を想像すると、ジャイアンツ・ファンとしてはぞっとする。
今後の坂本選手に期待する事は数多く在るが、3千本安打達成も其の1つ。是非とも達成して貰いたい。