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・東條はその負けず嫌いの性格もあり、軍内では孤立していったという。
・とにかく強引で、自分に都合のいい論理しか口にしない。相手を批判するときは、大声で、しかも感情的に、という東條の性格は、はからずも陸軍そのものの体質になっていったのである。
・歴史的には、東條人事はかなり問題が多かったと言うことができる。私情がらみの人事、諫言の士より服従の部下、そして何より自分の言い分に一切口を挟まない幕僚、そういう人物が中枢に座ったことが問題であった。
・「精神論が好き。」、「妥協は敗北。」、「事実誤認は当たり前。」。東條は陸軍内部の指導者に育っていくわけだが、この三つの性格をそのまま実行に移していく。(その点では安倍晋三首相と似ているともいえるが。)(中略)日本には決して選んではならない首相像があると実感した。それは前述の三点に加えてさらに幾つかの条件が加わるのだが、つまるところは「自省がない。」という点に尽きる。昭和十年代の日本は、「自省なき国家」としてひたすら驀進していった。それは多くの史実をもって語りうる。その行き着く先は国家の存亡の危機である。
・東條にはそういう偏見とも言える思い込みと、ひとたび権力を手にしたら、この国の全権力が自らに集中していると考え込む傲慢さが同居していたのである。
・東條にとっては、戦争に勝つこと自体が目的であり、それが自分の責任であり、そのために国民にどれだけ犠牲を強いてもかまわない、というのがその戦争観であった。
・この尋問の折に、判事団から「あなたは東條英機と対立していたのではなかったか。」と尋ねられている。石原は、この質問に次のように答えたとのちに語っている。「対立したということはない。日本人にもそのような愚問を発する者がいるが、東條には思想も意見もない。私は若干の意見も持っていた。意見のない者との間に対立があるわけはない。」。
・「東條さんは真っ赤な顔をして、石原さんの書き込んだ部分を消しゴムで消すんです。なんとしても石原の書いた部分を生かすまいというわけです。石原さんへの対抗意識というより、人物の器の違いが出ていましたね。」。
・軍内には石原を支持する勢力もあり、東條はそういう軍人たちの反東條の行動を恐れた。そこで東條は、石原を関東軍参謀副長時代から協和会や東亜連盟の陰の指導者であったと見て、常に憲兵隊や特高に調べさせていた。石原憎し、の東條の行動はしだいに病理的現象を生んだ。
・さらにこのとき石原は、東條という人物を心底から軽蔑していることをあからさまな表現で語っている。「あの男は牛か馬のようなもので、屠場に行くまでは、いや殺されなくちゃあ所詮わからん男だよ。自分自身を反省するというような性格は、本来持ち合わせていない人間じゃ・・・。」。
・「東條は一旦こうと思い込んだことは、一般に通用しないことでも無理に押し通す性格を多分に持っている。」。
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保阪正康氏の本「昭和の怪物 七つの謎」を読了。東條英機元首相、石原莞爾元陸軍中将、犬養毅元首相、渡辺和子さん(二・二六事件で殺害された渡辺錠太郎元教育総監の次女。)、瀬島龍三氏、そして吉田茂元首相という“昭和という時代を語る上で外せない6人”に付いて、多くの関係者への取材を元にして書いた本だ。
上に抜粋したのは、東條英機元首相に関する内容。東條元首相に付いては非常に興味が在り、多くの関連本を読んで来た。「猜疑心が異常に強い。」、「自分に少しでも異を唱える者は、憲兵隊や特高を使って執念深く“排除”し、周りを“御友達”で固める。」、「知識や思想が全く無く、必要以上に自分を大きく見せたがる。」、「自身の誤りを認め様とせず、平気で嘘を吐く。」、「不都合な点を指摘されると感情的になり、真面に答え様としない。」等々、常々「安倍首相と東條元首相は、非常に似ているなあ。」と思っていたが、今回、「昭和の怪物 七つの謎」を読んで、其の思いを一層強くした。
「先日の自民党総裁選では“子分達”を使って、石破茂元幹事長を支持する人達に対して執拗に圧力を掛け続けた。」(6年前の記事「丸で『紅衛兵』、丸で『ヒトラーユーゲント』、丸で『禿』、丸で『特高』」の中でも、批判者を徹底的に“排除”する安倍首相のスタンスを記したが。)、「不都合な質問に対しては、逆切れや誤魔化しで押し通す。」、「少しでも批判する人間は“非国民”。」、「『自身が明らかに悪いのに、其れを叱ると謝りもせず、ずっと膨れっ面で無視を決め込む子だった。』という、安倍晋三首相が子供の頃、安倍家で働いていた御手伝いの女性の証言。」、「『ゴルフが駄目で、テニスは良いのか?将棋は良いのか?』という支離滅裂な誤魔化し。」等、「こんな人物が首相をしていて、本当に大丈夫なのか?」と思ってしまう。東條元首相同様、結局は「無教養」、「猜疑心の異常な強さ」、「自省心の無さ」というのが、こういう人間を作り上げてしまうのではないだろうか。
