ドラえもんの秘密道具に「流行性ネコシャクシビールス」というのが在る。ビールスを培養し乍ら「○○が流行る。」と言い聞かせ、或る程度増殖した所でビールスを風に乗せ散布すると、一定地域でその○○が実際に大流行するという仕組み。「履いた長ズボンを地面に引き摺り乍ら、ゴミ箱を常に持ち歩き、人と会ったら『あっかんべー』をするのが流行る。」等、ドラえもんやのび太が滅茶苦茶な指示をして、実際に街中の人がその流行に乗ってしまうという話。「ジュースの王冠集めが流行する。」と命じた際には、ジャイアン達が必死で王冠集めする姿が面白かった。
ジュースの王冠なんぞ、それに興味を持つ人が居なければ、用を足した後は単なるゴミ。少なからずの人が王冠に何等かの価値を見出せば、それは宝物としてコレクションする者が出て来る訳だ。
タレントの伊集院光氏が自著「のはなし」の中で、「『牛乳』の話」というのを書いている。彼が小学生だった時、彼と友人2人の間で給食に出る牛乳のキャップ集め競争が始まったと言う。「牛乳キャップを沢山持っていると偉い。」みたいなノリで始まったのだが、それがクラス中にブームとなって広がって行った。やがて枚数を競い合うのでは無く、如何にレア物かを競う様になり、例えば「キャップに穴が開いていない物が価値が高い。(当時は千枚通しの様な針の付いた『牛乳キャップ開け』が在り、それで刺して開けるので、キャップに穴が開くのが普通だった。)」とか、「日付の刻印が中央にきちんと押されているのが価値が高い。」等の格付けが出来上がって行ったのだとか。
そして或る日、同級生の一人・中村君が「物凄いのを手に入れたぞ。」と或る牛乳キャップを持って来た。見た目は何の変哲も無い牛乳キャップだったが、中村君の説明に一同は驚愕する。その牛乳キャップに印字された日付は土曜日、即ち給食の無い日の物だったからだ。「凄い!」と皆が羨望の眼差しで見詰め、それから同級生達はその“幻の牛乳キャップ”を手に入れようと、様々な交換条件を中村君に持ち出す。結局は一人が「普通の牛乳キャップ30枚」との交換で話が付く事に。
それ以降、中村君は珍しい牛乳キャップを次々に学校に持って来る様に。(給食で出される牛乳のキャップとしては白地に青というのが普通なのに、白地にオレンジのキャップを持って来る等。)その度に同級生達は「掃除当番を代わるから。」、「家迄ランドセルを持つ。」、「使わなくなった玩具と交換する。」等の交換条件を出し、挙句に現金と交換する者迄現れたのだと言う。「単なる牛乳キャップ」が、「通貨」の意味合い迄有した訳だ。
その内に「一体、中村君はどうやって珍しい牛乳キャップを得ているのだろうか?」という疑問が同級生の間に湧き、伊集院氏を含めた有志が中村君の後を付ける事になったのだが、中村君が行き着いた先は駅傍のミルクスタンドの裏。何の事は無い、中村君はゴミ箱の中から大量の牛乳キャップを拾っていた訳で、伊集院氏達も他の駅々のゴミ箱を漁り、ごっそりと“御宝”を家に持ち帰った。
ところが家に着いてその御宝の山を目の前にした時、一人が「・・・何か臭くない?」と言った。その瞬間、皆はその御宝がゴミで在る事に気付き、「もう牛乳キャップを集めるのは止めようぜ。」という事になったのだとか。それで一気にブームは終息する事になったというのが笑えた。
思えば自分が幼かった頃にも、似た様な話は在ったっけ。学校でロッテのチョコレート菓子「はりはり仮面」のおまけシールが大流行した際は、如何にレア物を手に入れるかで皆は躍起になり、誰かが「XXの絵のシールは珍しい。」と言えば、そのXXの絵のシールを持っている同級生に“商談”を持ち掛ける者が居た。交換条件は、伊集院氏達の場合と大差無い。
【BOXYのボールペン】
「ガチャガチャでゲット出来るスーパーカー消しゴムを、BOXYのボールペンで弾いて競う。」のが流行った際には、「消しゴムにバリが全く無いのは貴重品。」という事で、そういった消しゴム集めに皆が走ったもの。
「何に価値を見出すか?」というのは、斯くの如く間抜けな一面“も”有している物で在る。うちの父親は、マッチ箱の収集をしていた。喫茶店等の店々に置いてあるマッチ箱を集めていたのだが、懇切丁寧にも一箱一箱、傷まない様に細工を自身で施していた。マッチ箱を綺麗に解体し、内面に薄い板を張り付けて補強、そして再び元通りに張り合わせるという細工で、家族は「たかがマッチ箱に、何で其処迄するかねえ。」と苦笑していたもの。
