「女優の真屋順子さんが昨年12月28日、75歳で亡くなられていた。」事が、昨日明らかとなった。昨夏放送されたTV番組で、闘病中の彼女の姿を目にしたけれど、「余り長く生きられないだろうな。」というのが正直な気持ちだった。
「次々と病魔に襲われ、17年以上も苦しい闘病生活を送って来た真屋さん。8年前には、最愛の夫・高津住男氏に先立たれている。」事から、「苦しみから解放され、高津氏の元に旅立てて良かった。」という思いが在る。合掌。
真屋さんの場合は「来る時が来た。」という感じがしたけれど、星野仙一氏の訃報には「嘘だろ!?」と驚かされた。“燃える男”のイメージが強い彼には“死”という物が全く感じられないし、何よりも昨年の11月末に行われたパーティーでの元気な姿を見ていたから。癌で闘病中だったそうで、亡くなられたのは1月4日。70歳というのは、余りに若い。
当ブログを古くから覗いて下さっている方ならば御存知だろうが、自分は“現役引退後の彼”が大嫌い。ファンの方には申し訳無いけれど、其の思いは全く変わっていない。でも、“現役時代の彼”、即ち“ジャイアンツに立ち向かう星野仙一投手”は大好きだった。現役時代の彼が大好きだったからこそ、嫌いになった時の反動が大きかったとも言える。
奥様に先立たれるケースが、何故か多い日本球界。星野氏も、21年前に最愛の奥様を亡くされている。人前で涙を流す星野氏の姿は、今でも忘れられない。長い時を経て、奥様と再会された事だろう。合掌。
今回の訃報を受け、りさ・ふぇるなんです様が書かれた記事に対し、「人間は概して、自分の本質的な部分を隠す為、本質とは逆の部分をアピールする物。」といった趣旨の書き込みが在りましたが、星野氏の場合もそうだった様に思っています。「周りの目を必要以上に意識し、“男”という部分を矢鱈とアピールする。」という感じがずっと在り、本質的には非常にウエットな部分を持っていた方だったのではないかと。
そういう部分がアンチ星野には“毒気”に感じられ、嫌悪していた訳ですが、此処最近はそういう毒気が薄れ、嫌悪感も薄れていた所の訃報でした。
りさ・ふぇるなんです様が書かれていた様に、彼は小泉元首相同様、大衆受けを第一に考えるポピュリストだったと自分も思います。“時代”がそういうスタンスを彼に求めたという面も在るだろうし、そういう意味では“男”を演じ続けるのはしんどかったでしょうね。
引退後の彼に関しては未だに好きにはなれないけれど、亡くなられた事での喪失感は間違い無く在る。本当に不思議な人です・・・。
が、訃報を聞いて、かなりのショックを受けている自分に驚いています。
ここ何年か、元選手の著書や元選手の意見を直に聞く機会があって、少し見方が変わって来ました。
「燃える男」は彼の本質ではないような気がしています。
巨人に対する言動もそう。周りがうけるからやっていたのでしょう。(楽天の選手に巨人を倒せと言われてもキョトンですし(苦笑)
暴力支配が当たり前だったスポーツ界ではなかったら・・・彼も能力ももっと違った形で発揮できただろうと思うのです。
やっとその事に気づいたかもしれないのに・・残念ですね。
選手としても指導者としても“華”の在る人だったし、球界に残した足跡も評価されて然るべき人だったと思います。
“ノムさん”が種を蒔いた事はもっと評価されて良いと思っていますが、星野氏が監督として思い切った“血の入れ替え”をした事で、タイガースは強くなった。ゴールデンイーグルスに大きな注目が集まり、ファンが増え、結果として強くなって行ったのも、彼の功績でしょうね。
唯、指導者としての彼は、“野球”を“ファン”の為では無く、“個人の利益”の為に利用している様な面が見受けられたし、何よりも「自分に甘く、人には厳しい。」というのが露骨に感じられる様になり、自分は気持ちがどんどん離れて行った。
とは言え、彼だけの強烈な個性を持った野球人が亡くなった事は、大嫌いな存在では在ったけれど、心の中に何とも言えない寂しさが在るのも事実です。
嫌われる事を恐れて、若いころの暴言を封じる事によって、逆に嫌われる八方美人になるという事ですが、有名人の渡世は難しいですね。中日監督時代は、現役のホームで、地の利があったので、暴言も暴力も許容されたのでしょうが、それにしても、阪神監督就任時の老人たちへの媚び具合は、見ていて気分の良いものではなかったです。
如何に、阪神、楽天と転々としながら、丸くなったとしても、道徳とはミスマッチな人です。