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私には東北で医師をやっている友人が多いが、彼らが口をそろえた。
「今度の震災で、我先に逃げた医者が帰って来ないんだよ。逃げたのは、平時から医者には向かないなァと思ってたヤツが多くてさ。高校時代に偏差値が高くて、本当は別のことやりたいのに、もったいないから医学部受けさせられたんだろうな。不幸なヤツらだよ。」
判でおしたように同じことを言うのには、笑った。
人生のゴールが大差ない場合もあると考えると、自分の思う道を選ぶ生き方は、ひとつの選択肢だと思えてならない年代になった。
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タイガースが日本一に輝いた1985年、今は無き情報誌「週刊就職情報」のCMで使われていた言葉が流行語となった。ピンク色の貝を背負った人達が登場するのだが、其の貝は「ヤリガイ」と呼ばれ、背負っている人達が従事する仕事の「遣り甲斐」に応じて、大きさが異なるというコンセプト。(動画)
週刊朝日に脚本家の内館牧子さんが「暖簾にひじ鉄」なるコラムを連載されている事は、当ブログでも何度か紹介しているが、1月27日号では「華やかな経歴」というタイトルで「生き方」に付いて記されている。冒頭で紹介したのは、其の締めの部分だ。
或る日、電車のドア近くに立っていた内館さんの耳に、背後で交わされている会話が聞こえて来た。40代前半から半ばと思われる2人の姉妹が会話の主。
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「息子の人生だからしょうがないけど、夫も私も諦めきれないのよね・・・。」
「わかる。メチャクチャ優秀だもんね、あの子。」
「そういうこと言わないでよ。ますます悔しくて死にたくなるから。」
「ごめん。」
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話の内容からすると、姉には非常に優秀な1人息子が居り、今年、大学受験。高校でもトップクラスの成績で、最難関ランクの国立大学の看板学部にも合格確実という状況で、実際に其の息子自身もずっとその国立大学を目指して勉強していたらしい。しかし突然、「俺、XXになりたいから、大学に行かねえ。」と宣言。「XX」とは彼がどうしても遣りたい職業なのだが、「国家試験で認定される職種でも無く、大きな組織に入って保証される仕事でも無く、要は本人の才能や努力や運や、後は予測の付かない偶然や力等が作用したりして成し得る職種。」と内館さんは説明している。「“寄らば大樹の陰”的な、安定した仕事に就いて欲しい。」と願い続けて来た姉(及び其の夫)の悔しさ、そして其の心中を思い遣る妹との間で交わされた会話だったのだ。
「姉の悔しさ、衝撃は無理もない。私も四十代半ばでその状況に置かれたら、世の中がいやになるかもしれない。」とした上で、「でも、今の私はそうとも思えないのである。」と内館さんは記す。
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もちろん、最難関ランクの国立大学を出ることは、何かと陽が当たる。大企業に就職するにも、官僚になるにも、婚活にも有利だろうし、周囲の見る目が違うということもあろう。
実際、そういう男たちをたくさん見てきた私は、彼らこそが人生の「勝ち組」なのだと、四十代くらいまでは信じていた。その時点では、彼らの華やかな経歴と社会的立場に齟齬がなかったからである。
しかし、彼らが定年の時期を迎え、私もその年代になった今、「人生のゴールって、誰も大差ないのかも。」と思うことが増えてきた。定年の年代になると、華やかな経歴を持つ人たちも、そうでない人たちも、同じ状態になっていたりする。あれほどすばらしい経歴の主が、まったく陽の当たらないところで、くすぶっていたりする。
むろん、すべての人がそうだというのでは決してないが、華やかな経歴が何の役に立ったのだろうかと、人生の不条理を感じてしまうことも、少なくないのである。その経歴を得るために、子供の頃からかなりのことを犠牲にもしたであろうに、ゴールが他と大差ない今、人生をどう思うのだろうと感じたことも、少なくはない。
私が四十代の母親なら、あの姉と同じ嘆きを持っただろうが、今は華やかな経歴の不条理を、息子に味わわせる方がいやである。
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「ヤリガイ」ならぬ「遣り甲斐」を何に感じるかは、当然乍ら人其れ其れ異なる。どんな“道”を歩んで来ようとも、人生の最後に「遣り甲斐の在る人生だった。」と微笑む事が出来る者は、本当の「幸せ者」だと思う。
老人福祉の場合は金になりませんから、高邁な考えで福祉の大学に入った者も大卒後は全く違う職業に就くほうが多いです。
そういう私も高校時代は学生運動にかぶれましたが、あれも結局先輩方、一部の教員、時流が敷いた道に乗っただけだったのだと感じることがあります。あの当時の仲間の多くは学校主催の同窓会には出てきません。同窓会に出て楽しくやっているのは当時ノンポリでそこそこ社会で恵まれている者です。残酷な物です。
さくらももこさんが、漫画家デビューまでの道のりを描いた漫画の最後のコマで、「そう、デビューまでが夢。デビューしてからはひたすら現実なのであった…」と書いていらっしゃるとともに、別の作品では、未来にタイムスリップしてきたちびまる子に「毎日楽しい?」と聞かれて、満面の笑みで「うん!」と頷く自画像を描いていらっしゃいます。
彼女のように芸術の道に進む場合はもちろんのこと、どのような分野でも、知識や技能を身に着けるための膨大な勉強や、実際に仕事をこなしていくには、あこがれや義務感や名誉欲だけでなく、仕事にまつわる悲喜こもごもの中で、自分なりに意義を見出していかないとモチベーションがもたないのでしょうね。
あと、他人が苦も無くこなすことが苦手な一方で、苦戦する人が多い事柄が得意な人もいます。就業後の自己肯定感という観点から考えると、一般的な難易度の位置づけではなく、あくまで自分にとっての難易度の位置づけで仕事を選択した方が良いのではないかと思います。もちろん、ある程度やってみないと何が苦手で何が得意かはわからないことが多いですし、あこがれの分野=自分にとって難易度の高い分野だったりして葛藤も生じますが。
幼少期、大人達が指摘する事柄に疑問を感じたり、強い抵抗を覚えたりした事が、誰しも在ったのではないかと思います。しかし自分自身が「大人」と呼ばれる年代になると、嘗て疑問を感じたり、強い抵抗を覚えた事が、「彼の時、大人達が指摘してた事は正しかったんだなあ。」と思ったりもする。其の時には自分の中で真剣に考え、「間違い無い。」と確信した事でも、“社会経験”を積む中で「違った見方も在ったのだなあ。」というケースは結構在る。我々が子供だった自分よりも遥かに多くの“情報”に触れる機会が在る今の子供達も、「人から与えられた情報に基づいて下した結論」と「自らが経験して得た情報に基づいて、将来下すで在ろう結論」とは、同様に違うケースが多い事でしょうね。
好きな事で在っても、其れを“趣味”として行っているのと、“仕事”として行っているのでは、自ずと異なる部分が多い筈。さくらももこさんの話と通じる事ですが、或る小説家が「作家デビューする前、即ち趣味で小説を書いていた時代は、自分が書きたい事を、其の儘書くだけで良かった。しかし作品を多くの人に購入して貰い、其れで生計を立てなければならない状態、即ち仕事として小説を書く上では、『読者のニーズが何処に在るのか?』を的確に捉え、時には自らが書きたくもない事柄も書かなければいけなかったりする。」といった趣旨の事を書いていました。どんな仕事でも大変さは付き物ですが、大変な中にも「充足感」を感じ得る職業に就けた人は、幸せと言えるんでしょうね。