父が病気で急死したのは、自分が十代半ばの頃。其れから10年程後、社会人となっていた自分は、母の何気無い一言に驚かされた。休日の夕食時だったと思うが、TV番組で「生命保険に関する特集」を見ていた際、母が「御父さんは(外資系の保険会社)XXに入ってた筈なんだけど、保険証書が見当たらなかったのよ。」と。「えっ、何其れ!?」と聞き返す自分。母の話によると、亡くなる半年程前に父が「今入っているのに加えて、XXの生命保険にも入る事にしたから。」と言っていたのだとか。
「父から渡された生活費以外、基本的に金銭面はノータッチ。」というのが、新婚時代からの母のスタイル。其れ故、父が急死した際、「何処の銀行に、幾ら貯金が在るのか?」が母には良く判らなかった。ましてや「何処の生命保険会社と、どういう契約を結んでいるのか?」なんて、判る訳も無い。家庭用金庫の中に貯金通帳や保険証書が入っていたので、何とか把握する事が出来たのだけれど、父が言っていたXXの保険証書は見当たらなかったと言う。
「何で(当該する)保険会社に確認しなかったの?」と問う自分に、「だって保険証書が見当たらないし、そんな状況で確認したって相手にもされないと思ったし。」と答えた母。「保険料を自動引き落としにしていたならば、父が亡くなって以降は引き落とせない事から、保険会社から何等かの連絡が在ったろうから、結局は加入してなかったのではないか?」、「否、もしかしたら保険料が引き下ろせなかった時点で、自動解約になってしまったのかも。」、「父が亡くなったのを知った保険会社が、保険金請求の手続きが無かったのを此れ幸いに、黙りを決め込んだのかも。」等々、母と様々な可能性を話したけれど、「請求手続きの時効も在るだろうし、今更どうこう言っても仕方無い。」という結論に到ったのだった。
仮に保険証書が見当たらなかったとしても加入確認は出来たのかもしれないが、家長を突然失って茫然自失の日々を暫く送っていた我が家では、「生命保険関連の知識」が乏しかった事も在って、確認するというアクションすら取れなかったのだ。今ならば、何等かのアクションを取るだろうけれど。
「東日本大震災」では、津波によって多くの人命が失われた。近しい人間を失った哀しみは想像するに難くないが、自らの経験も在って、「親を亡くした子供達の哀しみ」に取り分け思いを馳せてしまう。中には両親を失った幼子も居るそうで、本当に遣り切れない。「子供は国家の宝」で在り、孤児達は社会全体で育てて行かなければいけないと思う。
津波が奪ったのは人命だけで無く、数多の家屋や家財をも奪い去った。流された預貯金の通帳や印鑑、保険証書等も莫大な量になる事だろう。仮に預貯金の通帳や印鑑等が無くなってしまったとしても、本人確認が取れれば預貯金は引き出せるが、預貯金の通帳等を全面管理&把握していた者が亡くなってしまった場合は、残された者が全容を把握するのは非常に困難。残されたのが幼子だけ・・・なんていう場合は、御手上げ状態と言っても良いだろう。
「そういうケースに備えて、『預貯金や生命保険の詳細』をリストアップし、尚且つ複数ヶ所に保管しておいた方が良い。」という記事が、先日の新聞に載っていた。天災のみならず、自分の様なケースも在るから、此の様な対策は必要と思う。斯く言う自分は、上記した母との会話以降、リストを作成&更新し続けている。
もしもに備えての準備は「貴重品はひとつにまとめて、いつでもすぐに持ち出せるようにしておく」事と、「大事なことはリストにして、家族に周知しておく」事ですね。とはいえ、頭で分かっていても、これがなかなか出来そうで出来なくて・・・。
「子孫に財産は残さず」を実践された先人もおられるようですが、遺産争いの禍根を残すくらいなら、いっそ財産など残さないほうが良いという考えもあり、丈夫な身体と生きる知恵を授けておくだけで十分、というのもいらぬ気苦労を後に残さない考え方かも。
我が家の場合は、私が若い頃に先天性の心臓疾患が見つかり、生命保険に加入を断られて以来生保とは無縁で、妻子に残したくても残せる財産というほどのものも無く、ただただ死後に借金を残さない事だけを肝に銘じている次第です(苦笑)。
自然派化粧品の店をチェーン展開する「ザ・ポディショッブ」。其の創業者アニータ・ロディックさんは常々2人の子供に一切財産を残さないと話していましたが、実際に亡くなられた際、約112億円の資産は環境保護や人権擁護等を行う慈善団体に寄付されました。2人の子供も母親の主張に全く異議を唱える事が無かったというのですから、親子揃って天晴れ。マイクロソフト社ののビル・ゲイツ氏や俳優のジャッキー・チェン氏も同様の主張をされていますが、中々出来る事では無いですね。
なかなか作れずにいます。
これぞ、更新する時に
「今日まで使わずに済んでよかった」と
思う「保険」ですよね。
いや、簡単なようで
なかなか出来ることではないですよ。
何も無ければ、無駄としか思えない保険料。しかし予期せぬ出来事が起こった際には、「入っていて良かった・・・。」と思うのが保険。「保険料=安心料」とは良く言ったものです。
「~に備えておかなければ。」とは思うものの、中々其の備えをするのが億劫で、「其の内に備えれば良いや。」となってしまうのが人間なんですよね。