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「橋下徹氏“LGBT発言”杉田議員バッサリ『日本で一番生産性が無いのは御前だ。』」(7月30日、スポニチ)
自民党の杉田水脈衆院議員が、性的少数者(LGBT)カップルを「生産性が無い。」等と指摘した事が物議を醸し、多方面から批判の声が上がる中、前大阪市長の橋下徹氏(49歳)が「日本で一番生産性が無いのは御前だ」と、同議員を激しく非難した。
26日に放送されたAbemaTV「橋下徹の即リプ!」では、番組に寄せられた同議員への批判を紹介。橋下氏は「ネットの中には、所謂“国士気取り”、“威勢の良い事を言っている様な人”を応援する人が一部居る。」とし、杉田議員は「そういう人達から拍手喝采を受け乍ら、此の路線でずっと遣って来た人。」と指摘。其の上で「表現の自由も在るし、特定の個人の名誉を毀損しない限り、個人の考え方なのだから、其れは良い。唯、僕は絶対に反対。日本の中で、一番生産性が無いのは御前だ。阿保か。税金使った国会議員の中で、何の生産性も無い。」と、杉田議員の言葉を引用して糾弾した。
又、同議員が嘗て「日本維新の会」から出馬したことを振り返り「ポンコツの一人。(責任の一端は在るから)済みません。」と謝罪する場面も在った。要請を受けて選挙応援に行ったにも拘らず、一度落選すると橋本氏を批判して来た事も明かして、「『自分は保守。』、『国を背負っている。』とか言っている保守気取りの人って恩知らずが多い。」とばっさり。更に「其の後、一生懸命“国士気取り”活動遣っている中で目に止まったのか、自民党で出て(選挙に)通った。」とし、「自民党の一部議員の中には、結婚は男と女じゃ無いと駄目、事実婚は駄目だというメンバーも居る。だから野党が『関係無いじゃん。』っていう様な新しい政治を打ち出さないと。」と訴えた。
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杉田議員のLGBTに関する記事が明らかになって少し経つが、余りに馬鹿馬鹿しい主張なので、此処で取り上げる気にもならなかった。でも、橋下氏が“珍しく”真っ当な主張をしので、取り上げる事にした。
杉田議員の過去の主張の数々を見ると、「多様性を一切認めず、自分の考え方こそが唯一無二的に正しいとする排他性。」が強く感じられる。「表現の自由も在るし、特定の個人の名誉を毀損しない限り、個人の考え方なのだから、其れは良い。」という橋下氏の主張は一面で正しいが、国民の代表たる国会議員の杉田議員が「“公の場”で“マイノリティーの人達”を、『マイノリティーで在るが故に差別(彼女自身は「区別」という言葉を用いている様だが、考え方としては「差別」以外の何物でも無い。)しても構わない。』と“実質的”に主張している。」のは問題と言わざるを得ない。
彼女の主張は、「劣性民族は、排除して構わない。」としてユダヤ人を大量殺害したナチスの優生思想と一緒。「自分に阿る人間だけが“国民”で在り、少しでも批判する人間は“敵”で在り、“非国民”と考えている様な安倍晋三首相だからこそ、批判者を“こんな人達”と呼んだ。」訳だが、杉田議員にとってLGBTの人達は排他の対象で在り、国民と見做していないのだろう。税金を払っている以上(意図的に納税を逃れている場合は別だが。)、LGBTの人達が『生産性が無い。』なんて言われる筋合いは全く無いのに。
今回の問題を受けて二階俊博幹事長は「右から左迄各方面の人が集まって、自民党は成り立っている。(嘗ての自民党は確かにそうだったが、今の自民党は「右から極右迄」というのが正しい様に思うけれど。)別に大きな驚きを持っている訳では無い。」と杉田議員の主張を問題視しないスタンスを見せていた。(そう話す二階幹事長の真横には「“言うだけ番長”で在り、“自民党の瓦斯抜きシステム”でも在る小泉進次郎筆頭副幹事長。」が、「同感です!」といった顔で平然と立っていたが。)杉田議員は、「今回の発言を支持してくれる自民党議員が何人か居る。」事も明らかにしている。
表立って今回の発言を問題視した自民党議員は、自分が知る限り石破茂元幹事長と稲田朋美元防衛大臣位。「優生思想が満ち、杉田議員の主張を全く問題視しない。」というのが自民党ならば、其のスタンスこそが問題と思うのだが。
なのでこれまでの私のコメントからは、あるいは意外と思われるかもしれませんが、ことLGBTに関してはそれがあやふやになってしまいます。
LGBTの人たちが自ら進んで(趣味や嗜好で)そういう精神構造を取得したわけではなく、好奇の目や差別にさらされる環境に置かれている状況についても、理性では理解しつつも体質的というか、本能的に受け入れ難いというのが正直なところです。
