“ミノ虫は、きっと鬼が生んだ子なんです。”
この発想がどこから生まれたのかとても疑問に思いました。
枕草子を読んでいると、清少納言は根拠のない言葉は
使わないのではないかと考えるようになった。
ミノ虫は「鬼の子」でその親に捨てられた可哀そうな子
という発想の根拠が何かあるはずと考えて探しているうちに
「鬼子母神」の話がでてきた。
鬼子母神は「法華経」のなかに説かれる神様ということだそうです。
そこで、手元にある「法華経新講・久保田正文著」を調べてみた。
ありました、「陀羅尼品(だらにほん)第二十六」に
「鬼子母(きしも)」という言葉がありました。
『その時に羅刹女(らせつにょ)等有り。是の十羅刹女、鬼子母、並びに其の子、及び眷属(けんぞく)と倶(とも)に仏所に詣でて、同声に仏にもうして言(もう)さく・・・』
解説によると、「羅刹」とは食人鬼と訳してあり、今でいえば
食人の習慣をもつ民族のことで、その民族の中の女の人たちがあったというのです。ここに十人の名前があげられています。
それは、藍婆(らんば)、毘藍婆(びらんば)、曲歯(こくし)、華歯(けし)
黒歯(こくし)、多髪(たはつ)、無厭足(むえんぞく)、持瓔珞(じようらく)
このような、十人の食人種の女達がさらに鬼子母と名づける人およびその子
とその仲間たちと一緒に仏のところへ参りまして、一同声をそろえて
仏に申しました。
鬼子母とは、サンスクリットでか利帝母(かりていも)というのを
鬼子母と訳し、また愛子母とも訳す、といわれています。
伝によりますと、初め、千人の子供を持っていたが、常に他人の子を
奪ってこれを食べた。ということです。
仏がこれを戒めようとして、千人の子の中の一人をかくしました。
鬼子母は、それによって母の子に対する愛情に目覚め、
そのときより悔い改めて、五戒を受けて仏の教えに帰依し
仏法と子供たちを守る神となったものといわれています。
〈以上法華経新講・久保田正文著より〉
枕草子のミノ虫の話は、この話を逆に
子供の側から、捨てられた子供が親を慕ってどれほど
悲しがるのか、ということを書いたものと考えました。
清少納言は「法華経は『一乗の法』と言っています。
法華経に精通していたのではないかと思います。
清少納言が枕草子を書くたびに宮中で
読まれていて、名前が有名になったと書かれています。
宮中の方達は教養があるので、法華経の
鬼子母の話を分かっていてこの物語が生まれたことを
理解し、一つの教訓として読まれたのではないかと
考えました。そうでなかったら、あまりにも
唐突な空想でしかないと思いました。
この考えは正しいのかそうでないのか分かりませんが
これで、解せなかった部分が私なりに
解けたような気がして、すっきりしました。
この発想がどこから生まれたのかとても疑問に思いました。
枕草子を読んでいると、清少納言は根拠のない言葉は
使わないのではないかと考えるようになった。
ミノ虫は「鬼の子」でその親に捨てられた可哀そうな子
という発想の根拠が何かあるはずと考えて探しているうちに
「鬼子母神」の話がでてきた。
鬼子母神は「法華経」のなかに説かれる神様ということだそうです。
そこで、手元にある「法華経新講・久保田正文著」を調べてみた。
ありました、「陀羅尼品(だらにほん)第二十六」に
「鬼子母(きしも)」という言葉がありました。
『その時に羅刹女(らせつにょ)等有り。是の十羅刹女、鬼子母、並びに其の子、及び眷属(けんぞく)と倶(とも)に仏所に詣でて、同声に仏にもうして言(もう)さく・・・』
解説によると、「羅刹」とは食人鬼と訳してあり、今でいえば
食人の習慣をもつ民族のことで、その民族の中の女の人たちがあったというのです。ここに十人の名前があげられています。
それは、藍婆(らんば)、毘藍婆(びらんば)、曲歯(こくし)、華歯(けし)
黒歯(こくし)、多髪(たはつ)、無厭足(むえんぞく)、持瓔珞(じようらく)
このような、十人の食人種の女達がさらに鬼子母と名づける人およびその子
とその仲間たちと一緒に仏のところへ参りまして、一同声をそろえて
仏に申しました。
鬼子母とは、サンスクリットでか利帝母(かりていも)というのを
鬼子母と訳し、また愛子母とも訳す、といわれています。
伝によりますと、初め、千人の子供を持っていたが、常に他人の子を
奪ってこれを食べた。ということです。
仏がこれを戒めようとして、千人の子の中の一人をかくしました。
鬼子母は、それによって母の子に対する愛情に目覚め、
そのときより悔い改めて、五戒を受けて仏の教えに帰依し
仏法と子供たちを守る神となったものといわれています。
〈以上法華経新講・久保田正文著より〉
枕草子のミノ虫の話は、この話を逆に
子供の側から、捨てられた子供が親を慕ってどれほど
悲しがるのか、ということを書いたものと考えました。
清少納言は「法華経は『一乗の法』と言っています。
法華経に精通していたのではないかと思います。
清少納言が枕草子を書くたびに宮中で
読まれていて、名前が有名になったと書かれています。
宮中の方達は教養があるので、法華経の
鬼子母の話を分かっていてこの物語が生まれたことを
理解し、一つの教訓として読まれたのではないかと
考えました。そうでなかったら、あまりにも
唐突な空想でしかないと思いました。
この考えは正しいのかそうでないのか分かりませんが
これで、解せなかった部分が私なりに
解けたような気がして、すっきりしました。