安倍晋三首相の実父・安倍晋太郎元官房長官が昔、「晋三は政治家に必要な“思い遣りの気持ち”が無いし、『相手の立場になって考える。』という事が出来ないので、政治家になるべきでは無い。」と言ったそうだが、本当に其の通りだ。
東條首相(当時)に異を唱え続けていた石原莞爾元陸軍中将。「高い見識を持ち、理論的な主張をする人物。」として知られている彼だが、一部の主張に疑問を感じる事も在ったが、此の本で改めて「“彼の時代”にも、石原元陸軍中将の様な“真面な人物”も存在したんだなあ。」という思いを持った。又、石破茂元幹事長と重なる部分も感じた。
“渡辺錠太郎元教育総監が殺害された時の惨い状況”には言葉が出ないし、「保身の為に態度を豹変させた陸軍上層部に対する、渡辺和子さんの強い憤りの思い。」が犇々と伝わって来る等、読み応えの在る本。こんな時代だからこそ、我々は“過去”から色々学ぶべきだ。
私自身は見ていないのですが、映画「プライド・運命の瞬間」は、極東軍事裁判における東條英機を主人公に据え、彼の視点から戦勝国が敗戦国を裁く理不尽を訴える内容だったようですね。
ひとつの物事・事件も視点を変えれば見えてくるものが違う、という事でしょうが、この映画の影響で東条英機=戦争犯罪人という戦後のイメージが変わった人も多いようです。
この映画で主役を演じた津川雅彦氏もそんな一人だったのか、晩年極右的な発言が目立ち、好きな俳優だっただけにがっかりさせられました。
戦勝国が裁判という形を隠れ蓑に、敗戦国をさらに一方的に痛めつけるという構図は、確かに公平ではないし腹立たしいものがあります。
しかし、自国民を戦争に駆り立て、「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」との戦陣訓まで持ち出して、勝ち目のない状況においてさえ日本兵を玉砕・自決に追い込んだ罪は決して逃れることはできない。
それなのに兵卒に自決を強要しながら、自分は敗戦国の将として生きて法廷に引きずり出されているその卑劣さには、どんなにプライドがあり正論を口にしたとしても許されるものではないとの怒りを感じていますし、玉砕・自決を強要された将兵たちにも、それぞれのプライドがあり正論があったはずなのにと思うと、やり切れません。
そんな卑劣な男が祀られることになったからこそ、昭和天皇も今上天皇も靖国神社に参拝してこなかったのだとおもいます。
翻って安倍晋三首相はじめ平然と靖国神社を擁護する政治家たちは、類は友を呼ぶというべきか。
東條英機にシンパシーを感じるひとたちなのでしょうか。
内政問題である靖国問題に、中国や韓国・北朝鮮から文句を言われるのは正直不愉快ですが、少なくとも日本人の一人として、戦犯合祀の靖国問題は看過できません。
戦勝国に対する戦犯でなく、自国民に対する戦犯としてきっちり裁き、けじめをつけるべきだったでしょう。
東條英機というキーワードでスイッチが入ってしまい、つい熱くなってしまいました。あしからず(苦笑)。
“独裁者”は忌み嫌う対象だけれど、「如何にして独裁者が出来上がったのか?」という点には強い興味が在り、独裁者に関する書物を読み漁って来ました。東條英機元首相も其の1人で、否定的な立場の物のみならず、肯定的な立場の物も含めて、出来る限り多角的&多面的に捉える事に注力して来たのですが、どうしても「東條英機」という人物は好きになれません。
悠々遊様が書かれた映画も見ました。物事や人は見方によって、様々な様相を呈する物。全てが「悪」という事は余り無い一方で、全てが「善」という事も余り無い。だから、東條元首相にも「家族思いの面が在った。」等、良き部分も在ったとは思いますが・・・。
津川雅彦氏に関しては、悠々遊様が指摘されたのと同じ思いを持っています。好きな俳優でも無かったけれど、嫌いな俳優でも無かった彼。でも、晩年の「安倍首相を少しでも批判する輩は左翼だ!」的主張を自分のブログ内とはいえ、公に口にするスタンスには排他的で狭量な感じしか受けず、本当にがっかりさせられました。
自分も中国や韓国からの度を過ぎた“靖国問題批判”には腹が立ちますけれど、其の一方で「日本人は過去に、1人たりとも民間人を殺していない!」的な荒唐無稽な主張をする馬鹿な日本人(其れも影響力の在る人間)が定期的に出て来る事にも、「そういう訳の判らない事を言い出すから、中韓に付け入る隙を与えるんだ!」と腹が立ちます。
“事勿れ主義”や“死者に鞭を打たない”といった日本的志向が、戦後、「自ら正すべき所を正す。」事をしない儘に来てしまったと思っています。靖国神社も同様で、どういう理由が在るにせよ、「多くの国民の命を失わせた指導者達というのは、靖国神社に祀るべきでは無かった。」と自分も考えています。