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大瀧(詠一)氏: 川上(哲治)さんは昭和21年の6月から復帰していて、開幕から巨人にいたわけではなかった。農業をやって母親と弟妹を養っていた。青田(昇)さんも軍隊にいたけど、わりと早くに復帰したんだよね?
― 戦後はすぐ阪急でプレーしていますね。
大瀧氏: だから青田さん、「なんで早く復帰しないんだ。カワさん、一緒にやろうや。」みたいなことを言っていたと。そしたら、川上さんから「いやいや、農作業も面白いぞ。」と言われて、「そうか、そんなに面白いんか。俺もやろうか。」って言ったら、「おまえにはできん。」って言われたそうなんだよね。それはその、川上さんが麦づくりをやっていて、麦にやる肥料、肥をね、水で薄めるときに、「なめて濃さを確かめるんだ。」って言うわけ。で、青田さんが「そんなこと、汚くて俺にはできない。」と言ったら、「おまえには農作業はできん。」と。
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1998年に発刊された雑誌「野球小僧」にて、高橋安幸氏が連載していた記事を元に、纏められた本が「伝説のプロ野球選手に会いに行く」。1965年生まれの高橋氏が、その現役時代を知らない“伝説のプロ野球選手達”に会いに行き、“今の彼等”に当時の話をインタビューしている。冒頭で紹介したのは、この本の巻末に載っている「ミュージシャンの大瀧詠一氏と筆者の対談」からの抜粋で在る。大瀧氏は熱狂的なプロ野球ファンで在り、ラジオ解説やスポーツ紙での評論もされた程。後に“打撃の神様”と呼ばれる様になった川上氏が、終戦直後に農作業に従事していた際の逸話だが、一つの事に対して半端で無い拘りを持つ川上氏の姿が感じられて興味深い。
取り上げられているのは苅田久徳氏、千葉茂氏、金田正一氏、杉下茂氏、中西太氏、吉田義男氏、西本幸雄氏、小鶴誠氏、稲尾和久氏、関根潤三氏という10人のプロ野球OB。1998年から2003年にかけてインタビューを行ったそうだが、現在では苅田氏に千葉氏、小鶴氏、そして稲尾氏と4人が鬼籍に入られている。日本プロ野球の黎明期を知る彼等の話には、今の球界にも通じる部分が在るのと同時に、失われてしまった部分も在ったりとなかなか面白い。10人全員に感じるのは、「記憶力が抜群に良いなあ。」という事。ウン十年前の試合の投球&打撃内容を、昨日の出来事の如く克明に覚えているのは凄い。これは現役選手にも言える事だが、超一流と呼ばれる人達は概して抜群な記憶力を有している様に思う。
面白いエピソードで溢れているが、その中から幾つか紹介したい。
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【千葉茂氏】
「2-3から絶対にヒットを狙わないんですよね。ヒットを狙っても確率は三分の一、でも、フォアボールなら5割の確率で塁に出られるという。」
【金田正一氏】
「ワシは20年間の現役のうち、15年は肘の故障で苦労したんだ。肘が痛くなかったら、こんなもん(400勝)で記録は終わってないって。はっはっは。」
【吉田義男氏】
「そのバントでボクが違う経験をしたのは、7年前、フランスで野球を教えていたときです。送りバントというものに対するフランス人の理念というんは、『なぜ自分が犠牲になって次の人に手柄を立ててやらなければいけないのか。』ということだったんです。そうじゃないんだ、と理解してもらうまでにはずいぶん、長くかかりましたわ。」
「バントというもんは。勝つためにものすごく大事やけど、あくまでも、次の人が打つための道具です。なのに、バントバント送りバント、そればっかりが表面に出てきて、あの年このチームはバントが多かったよなぁ、と思い出されるとしたら、やっぱり『面白くない野球や。』と言われても仕方ないんですわ。(中略)目立ってはイカンですよ、バントは。犠牲とか、そういうものは本来、目立っちゃいけないものなんでっせ。」
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「ボールが止まって見えた。」というのは川上哲治氏の有名な言葉だが、“和製ディマジオ”と呼ばれた小鶴誠氏もそういった経験が在ったと言う。又、稲尾和久氏の場合は42勝を挙げた1961年、非常に不思議な出来事を経験。開幕から2試合目位だったか、投球時に突然目の前に3つの升目が見えたと言うのだ。野村スコープやストラックアウトの的の様な物だと言って良いが、その3つの升目を目安に好投し続け、翌年以降はその升目が見える事は無かったとか。自分の様な凡人には理解出来ない、超一流だからこその経験というのが在るのかもしれない。
大瀧(詠一)氏: 川上(哲治)さんは昭和21年の6月から復帰していて、開幕から巨人にいたわけではなかった。農業をやって母親と弟妹を養っていた。青田(昇)さんも軍隊にいたけど、わりと早くに復帰したんだよね?
