ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「愚行録」

2006年06月09日 | 書籍関連

殺人症候群」、貫井徳郎氏と自分とのファースト・コンタクトはこの作品による。「最愛の人を殺した相手への復讐は悪か?」、「正義とは一体何なのか?」というテーマを柱に据えたこの作品が、書評で高く評価されていたのを見て読む事にしたのだが、考えさせられる点が多く、読み応えの在る内容だった。それ以降、彼は好きな作家の一人となり、全作品を読破するに到っている。(一昨年に読んだ「追憶のかけら」も、印象深い作品だった。)

 

今日は、先日読破した彼の近作「愚行録」に付いて触れてみたい。

 

ストーリーは、都内で発生した「一家皆殺し事件」に関して展開されて行く。両親と幼子2人が何者かによって惨殺された事件を、一人のインタビュアーが何人かの人物と接触し、インタビューしている形式で文章は進む。その合間には、一組の兄&妹の会話が挿入され、つまり作品全体が会話形式での進行というスタイルになっている。インタビュー等を通じて、被害者で在る両親の隠れた過去、そして彼等とインタビューを受ける人間達との複雑な関係が少しずつ明らかになって行く。人間の持つ愚かさに、今や社会問題とも化しているネグレクトが複雑に絡み合い、事件へと発展している様が理不尽でも在り物哀しくも在る。

 

恐らくピンと来られた方も少なくないとは思うが、「一家皆殺し事件」が2000年に発生し未だ解決には到っていない「世田谷一家殺害事件」をモチーフにしているのは先ず間違い無いだろう。実際に、作品内で描かれている事件の詳細には、「世田谷一家殺害事件」と似通った部分が多く見受けられる。この事に自分は、否定的な思いが在った。

 

横溝正史氏が、実在した猟奇事件「津山30人殺し」をモチーフに、彼の代表作でも在る「八つ墓村」を書き上げたのは余りにも有名な話。彼の他にも、過去の事件をモチーフにして作品とした作家は少なくない。だからこそ、過去の事件を題材にする事自体は否定する気持ちは全く無い。

 

世田谷一家殺害事件」が発生から6年”しか”経っていない、それも未解決で在る状況で、この事件を彷彿とさせる「一家皆殺し事件」の設定は不謹慎という声も在ろう。その意見も理解出来る所では在るが、今は歴史の彼方に追い遣られてしまった「津山30人殺し」も、恐らく横溝氏が「八つ墓村」を書き上げた当時は、未だ事件の生々しさが残っていたのではないだろうかと思うと、絶対的に今回のケースが駄目とも言えない気持ちは在る。

 

それよりも自分が今回のケースに否定的な思いを抱いてしまうのは、被害者側の隠れた過去、それも暗い部分が描かれているという所に在る。勿論、この作品がフィクションで在るのは重々承知しているが、少しでも特定の事件を彷彿させるもので在る場合には、被害者サイドに配慮した設定が在っても良かったのではなかろうかと思う。この辺は、読み手によって意見は異なるだろうが・・・。

 

早稲田*1と慶應という私学のの学風というか学生気質の違いが描かれていたのは、個人的に興味をそそられた。何処迄実態に近いのかは、両校のOBでも何でも無いので知る由も無いが、慶應の「内部生(幼稚舎からの生え抜き。)と外部生(大学から慶應。)の”壁”」といった部分には、噂では聞いていたものの「へー。」という思いが。

 

貫井氏の力量をすると、この作品はどうしても物足りなさを感じてしまう。犯人の目星も割合早い段階で判ってしまったし、何よりも上記した様に登場人物の設定に共感出来ない面が、自分には大きく影響しているのかもしれない。

 

総合評価としては、星2.5個としたい。

 

*1 作者の貫井氏は、早稲田大学商学部を卒業されている。


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3 コメント

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覆水は盆に返らず (まなぶ)
2006-06-10 02:14:21
giants-55さん、今晩は!



