幼少時に訪れ、今でも忘れられない場所というのが誰しも在ると思う。自分の場合、そんな場所の一つがフジパン・ロボット館だ。恐らく「それって何処に在るのか?」と思われる人が殆どだと思う。それも当然だろう。この施設は11年前に取り壊されているばかりか、施設が置かれていた愛知青少年公園(愛知県愛知郡長久手町)自体も”愛・地球博”会場に転用される為に閉園となってしまったのだから。
今から36年前に開催された日本万国博覧会(大阪万博、EXPO’70)に、フジパンはロボット館を単独出館した。万博の終了後、オープンしたばかりの愛知青少年公園にこのロボット館は移設されたのだが、幼かった自分は両親に連れられてこの公園を何度か訪れたものだった。何分大昔の話なのでうろ覚えの部分も在るのだが、だだっ広い敷地内にはサイクリング場や温水プール、アイス・スケート場、キリンや象等の像(これ等の像に跨がって、良く写真を撮って貰ったっけ。)の並んだ丘等、様々な施設&スポットが在り、とても楽しい場所だった。特に好きな施設がフジパン・ロボット館で、受付ロボットやロボット・オーケストラ、カメラ・ロボット等、未来世界を夢見させてくれるロボット達(22体)が何時も出迎えてくれた。
余談だが、「海外では一定年齢以上の人の間にロボット・アレルギーの様なものが在るのに、日本では老若男女を問わずそういった意識が無い最大の理由は、日本に手塚治虫氏が居たから。」という説を、以前書いた記事でも触れたが、このロボット館をプロデュースしたのはその手塚氏だ。
名古屋を離れてからは、青少年公園に行く機会も全く無いままに来てしまったが、ロボット館の思い出は忘れられないものとして心に刻まれている。施設が取り壊されて以降、ロボット達は幾つかの場所に送られた様だ。愛・地球博でも何体か展示されたとも書かれている。これ等の写真を見るだけでも、懐かしさで胸が張り裂けそうなのだが、ロボット達のその後がどうなったのか気になる。出来れば22体全部の今を知りたい・・・。
今から36年前に開催された日本万国博覧会(大阪万博、EXPO’70)に、フジパンはロボット館を単独出館した。万博の終了後、オープンしたばかりの愛知青少年公園にこのロボット館は移設されたのだが、幼かった自分は両親に連れられてこの公園を何度か訪れたものだった。何分大昔の話なのでうろ覚えの部分も在るのだが、だだっ広い敷地内にはサイクリング場や温水プール、アイス・スケート場、キリンや象等の像(これ等の像に跨がって、良く写真を撮って貰ったっけ。)の並んだ丘等、様々な施設&スポットが在り、とても楽しい場所だった。特に好きな施設がフジパン・ロボット館で、受付ロボットやロボット・オーケストラ、カメラ・ロボット等、未来世界を夢見させてくれるロボット達(22体)が何時も出迎えてくれた。
余談だが、「海外では一定年齢以上の人の間にロボット・アレルギーの様なものが在るのに、日本では老若男女を問わずそういった意識が無い最大の理由は、日本に手塚治虫氏が居たから。」という説を、以前書いた記事でも触れたが、このロボット館をプロデュースしたのはその手塚氏だ。
名古屋を離れてからは、青少年公園に行く機会も全く無いままに来てしまったが、ロボット館の思い出は忘れられないものとして心に刻まれている。施設が取り壊されて以降、ロボット達は幾つかの場所に送られた様だ。愛・地球博でも何体か展示されたとも書かれている。これ等の写真を見るだけでも、懐かしさで胸が張り裂けそうなのだが、ロボット達のその後がどうなったのか気になる。出来れば22体全部の今を知りたい・・・。
こちらのブログに書き込みありがとうございました。
青少年公園のロボット間閉館後、ほぼ同じ場所に愛知県児童総合センターが開館し、演奏ロボットなど一部はそこで展示、そして定時には演奏もしていました。
愛地球博ではその建物ごとひとつのパビリオンとして転用していたことから、万博期間中でもあのロボット館のロボットが、35年のときを経て再び万博舞台で活躍していました。
さらに愛地球博では、最新のロボットもその建物にロボットステーションとして集めていたため、新旧のロボットたちのコラボレーションといいますか、とても面白かったです。
ちなみに、愛知県児童総合センターはまもなく再開されるようですので、あのロボットたちにも会えると思いますよ。
愛知万博の遊び記をHPに書いていました。よろしければ。
http://homepage1.nifty.com/~leon/fukumoto/tabi_expo2.htm
でも、これらのロボットをそのまま埋もれさせるのも残念ですよね。どこかで展示してくれないのでしょうか?卵をつぶさずに持てるロボットや、2足歩行のできるロボットなどが出来ている現代、もっと以前に出来ていたロボットだけが忘れられていくのは悲しい事ですね。
おりがみが最初に「ロボット」ということばを知ったのは「鉄腕アトム」の漫画。今のコはもっと刺激の強いロボットの出てくるアニメを見てるようですが・・「アトムが基本でしょ?」とかおばちゃんは思っています。
今働いている保育所には古い古いアトムの紙芝居がありまして・・
プルートゥが出てくる「地上最強のロボットの巻」は何度読んでも・・おとなが泣けます。
6体は、愛知万博で展示されて、そのまま今後も出るという事でいいのではないでしょうか?
