ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

遊び

2019年12月28日 | 其の他

御笑いの世界で今、自分が一番面白いと思っているのはサンドウィッチマン。そんな彼等の自叙伝復活力」を、現在読んでいる。彼等が仙台商業高等学校(現在の仙台市立仙台商業高等学校)の同級生で、ラグビー部で知り合ったのは有名な話だが、実は入学当初伊達みきお氏の方は野球部に入る予定だったのだとか。野球部に仮入部する日、余りに厳しい練習をさせられているのを見て、「冗談じゃ無い!」と思った伊達氏。ふとグラウンドの別の所を見たら、人数も少なくて、だらだらした雰囲気だで練習していたのがラグビー部。「此処が良い!」と思って入部した所、其処富澤たけし氏がたという訳だ。伊達氏が野球部に入部していたら、サンドウィッチマンというコンビ世に出ていなかった事だろう。

高校卒業後、伊達氏は福祉関係の専門学校を経て、社会人となる。一方、富澤氏はフリーターの道に。面白いのは2人共、「子供の頃から御笑いの世界に進みたい!」とは思っていなかった事。富澤氏が「芸能界に進みたい。」と思う様になったのは成人して以降で、伊達氏に到っては富澤氏から「一緒に遣らないか?」と何度も誘われたけれど、現実的な話とは思えなかった様だ。

結局、2人がコンビを組むのは1998年9月。2人が24歳の時だ。以降、2007年の「M-1グランプリ2007」で優勝して売れっ子になる、9年もの“冬の時代”を過ごす事に。

コンビとしては非常に珍しい事だが、サンドウィッチマンの2人は私生活でも仲が良い事で知られている。そんな2人でも、御笑いの世界で売れない時期が長くなると、解散の危機が2度在った。解散を切り出したのは共に富澤氏からで、「社会人として安定した暮らしをしていた伊達氏を、御笑いの世界に引っ張り込んでしまった。こんなにも苦しい日々を彼にさせてしまうのは、もう駄目だ。」という思いからだが、伊達氏は「何言ってんだよ、未だ早いよ。」と引き留めたそうだ。

若し、伊達氏がラグビー部に入らなかったら?」、「若し、伊達氏が富澤氏からの誘いを断っていたら?」、「若し、2人が長い“冬の時代”に堪えられず、コンビを解散していたら?」等々、幾つもの“若し”が存在し、“違う選択”をしていたならば、彼等の今は無かった。

・・・と前置きが長くなってしまったが、サンドウィッチマンの2人は共に1974年生まれ。当然の事だが、自分より大分若い。“ファミコン”が1983年で、彼等が9歳の年。「幼い頃をファミコンで遊び、そして育った世代。」という事になるが、面白いのは「富澤氏がファミコンに夢中になったのに対し、伊達氏の方はファミコンに夢中になる事も無く、外で遊びまわるのが大好きだった。」という事実。「父親が厳しい人で、ファミコンを買って貰えなかった。」というのも在る様だが、「基本的に、外で遊ぶのが好き。」という性格が、伊達氏には備わっていた様だ。

自分が幼かった頃を振り返ると、室内での遊びと言えば、「人生ゲーム」や「野球盤」の様なボード・ゲームが主だった。ハイテクさを感じさせる遊び道具だと、「ジャンクション」や「光線銃SP」、「電子ブロック
」が良い所だろう。そんなハイテクな物で遊ぶ事も在ったけれど、当時、愛知県田舎に住んでいた自分は、専ら外で友達と遊んでいた。

自然が残る環境だったので、近くの山では秘密基地を作ったり、段ボールの切れ端に乗って傾斜を滑り下りたり、昆虫を取ったりした。又、近くの川ではザリガニや魚を取ったり、葉っぱで作った小舟を流したりドラえもんに出て来る様な広場や神社では、“ドロケイ”やかくれんぼ缶蹴りだるまさんがころんだ等を、暗くなる迄していたっけ。


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