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「消え行くデパートの屋上遊園地 『集客装置』今では全国で5ヶ所に」(11月4日、朝日新聞)
百貨店の「屋上遊園地」が、各地で姿を消しつつ在る。今年9月に営業を終えた遊園地も在り、朝日新聞の調べでは、常設するのは全国で5店舗になった。
松坂屋高槻店(大阪府高槻市)の「スカイランド」は、1979年の百貨店開業時から営業している。今では、関西唯一の屋上遊園地となった。
約1,200平方メートルの敷地に、ゴーカートやキャラクターの乗り物等、約30台の遊具と約10台のクレーン・ゲームが稼働する。
朝日新聞は10月、日本百貨店協会に加盟する全170店舗を対象に、常設の屋上遊園地が在るかを電話で尋ねた。
今も営業をしていると答えたのは、松坂屋高槻店の他、松坂屋名古屋店(名古屋市)、大和香林坊店(金沢市)、いよてつ高島屋(松山市)、浜屋百貨店(長崎市)の4店舗だった。
此の他にも小規模な遊具コーナーを設けている百貨店が在ったが、屋上遊園地という認識では無かった。
近現代史が専門で、百貨店関連の著書が在るノンフィクション・ライター夫馬信一さん(64歳)によると、屋上遊園地の起源は100年以上前迄遡り、1903年に東京・日本橋の白木屋に木馬やシーソーが置かれた事が始まりとされると言う。1920年代後半以降は、新たな百貨店の開業と共に、電動遊具や動物園が在る屋上遊園地が新設されていった。
設置が加速したのは、戦後の高度経済成長期。百貨店が次々と出来、屋上遊園地も「必須アイテム」の様に造られた。
飛行機型のゴンドラが回転する乗り物等、大型の電動遊具も増加。休日には様々なショーが開かれる等して大盛況だったと言い、家族連れの集客装置として、大きな役割を果たしていた。
だが、郊外型ショッピング・センターの盛況、バブル崩壊や2000年代の不景気等、百貨店を取り巻く環境は厳しさを増して行く。
テーマ・パークの開園等、レジャーも多様化。集客装置としての屋上遊園地の役割は、維持費と見合わ無くなり、2000年前後から徐々に閉園して行ったと見られる。今では屋上を、ビアガーデンや休憩スペースとして活用する百貨店も増えている。
建て替えや耐震工事等を機に、閉園を選択した百貨店も在る。大阪・梅田の阪神百貨店(大阪市)の屋上遊園地は、1980年代後半に1日1千組以上の来客数を誇ったが、店舗の建て替えを機に、2014年に閉園した。まるひろ川越店(埼玉県川越市)も、「耐震工事」に伴って2019年に閉園。今年9月には、横浜高島屋(横浜市)が営業を終えた。
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自分(giants-55)の幼少期、もう半世紀近く昔になるけれど、当時、休みの日に家族でデパートに行くというのは、「『皆が一寸御洒落をして行く。』という“晴れ(非日常)”の行事で在り、大袈裟に言えば“一大イヴェント”でも在った。」のだ。
デパートを訪れ、玩具売り場や催し物会場(爬虫類展やインカの秘宝展等)等を廻り、“大食堂”で御飯を食べる。そして、子供達にとって最大の楽しみが、屋上遊園地で在り、又、其処で開催された仮面ライダー・ショーといった感じ。
インターネットや携帯電話なんぞ影も形も無い時代、そして、元記事にも在る様に“レジャーの多様化以前の時代”なので、当時の子供達にとって屋上遊園地は“ワンダーランド”其の物だったと言って良いだろう。
其の頃からすると、デパート自体の“存在意義”が大きく変わってしまったと思う。レジャーの多様化が進み、又、デパートが特別な存在でも何でも無くなった。デパートに行くという事が、晴れの行事では無くなった事も、屋上遊園地が消滅に向かっている要因だろう。寂しい事では在るが・・・。