本題に入る前に、昨日行われた日本シリーズの第4戦に付いて触れる。両チーム共、投手陣は良く頑張ったと思う。ジャイアンツで言えば、先発の宮國椋丞投手の出来が気になっていたが、7回を投げ抜いて3安打無失点は天晴れ。
問題は偏に野手陣で、TPOを考慮せずにバットを振り回しているだけの選手が目立った。一昨日の試合から大事な場面でのミスが多く、其れが悉く失点に結び付いている。必死なプレーの中でのミスならば仕方無いが、軽率さから来るミスは言語道断。一昨日のミスも軽率さが感じられたが、昨日の(ジャイアンツの)敗戦に繋がるミスは軽率さ以外の何物でも無い。
此れで「2勝2敗」のタイになった訳だが、昨日の記事「嫌な負け」内で記した理由により、ファイターズがグッと有利になったと思っている。ファイターズが日本一になったならば、此れも「嫌な負け」内で指摘した様に、「第3戦で先発したD.J.ホールトン投手の状態が素人目にも絶不調なのに、原辰徳監督の“見切り”が余りに遅く、引っ張り過ぎた事で、“眠っていた”ファイターズ打線を完全に目覚めさせてしまった。」事が最大要因となるだろう。
絶不調のホールトン投手を投げさせ続けた事で、守りの時間が余りにも長くなった。野手陣の注意力も散漫となろうし、そういう時は概してミスや怪我人が出たりするもの。
ジャイアンツに向かっていた流れを、第3戦でファイターズに向かわせてしまい、昨日の凡ミスによる敗戦で、其の流れを更に加速化させてしまった。
話は変わるが・・・。
子供の頃、親の目を盗んでこっそり見ていた深夜番組の1つが「11PM」(動画)。インターネットなんぞは無く、女性の裸を見られる機会なんて滅多に無かった時代。「シャバダバ シャバダバ~♪」(曲)という曲と共に、セクシーな女性が映るOP。「秘湯の旅」(“うさぎちゃん”と呼ばれる女性リポーターが入浴。)や「裸の報告書シリーズ」、「紅白ストリップ合戦」等の“御色気コーナー”で女性の裸体を見ては、ドキドキしていた物だった。
又、ゴルフや麻雀、釣りといった「趣味企画」、「UFO&超能力特集」等も面白かったが、時折組まれた「巨泉・考えるシリーズ」という硬派な企画も印象深い。良くも悪くも、「硬軟入り混じった名物番組」だったと思う。
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「藤本義一さんが死去 直木賞作家、テレビでも活躍」(10月31日、スポニチ)
直木賞作家でテレビでも活躍した藤本義一(ふじもと・ぎいち、本名ふじもと・よしかず)さんが30日午後10時18分、肺炎の為、兵庫県西宮市の兵庫医大病院で死去した。79歳。大阪府堺市出身。葬儀・告別式は11月2日に西宮市の公益社西宮山手会館で。喪主は妻の統紀子(ときこ)さん。
関係者によると1ヶ月程前、兵庫県内の自宅で倒れ、入院。1週間程前迄は体調も良好だったと言うが、30日朝に容体が急変した。
大阪府立浪速大学(現大阪府立大学)在学中にラジオ・ドラマや舞台の脚本を書き始めた。卒業前年の1957年に執筆したラジオ・ドラマ「つばくろの歌」で同年度の芸術祭文部大臣賞戯曲部門を受賞。
テレビ・ドラマの脚本家を経て、大映に入社。川島雄三監督の脚本の手伝い等をし、市川崑監督等の作品も手伝った。
1965年、日本テレビ、読売テレビが共同制作した伝説的深夜番組「11PM」で、大阪制作分の司会者に就任。一気に全国的な人気者になった。同番組では番組終了の1990年迄司会を務めた。
1968年に長編「残酷な童話」で小説家デビュー。第2作「ちりめんじゃこ」で1969年の第61回直木賞候補になった。1974年、上方落語家の半生を描いた「鬼の詩」で、ノミネート4回目で第71回直木賞を受賞。小説家としても注目を集めた。
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「11PM」では多くの人が司会を務めたけれど、自分の場合は「月曜日&金曜日:大橋巨泉氏、火曜日&木曜日:藤本義一氏、水曜日:愛川欽也氏」というラインナップが印象深い。「此のラインナップ以外は、『11PM』に非ず。」とすら思っている。
藤本義一氏の事を初めて知ったのも、此の「11PM」での司会によってだ。(矢張り同番組で初めて知り、ファンになったのがタージン氏。彼と藤本氏との掛け合いも好きだった。)「綺麗な白髪」には、「自分が年を取った際には、ああいう白髪になりたい。」と思ったもの。又、「理屈っぽいおっちゃん」というイメージも在る。大好きなタイガースの事となると、其の理屈っぽさは倍増。でもそういった理屈っぽさが嫌味に感じなかったのは、彼のシャイさが垣間見えたからだろう。
此処数年、藤本氏の姿を見掛ける機会は殆ど無かった。「新語・流行語大賞」の審査委員長として、彼の名前を見掛ける位だったか。だから入院されていた事を、今回の訃報で初めて知った。