父が亡くなった際、収集していたマッチ箱がごっそり出て来た。あれだけ馬鹿にしていたけれど、父の思いが詰まっている様に感じられ、捨てられずに今に到っている。
ジュースの王冠なんぞ、それに興味を持つ人が居なければ、用を足した後は単なるゴミ。少なからずの人が王冠に何等かの価値を見出せば、それは宝物としてコレクションする者が出て来る訳だ。
タレントの伊集院光氏が自著「のはなし」の中で、「『牛乳』の話」というのを書いている。彼が小学生だった時、彼と友人2人の間で給食に出る牛乳のキャップ集め競争が始まったと言う。「牛乳キャップを沢山持っていると偉い。」みたいなノリで始まったのだが、それがクラス中にブームとなって広がって行った。やがて枚数を競い合うのでは無く、如何にレア物かを競う様になり、例えば「キャップに穴が開いていない物が価値が高い。(当時は千枚通しの様な針の付いた『牛乳キャップ開け』が在り、それで刺して開けるので、キャップに穴が開くのが普通だった。)」とか、「日付の刻印が中央にきちんと押されているのが価値が高い。」等の格付けが出来上がって行ったのだとか。
そして或る日、同級生の一人・中村君が「物凄いのを手に入れたぞ。」と或る牛乳キャップを持って来た。見た目は何の変哲も無い牛乳キャップだったが、中村君の説明に一同は驚愕する。その牛乳キャップに印字された日付は土曜日、即ち給食の無い日の物だったからだ。「凄い!」と皆が羨望の眼差しで見詰め、それから同級生達はその“幻の牛乳キャップ”を手に入れようと、様々な交換条件を中村君に持ち出す。結局は一人が「普通の牛乳キャップ30枚」との交換で話が付く事に。
それ以降、中村君は珍しい牛乳キャップを次々に学校に持って来る様に。(給食で出される牛乳のキャップとしては白地に青というのが普通なのに、白地にオレンジのキャップを持って来る等。)その度に同級生達は「掃除当番を代わるから。」、「家迄ランドセルを持つ。」、「使わなくなった玩具と交換する。」等の交換条件を出し、挙句に現金と交換する者迄現れたのだと言う。「単なる牛乳キャップ」が、「通貨」の意味合い迄有した訳だ。
その内に「一体、中村君はどうやって珍しい牛乳キャップを得ているのだろうか?」という疑問が同級生の間に湧き、伊集院氏を含めた有志が中村君の後を付ける事になったのだが、中村君が行き着いた先は駅傍のミルクスタンドの裏。何の事は無い、中村君はゴミ箱の中から大量の牛乳キャップを拾っていた訳で、伊集院氏達も他の駅々のゴミ箱を漁り、ごっそりと“御宝”を家に持ち帰った。
ところが家に着いてその御宝の山を目の前にした時、一人が「・・・何か臭くない?」と言った。その瞬間、皆はその御宝がゴミで在る事に気付き、「もう牛乳キャップを集めるのは止めようぜ。」という事になったのだとか。それで一気にブームは終息する事になったというのが笑えた。
思えば自分が幼かった頃にも、似た様な話は在ったっけ。学校でロッテのチョコレート菓子「はりはり仮面」のおまけシールが大流行した際は、如何にレア物を手に入れるかで皆は躍起になり、誰かが「XXの絵のシールは珍しい。」と言えば、そのXXの絵のシールを持っている同級生に“商談”を持ち掛ける者が居た。交換条件は、伊集院氏達の場合と大差無い。
【BOXYのボールペン】
「ガチャガチャでゲット出来るスーパーカー消しゴムを、BOXYのボールペンで弾いて競う。」のが流行った際には、「消しゴムにバリが全く無いのは貴重品。」という事で、そういった消しゴム集めに皆が走ったもの。
「何に価値を見出すか?」というのは、斯くの如く間抜けな一面“も”有している物で在る。うちの父親は、マッチ箱の収集をしていた。喫茶店等の店々に置いてあるマッチ箱を集めていたのだが、懇切丁寧にも一箱一箱、傷まない様に細工を自身で施していた。マッチ箱を綺麗に解体し、内面に薄い板を張り付けて補強、そして再び元通りに張り合わせるという細工で、家族は「たかがマッチ箱に、何で其処迄するかねえ。」と苦笑していたもの。