貫井徳郎さんの作品、私は読んだ事はないのですが、

こちらの記事には、多発する痛ましい事件の数々を思い出さずにはいられない気持ちになりました。

C・イーストウッド監督・主演の映画、

「ダーティーハリー4」

で、キャラハン刑事は、知らずに連続殺人事件の犯人と顔見知りになるのですが、話題が事件に及ぶと、犯人はキャラハン刑事に、

“犯人は復讐しているのではないか”

と、暗に自白をしてしまうのですが、

“復讐?、動機としちゃ古いなぁ・・”

とキャラハン刑事は答えるのです。



高校生だった私は、この台詞に衝撃を受けました。



人間は、間違いを犯す為に生きている、

いや、過ちを犯しながら生きるものだ、

そう言った人もいましたが、

昨今、頻発する事件には、過ち愚かというより、沢山の選択肢の中から、最悪の結末を選び出しているとしか思えないケースが続いているように感じます。

衝動的、未成熟、脳の前頭葉、

偉い学者や、犯罪の権威も研究されているようですが、

少しも世の中は良い方向に進んでいるとは思えません。

中世の日本のある時期、殺人を犯した加害者は、被害者の遺族に引渡し、遺族の好きなようにさせる。

そんな恐ろしい刑罰があったと耳にしました。

「親切なクムジャさん」

という韓国の作品でも、そんなテーマを扱っていました。

私も他人事ながら、我が身に降り掛かった時の事を想像すると、

“復讐”

という2文字が頭から離れなくなります。

特に、理不尽に、罪もない幼い命が奪われたら・・。

犯人にも同じ苦しみと死を与えたくなると思います。

例え、何の結果も生み出さなくても、

死者は生き返らず、

“人を呪わば穴2つ”

遺族の自己満足だと批判されても、魂が成仏できる保証などなくとも、



何の罪も感じず、反省すらしない加害者に、

元に戻せない過ちを犯した責任を、誰が贖わせるのでしょうか?



「忠臣蔵」

実際の吉良上野介という殿様は、名君だったという本を読んだ事があります。

少なくとも、浅野の殿様よりは、善政をしいた方だったそうです。

様々な作家の手を経て、脚色され、飾り立てられたお話ですから、憎まれ役として、創作された部分が大きくなっても致し方ないのでしょうが、

吉良上野介の子孫こそ「いい迷惑」でしょうネ。

「あなたに降る夢」

というアメリカ映画がありました、

NYの警官が、行きつけのレストランのウェイトレスに、

“もし、この宝くじが当たったら、君に半分あげるヨ”

と約束したら、巨額の賞金が当たってしまうというロマンチックコメディでした。

これは事実をベースに映画化されたそうです。

しかし、警官とウェイトレスに、恋愛感情が芽生えていくという件りだけは、創作で、映画化されたことで、モデルとなった本人たちも、少なからず迷惑を被ったとの事です。

事実、小説、ドラマ、映画、

「それぞれが独立した別の物」

とは云うものの、

観る側は、そこまで配慮してはくれませんから、

作り手はよほど、性根を据えて取り組む姿勢が必要ですネ・・〆
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悪代官 (帆印)
2006-06-10 19:53:48
まなぶさん、giants-55さんの記事を読んでて、思わずあの悪代官のモデル「田沼意次」を思い出してしまいました。全国の田沼という苗字の方々は、未だにって引きずってはないとは思うが・・・。

こんなのが、静岡のにあります。



こちらのほうに来ることがあれば、話のねたにどうぞ。浜松のウナギパイはもう出尽くしてると思いますので



http://www.mori2.jp/tenant/wairo/sub03.htm

http://www.eonet.ne.jp/~cosmo-stella/liberte/wairo.html





勿論こちらでは、いいお代官様になっていますが、所変わればって事ですね。

しかし、悪代官って魅力的なキャラではあるよねぇ。男としては・・・・。

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きっこの日記から (帆印)
2006-06-10 20:17:00
今回の、記事も面白いねぇ、アジサイからシーボルト事件に絡んで、妾の名前まで・・・・。

しかし、、シーボルトも悪よのう。





俺の場合は、さしずめ「愚考録」となりますな。
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