御笑いの世界で今、自分が一番面白いと思っているのはサンドウィッチマン。そんな彼等の自叙伝「復活力」を、現在読んでいる。彼等が仙台商業高等学校(現在の仙台市立仙台商業高等学校)の同級生で、ラグビー部で知り合ったのは有名な話だが、実は入学当初、伊達みきお氏の方は野球部に入る予定だったのだとか。野球部に仮入部する日、余りに厳しい練習をさせられているのを見て、「冗談じゃ無い!」と思った伊達氏。ふとグラウンドの別の所を見たら、人数も少なくて、だらだらした雰囲気だで練習していたのがラグビー部。「此処が良い!」と思って入部した所、其処に富澤たけし氏が居たという訳だ。伊達氏が野球部に入部していたら、サンドウィッチマンというコンビは世に出ていなかった事だろう。
高校卒業後、伊達氏は福祉関係の専門学校を経て、社会人となる。一方、富澤氏はフリーターの道に。面白いのは2人共、「子供の頃から御笑いの世界に進みたい!」とは思っていなかった事。富澤氏が「芸能界に進みたい。」と思う様になったのは成人して以降で、伊達氏に到っては富澤氏から「一緒に遣らないか?」と何度も誘われたけれど、現実的な話とは思えなかった様だ。
結局、2人がコンビを組むのは1998年9月。2人が24歳の時だ。以降、2007年の「M-1グランプリ2007」で優勝して売れっ子になる迄、9年もの“冬の時代”を過ごす事に。
コンビとしては非常に珍しい事だが、サンドウィッチマンの2人は私生活でも仲が良い事で知られている。そんな2人でも、御笑いの世界で売れない時期が長くなると、解散の危機が2度在った。解散を切り出したのは共に富澤氏からで、「社会人として安定した暮らしをしていた伊達氏を、御笑いの世界に引っ張り込んでしまった。こんなにも苦しい日々を彼にさせてしまうのは、もう駄目だ。」という思いからだが、伊達氏は「何言ってんだよ、未だ早いよ。」と引き留めたそうだ。
「若し、伊達氏がラグビー部に入らなかったら?」、「若し、伊達氏が富澤氏からの誘いを断っていたら?」、「若し、2人が長い“冬の時代”に堪えられず、コンビを解散していたら?」等々、幾つもの“若し”が存在し、“違う選択”をしていたならば、彼等の今は無かった。
・・・と前置きが長くなってしまったが、サンドウィッチマンの2人は共に1974年生まれ。当然の事だが、自分より大分若い。“ファミコン”が1983年で、彼等が9歳の年。「幼い頃をファミコンで遊び、そして育った世代。」という事になるが、面白いのは「富澤氏がファミコンに夢中になったのに対し、伊達氏の方はファミコンに夢中になる事も無く、外で遊びまわるのが大好きだった。」という事実。「父親が厳しい人で、ファミコンを買って貰えなかった。」というのも在る様だが、「基本的に、外で遊ぶのが好き。」という性格が、伊達氏には備わっていた様だ。
自分が幼かった頃を振り返ると、室内での遊びと言えば、「人生ゲーム」や「野球盤」の様なボード・ゲームが主だった。ハイテクさを感じさせる遊び道具だと、「ジャンクション」や「光線銃SP」、「電子ブロック」が良い所だろう。そんなハイテクな物で遊ぶ事も在ったけれど、当時、愛知県の田舎に住んでいた自分は、専ら外で友達と遊んでいた。
自然が残る環境だったので、近くの山では秘密基地を作ったり、段ボールの切れ端に乗って傾斜を滑り下りたり、昆虫を取ったりした。又、近くの川ではザリガニや魚を取ったり、葉っぱで作った小舟を流したり。ドラえもんに出て来る様な広場や神社では、“ドロケイ”やかくれんぼ、缶蹴り、だるまさんがころんだ等を、暗くなる迄していたっけ。