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作詞:東京ムービー企画
歌:アンサンブル・ボッカ
(1番)
思いこんだら 試練の道を
行くが 男の ど根性
真っ赤に燃える 王者のしるし
巨人の星を つかむまで
血の汗流せ 涙をふくな
行け行け飛雄馬 どんと行け
(2番)
腕も折れよと 投げぬく闘志
熱球 うなる ど根性
勝利の凱歌を あげるまで
血の汗流せ 涙をふくな
行け行け飛雄馬 どんと行け
(3番)
やるぞどこまでも 命をかけて
父と きたえた ど根性
でっかく生きろ 剛球もえろ
男の誓いを 果たすまで
血の汗流せ 涙をふくな
行け行け飛雄馬 どんと行け
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映画監督の大島渚氏が亡くなられたのは先月の15日なので、来週で1ヶ月を迎える事になる。亡くなられて以降、闘病生活の様子が御遺族から明らかになって来たが、大島監督の奥様で女優の小山明子さんが語った2つの逸話が、特に印象に残った。
1つは、回転寿司の話。大島監督の御孫さんが自身の誕生日に「回転寿司に行きたい。」と言ったそうだ。しかし大島監督の息子さんは「御爺ちゃんの美学に反する。(「回転寿司なんて邪道。」と考えているだろうから)ちゃんとした寿司屋じゃないと駄目だ。」と反対。小山さん自身も、回転寿司に行った事が無かったと言う。
大島監督と言えば、「ダンディズム」を絵に描いた様な人物。「回転寿司になんか、一緒に行ってくれる訳が無い。」と御家族が思ったのも、当然と言えば当然だろう。
しかし、大島監督は回転寿司に初めて行く事をOKし、回転寿司の雰囲気を意外にも楽しんでいたそうだ。「生ビールを飲んで、孫と張り合って、御皿を重ねていました。」と小山さんか語っていた。
長期に亘る闘病生活で、大島監督の中に“変化”が在ったのだろうか?「回転寿司で家族に囲まれ、孫と張り合って、御皿を重ねる大島監督。」という光景、想像するだけで微笑ましさを感じてしまった。
もう1つの逸話は、「2010年10月に行った金婚式での出来事」。家族や親しい人達が集まった中、シャンパンを口にした大島監督は、皆の前で或る歌を歌ったと言う。其の歌とは、冒頭に記した「ゆけゆけ飛雄馬」。1968年から1971年に掛けて放送され、大人気となったアニメ「巨人の星」のOP曲で在る。
「ゆけゆけ飛雄馬」は確かに名曲だし、自分も好きな曲。でも、何度も書くけれど、「大島監督と言えば、『ダンディズム』を絵に描いた様な人物。」で在り、「試練」とか「ど根性」とか「血の汗」とか、そういう「泥臭い雰囲気」を嫌う感じがして、凄く意外だった。
しかし小山さんによると、「唯一、大島が歌えるのが『巨人の星』(『ゆけゆけ飛雄馬』の事。)なの。其れを、皆で合唱して。『思いこんだら 試練の道を♪』っていうのが大好きだったみたい。」と。
ネットで調べてみた所、大島監督は「ゆけゆけ飛雄馬」が大好きで、昔から「大島組」の人達が集まって飲むと、此の歌を皆で合唱していたそうだ。「ダンディーな大島監督が、好んで『ゆけゆけ飛雄馬』を歌っていた。」、此れも又意外で、そして微笑ましさを感じる話だった。
佐々木さんとお友達ということが縁で大島夫妻がその田舎の第三セクターケーブルテレビ局の開局式に来たことがあり、『佐々木に大島』、ということで商工会にコネが効く親類に頼み込んで式とパーティに忍び込んだのでした(笑)
記念写真&サインしてもらったのですが、反体制の二人が田舎の自民党おじさんたちに親切にしていて(佐々木さんは局の創立にも相当協力したとのこと)、大人物はセクト主義ではないのだな。いや、もしかすると民放2局(当時)でラジオはNHKと演歌と民謡ばかり流す民放局しかまともに入らないという土地の状況を鑑みて、情報を沢山吸収することで人々が村社会政治を脱却することを狙っておるのかな、とか大真面目に考えたことを覚えています。小山さんも綺麗でした。
「反体制派」という括りでも、色んな人が居るんでしょうね。「何でも彼んでも体制に反対。」と聞く耳を持たない人も居れば、「是々非々で判断し、良くないと思う部分では、体制に反対する。」という人も居るだろうし。まあ此れは、どんな事柄にも言える事では在りますが。
大島監督の御自宅付近に知り合いが住んでいるのですが、倒れられてから暫くした頃に、「憔悴し切り、夢遊病者の様な感じで街中を歩いている小山明子さんを見掛けた。」という話を彼から聞きました。「看病が大変なのだろうけれど、小山さん迄倒れられなければ良いが。」とも話していたのですが、其れから暫くして「看病にのめり込み過ぎ、自分も心身共に疲れ切ってしまった時期が在った。共倒れになってはいけないので、出来る部分は自分で行い、他者に任せる部分は任せる様にと踏ん切りを付けた事で、大分楽になった。」と小山さん自身が話していたのを目にし、「矢張り、大変だったんだなあ。」と感じた次第。