両性を持った生命が、それぞれの性の役割に従って次代の命を生み、子孫が受け継がれ種が保存されるていくという、両性生物の根源的なところが真っ先に頭に浮かんでしまい、それを否定ないし無視するかのようなLGBTの存在には否定的になってしまうのです。
種の保存に直接参加できなくても、別の方法で種の保護には参加できる、という風に「本心」から思えるようになるまで、まだ時間がかかりそうです。
優生保護思想については、正直若い頃はそれに共感したこともありました。ダーウィンの進化論を浅く捉えていたのです。
環境に適応する能力を持った優秀な種が生き残り、適応できないものは自然淘汰されるのだから、淘汰されるべき者を救うのは自然の理に反しているし、それが足枷となり種全体を弱くすると。
しかし、人間とは実に身勝手なもので、自身が心臓に先天性心臓疾患を持っているとわかると、劣性な者は淘汰されるべきとの考えは吹っ飛び、医学のお世話になった次第(苦笑)。
自然淘汰はあくまで自然が善悪を超えてなすもので、人間が手前勝手な理屈をこねて淘汰するのは、自然に反すると今では思うのです。
弱者にとって住みよい社会は強者にとってもより快適な社会、という考え方に出会い目を開かれた思いがあります。
とはいえ、今でも本能の片隅にそういった暗い価値観が潜んでいて自己嫌悪することもあります。
困ったことですが。
十人十色と言いますが、人の考えも正にそうで、色んな考え方が在って良いと思います。LGBTに対する考え方も同様で、「受け容れ難い。」という思いが在っても、其れは個々人の自由でしょう。喩えは相応しく無いかもしれませんが、「基本的には反権力の自分でも、プロ野球に関して言えば、“権力の権化”の様なジャイアンツを応援している。」という現実が在ります。(元々、王貞治選手が大好きで、其の流れとしてジャイアンツ・ファンになったという経緯が在るのだけれど。)又、アンチ・ジャイアンツの人達に、「ジャイアンツ・ファンになれ!」と強いるのも、おかしな話だと思うし。
唯、「心の中で思う事」は個人の自由なれど、「公言し、尚且つ排除の方向に向わせ様とする事。」とは自ずと違い、後者の場合、政治家は特に身を律しないといけない。そういう意味で、今回の杉田議員の主張は「アウト。」だと思います。
「弱者にとって住み良い社会は、強者にとってもより快適な社会。」というのは、面白い観点ですね。「面白おかしく他者を排除する人間は、気付いてみれば自分自身が排除される側に回る。」というのは歴史からの教訓ですが、常に「相手」と「自分」という物を置き換え、其の場合にどう感じるだろうか?という事を念頭に置きたい物です。
杉田議員の、生産性がない、とは、如何にも保守らしい意見で、別段ショッキングでもないのですが、戦前の家制度から見た意見に過ぎないでしょう。そうではなく、民の世界には、家族に等しい、と打ち解けられるほどの、ソウルメイトを作る事も出来、それをもってこそ、LGBTの意見を聞くべきだと思います。つまり、家族らしい集団というのは、良好な人格や社会性によって生まれるもので、それをもって生産性があるやなしやの議論とすべきと思います。
LGBTといえば、エイズといった性病の問題もありますし、米軍にトランスジェンダーを受け入れる、という事もあると思います。ヒッピー的な文化が、その対極にあった筈の、国家に広がりつつある、というのは時代の流れだと思いますが、この人権擁護の大きな潮流は、国家に対する、個人の人権によって暴力の発動を止める、核を使わない、民間人を殺さない、といったような、組織から独立した行動者を尊いと観る時代になって行くと思います。特に、軍隊などでは組織の命令は絶対でしょうが、米国の対テロ戦争、というのはワンサイドではなく、両眼から観た正義、弱者への国家による武力もまたテロであるとする、公平性の下に遂行されるべきです。
抑、「生産性が在るか否か。」という概念を、「人の生き方」に当て嵌め様とするのが個人的には疑問な訳ですが、敢えて当て嵌めるとするならば、「行き場を失った子供を引き取り、“家族”として育てるLGBTのカップル。」というのも居る訳で、そういうのは「生産性が無い。」と杉田議員は捉えるのだろうか?逆に「子供を産んでも、育児放棄で殺してしまうLGBTでは無いカップル。」というのも存在し、そういうのはどう捉えるのだろうか?
過去に何度か書いている事ですが、極右とか極左とかいう極端に振れた思考の人達は“概して”、「〇〇ならばXXで無ければならない。」といった“MUST論”を振り翳す人が目立つ。又、「自分や御友達には大甘だけれど、他者には異常に厳しい。」という面も。声高に主張する以上は、相手がどういう人や組織で在っても、“同一の判断基準”を保たないと、何の説得力も持ち得ないと思う。