その他、ゆうばりロボット大科学館にいるという情報や、
http://www.tbs.co.jp/f-hakken/mystery738_1.html
>1970年の大阪万博で公開されたロボットたち。現在は北海道夕張市の「ゆうばりロボット大科学館」にいます)
手塚プロが引き取って、アトム展で使ったものもありますよ。(じゃんけんするようなロボット等)
ぜひ、22体探して下さい!
そういえばエキスポランドのほうにありましたね。
建物の中の記憶は無いのですが・・・
当時私の家は、万博まで徒歩圏内。
夕方からの割引入場券で10回くらい行きました。
(涼しかったからと母親は言います)
その時刻には団体さんはすでに帰っており、会場は空いており、全く並んだ記憶がありません。
で、この万博を体験しているので、
つくばも花博も愛知も(申し訳ないのですが)
全く行く気にならないのです・・・。
20年ぶりくらいで、愛知に行く機会がありますので、4歳の息子を想い出のロボット館に連れて行こうと考えていたのですが・・・。
そうですか、いまやあの施設は無いのですか。
とても、寂しく、残念です。
あの、薄暗い建物の中のロボット達は確かに強烈なインパクトがあり、ロボットを身近に感じさせてくれる施設でした。
入り口を入って直ぐのところに、横たわったスペクトルマン(みたいな)ロボットがいましたよね?
スペクトルマンが横たわっているベッドには、裏表があって、表はスペクトルマン、裏はその内部メカみたいな・・・。
懐かしいなぁ・・・。
貴殿のHPのおかげで無駄足を踏まずに済み助かりました。ロボット館は諦めます。
因みに、栄の科学館はまだ有りますよね?
自分が名古屋に住んでいたのは、もう30年以上前になります。10年程前に引っ越してから初めて名古屋を訪れたのですが、その際には残念乍ら愛知青少年公園に行く事が出来ませんでした。当時でも街中は大変貌を遂げていましたが、何でもこの所の名古屋は非常に景気が良いという事で、今はもっと変わっているんでしょうね。
ロボット館が未だ在れば、御子様もさぞかし喜ばれたでしょうね。今も昔も子供はロボットが好きですし、ああいうレトロなロボットは逆に今の子供達には新鮮に感じられたでしょうし。
スペクトルマンみたいなロボット、在りましたねえ。雄助様の記述で忘却の彼方から一気に記憶が蘇りました^^。ロボット館をプロデュースした手塚治虫氏は、そもそもグロテスクな存在にも愛情を感じ、特にメタモルフォーゼ(変身、変形)に強い興味を持っておられましたので、ロボット達の中にはグロテスクさを感じる物も在った様に記憶しています。懐かしい写真が載っているブログを見付けましたので、紹介させて貰いますね。
http://norimi.blog45.fc2.com/blog-entry-59.html
「栄の科学館」とは、プラネタリウムの在った名古屋市科学館の事でしょうか?それならば未だ在るみたいですね。こちらの情報(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%B8%82%E7%A7%91%E5%AD%A6%E9%A4%A8)によると、18年前に大改修が行なわれたそうです。
そう言えば、正式な名称かどうかは定かではないものの、”交通公園”という所に良く行きました。多分青少年公園から近かった様な記憶が在るのですが、小高い丘に象やキリンの大きな像が立っている所だったのですが、今でも在るのでしょうかね。
今後とも何卒宜しく御願い致します。
記事でも書いたのですが、我が国ではロボットに対して友人の様な親しみを覚えるのに、概して海外では希薄なのは手塚治虫氏の存在が大きいと言われていますね。人間の身体をしたアトムが、人間達の為に涙し、そして闘ってくれたという漫画(アニメ)の影響はかなりのものだったという事でしょう。唯、「スター・ウォーズ」のC-3POやR2-D2の人気も在って、最近では海外でもロボットに対する感情は変わってきているでしょうが。