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「屋根3分の2、尖塔崩落=世界遺産のノートルダム大聖堂-鎮火に半日以上」(4月16日、時事通信)
フランスのパリ中心部に在る観光名所のノートルダム大聖堂で、15日午後6時50分(日本時間16日午前1時50分)頃、大規模な火災が発生し、屋根の3分の2と尖塔が焼け落ちた。消防当局は16日午前(同夕)、「完全な鎮火。」を宣言した。当局は出火原因の特定と修復に向けた被害状況の確認を急ぐ。
大聖堂は老朽化が進み、尖塔を中心に大規模な改修工事が行われていた。火元は、屋根に組まれていた作業の足場付近と見られている。火災は瞬く間に広がり、木材が多く使われた高さ約90mの尖塔は、約1時間で崩落した。
消防当局は約400人の隊員を動員し、大聖堂の外側と内側から消火活動に当たったが、完全に消し止める迄に、半日以上を要した。
一方、正面の2基の塔は焼失を免れた他、大聖堂の柱やアーチ等の内部構造は無事だった。大聖堂の司祭は仏BFM TVに対し、イエス・キリストが十字架に処される際に被っていたとされる「茨の冠」等の重要な文化財は、「消防隊員により、無事に運び出された。」と語った。
マクロン大統領は15日夜、「最悪の事態は免れた。我々は、大聖堂を再建する。」と明言。「世界中から寄付金を募る。」と訴えた。仏当局は聖堂内のステンド・グラスや絵画等の被害状況を確認し、一刻も早い修復に着手する方針だ。
検察官は16日、記者団に対し「意図的な行為を示す物は、何も無い。」と述べ、「出火原因は放火では無く、失火と見られる。」と説明した。仏メディアによると、司法当局が既に現場作業員から聞き取りを行った。
大聖堂は1345年の完成以来、大きな火災に見舞われる事無く、フランス革命や2つの大戦も生き延びた。1991年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録され、毎年約1,300万人の観光客が訪れる。
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今から25年前の1994年、ヨーロッパを旅した際、フランスも訪れた。ヴェルサイユ宮殿やルーヴル美術館、凱旋門、シャンゼリゼ通り、モンマルトル、オ・ラパン・アジル等を回ったのは、今も記憶に深く刻まれているが、残念な事にノートルダム大聖堂は訪れなかった。
其の完成から674年の間、幾多の危機を乗り越え、荘厳な姿を保ち続けて来たノートルダム大聖堂が火に包まれていた。ニュース映像で、尖塔が崩れ落ちる場面を見た時、思わず「あっ・・・。」と声が出てしまった。
バーミヤンの摩崖仏がターリバーンによって破壊される場面を目にした時、同じ様に声が出てしまった。そして、何とも言えない胸の痛みを感じた。
バーミヤンの摩崖仏の様に、人為的な破壊では無いけれど、3年前の熊本地震によって熊本城の天守閣が大きな被害を受けたのを目にした時も、全く同じだ。
“諸行無常”と言う。「此の世の中に存在する“形在る物”は、何時かは滅びる(壊れる)。」というのが“自然の摂理”なのだろうけれど、ノートルダム大聖堂が大きな被害を受けた事は、本当に残念だ。