父が亡くなった際、収集していたマッチ箱がごっそり出て来た。あれだけ馬鹿にしていたけれど、父の思いが詰まっている様に感じられ、捨てられずに今に到っている。
王冠の裏のスーパーカー絵柄を御存知とは、流石同世代!うちも母親が飲料水嫌い(「飲むと骨が溶ける。」とか言ってたっけ。)でしたので、コカコーラを買ってくれたのはほんの数回だったと思いますが、裏面を確認する時のドキドキ感は堪らなかったです。
プロ野球スナックや仮面ライダースナックは、当時の子供達を魅了した御菓子でしたね。カードだけが欲しくて、肝心のスナックを食べないで捨ててしまう子供が居たりした事から、学校より“指導”が出たのを覚えています。
たしかに王冠の裏に、スーパーカーののっていた頃がありました。
しかし母親がジュース類が嫌いなので
買ってもらえなかったです・・
ほかにその頃の
「コレクションもの」としては
カルビーのプロ野球スナックがありました。
ただ巨人の選手が多く、
子供心ながら閉口した記憶があります・・
店内一面にガチャガチャが並んだ店というのを数年前に見付けたのですが、子供よりも大人の姿が目立っていました。「何が出るんだろう?」という好奇心を、実に上手く擽るんですよね。
自分がガキんちょだった時分は、うろ覚えですがガチャガチャは1回数十円(20円?)でした。今は100円が一般的な様ですね。
自分はキン肉まんの消しゴム集めてました。毎日100円のおこずかいは”がちゃがちゃ”で消えてました。あの頃は弟とこれで仲良く遊んでたな~
今回の記事、想像していた以上に多くの方が食い付いて下さったので嬉しいです。やはり子供の頃の「遊び関係」って、人それぞれに思い出深い物が在るのでしょうね。
メンコは自分も遣りましたが、駄菓子屋にて10枚幾らで売っている物を買って、それで遊んでいた様に記憶しています。絵柄は当時流行っていた特撮物で、スペクトルマンだったりライオン丸だったり。要領の悪かった自分は負ける事が多く、メンコを大分奪われていましたね。
牛乳瓶のパラフィンを用いたダーツ、これもクラスで遣っている奴が多かった。クラスメートの手だか足だかに誤って刺してしまった奴が居て、それで禁止令が出たっけ。
「爆発」と言えば、自分の子供の頃に流行ったのは「癇癪玉」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%87%E7%99%AA%E7%8E%89)。赤やら青やらの綺麗な玉を路面に叩き付け、爆発音を楽しんでいました。これも「危ない。」という事で、学校から禁止令が出ました。
上でてくっぺ様が酒蓋集めをされていたという書き込みをされていますが、自分が小学生の頃にスーパーカー・ブームが起き、同時期にコカコーラーの蓋集めがブームとなったのを思い出しました。うろ覚えですが蓋の裏には各種スーパーカーの絵が印刷されており、当たりと書かれた蓋をメーカーに送ると、関連グッズが貰えた様な・・・。
キーホルダー
おっとが山登った記念の品です。
飾るでなし、開けて見返すわけでもない。
引き出しのコヤシ。
私は捨てたくってうずうずですが・・。
私の場合コレクションのメインは切手ですが、日本、外国、未使用、使用済、さらに図案別、消印も、郵便局名や日付にこだわるなど、切手コレクター(郵趣家)もさまざま。
切手収集は趣味の王様と気取っても、興味のない人たちにとってはただの紙切れでしかないわけです。ただ、価値のつけ方が半端でなく、日本に数枚とか世界に1枚などとなると、オークションで数百万とか、億単位で取引されるのですから、ただの紙くずと笑って済まされませんね。
もっとも、私のコレクションなど自己満足で成り立っているだけで、日本切手未使用などはほとんどが額面割れ。郵便に使う分にはまだ額面の価値があるだけましだけれど、外国切手に至っては「楽しみ賃」を払ったようなもので、処分する際はほぼ無価値、つまりゴミのような存在です。割切って楽しんでいるのでいいようなものですが・・・。
資本主義の本質に迫る話ですね。
人々が価値が有ると思っていたものが、実はなんの価値もないものだった。
これが昨今の世界的な不況の原因ではないでしょうか。
それから酒ブタ集め。^±^
珍しいキャップや酒ブタを見せ合ってました。
今思えば、何が楽しいんだかわかりませんでしたが、それも宝物だったんですよね。