― 戦後はすぐ阪急でプレーしていますね。
大瀧氏: だから青田さん、「なんで早く復帰しないんだ。カワさん、一緒にやろうや。」みたいなことを言っていたと。そしたら、川上さんから「いやいや、農作業も面白いぞ。」と言われて、「そうか、そんなに面白いんか。俺もやろうか。」って言ったら、「おまえにはできん。」って言われたそうなんだよね。それはその、川上さんが麦づくりをやっていて、麦にやる肥料、肥をね、水で薄めるときに、「なめて濃さを確かめるんだ。」って言うわけ。で、青田さんが「そんなこと、汚くて俺にはできない。」と言ったら、「おまえには農作業はできん。」と。
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1998年に発刊された雑誌「野球小僧」にて、高橋安幸氏が連載していた記事を元に、纏められた本が「伝説のプロ野球選手に会いに行く」。1965年生まれの高橋氏が、その現役時代を知らない“伝説のプロ野球選手達”に会いに行き、“今の彼等”に当時の話をインタビューしている。冒頭で紹介したのは、この本の巻末に載っている「ミュージシャンの大瀧詠一氏と筆者の対談」からの抜粋で在る。大瀧氏は熱狂的なプロ野球ファンで在り、ラジオ解説やスポーツ紙での評論もされた程。後に“打撃の神様”と呼ばれる様になった川上氏が、終戦直後に農作業に従事していた際の逸話だが、一つの事に対して半端で無い拘りを持つ川上氏の姿が感じられて興味深い。
取り上げられているのは苅田久徳氏、千葉茂氏、金田正一氏、杉下茂氏、中西太氏、吉田義男氏、西本幸雄氏、小鶴誠氏、稲尾和久氏、関根潤三氏という10人のプロ野球OB。1998年から2003年にかけてインタビューを行ったそうだが、現在では苅田氏に千葉氏、小鶴氏、そして稲尾氏と4人が鬼籍に入られている。日本プロ野球の黎明期を知る彼等の話には、今の球界にも通じる部分が在るのと同時に、失われてしまった部分も在ったりとなかなか面白い。10人全員に感じるのは、「記憶力が抜群に良いなあ。」という事。ウン十年前の試合の投球&打撃内容を、昨日の出来事の如く克明に覚えているのは凄い。これは現役選手にも言える事だが、超一流と呼ばれる人達は概して抜群な記憶力を有している様に思う。
面白いエピソードで溢れているが、その中から幾つか紹介したい。
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【千葉茂氏】
「2-3から絶対にヒットを狙わないんですよね。ヒットを狙っても確率は三分の一、でも、フォアボールなら5割の確率で塁に出られるという。」
【金田正一氏】
「ワシは20年間の現役のうち、15年は肘の故障で苦労したんだ。肘が痛くなかったら、こんなもん(400勝)で記録は終わってないって。はっはっは。」
【吉田義男氏】
「そのバントでボクが違う経験をしたのは、7年前、フランスで野球を教えていたときです。送りバントというものに対するフランス人の理念というんは、『なぜ自分が犠牲になって次の人に手柄を立ててやらなければいけないのか。』ということだったんです。そうじゃないんだ、と理解してもらうまでにはずいぶん、長くかかりましたわ。」
「バントというもんは。勝つためにものすごく大事やけど、あくまでも、次の人が打つための道具です。なのに、バントバント送りバント、そればっかりが表面に出てきて、あの年このチームはバントが多かったよなぁ、と思い出されるとしたら、やっぱり『面白くない野球や。』と言われても仕方ないんですわ。(中略)目立ってはイカンですよ、バントは。犠牲とか、そういうものは本来、目立っちゃいけないものなんでっせ。」
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「ボールが止まって見えた。」というのは川上哲治氏の有名な言葉だが、“和製ディマジオ”と呼ばれた小鶴誠氏もそういった経験が在ったと言う。又、稲尾和久氏の場合は42勝を挙げた1961年、非常に不思議な出来事を経験。開幕から2試合目位だったか、投球時に突然目の前に3つの升目が見えたと言うのだ。野村スコープやストラックアウトの的の様な物だと言って良いが、その3つの升目を目安に好投し続け、翌年以降はその升目が見える事は無かったとか。自分の様な凡人には理解出来ない、超一流だからこその経験というのが在るのかもしれない。
阪神、どうしても巨人に勝てませんね。
皆、懐かしい名前ですね。先日知りましたが、あの伝説の男、樋笠一夫氏が亡くなられていた(2年前に)そうです。なぜ、伏せられていたのでしょう?
昔はみんなやっていたんでしょうか??
御祖母様の時代で既に人糞を使われていなかったというのは、確かに先進的かもしれませんね。因みに我が親は子供時代、近所の肥溜めに落ちた経験が在るとかで、かなりトラウマになった様です。
それにしても肥を舐めてその濃さをチェックするというのは、一つの物事に半端じゃない拘りを見せていたと言われる川上氏らしい逸話。実際に其処迄されていた方というのは、当時でも稀有だったのではないでしょうか。それなりにされている方法ならば、同世代の青田氏が其処迄ビックリしなかったのではないかと思いますし。
買おうかなと思っています。
インタビューの内容が凄いですね。
>大瀧詠一
しかし我々の世代は
学生時代によく聴いた人ですよね
こういうところで名前が出るとは意外です