元来ヒンドゥー教の主神の一つで、青黒い身体をもつ破壊神としてのシバ神(大自在天)の別名であり、仏教に入ったもの。サンスクリット語のマハーカーラMahākālaの訳で、摩訶迦羅(まかから)と音写。マハーカーラは偉大な黒い神、偉大な時間(=破壊者)を意味する。密教では大自在天の眷属(けんぞく)で三宝(さんぼう)を愛し、飲食を豊かにする神で黒色忿怒(ふんぬ)相を示し、胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)の外金剛部に入れられている。七福神の一つ。
中国南部では床几(しょうぎ)に腰を掛け金袋を持つ姿になり、諸寺の厨房(ちゅうぼう)に祀(まつ)られた。わが国の大黒天はこの系統で、最澄(さいちょう)によってもたらされ、天台宗の寺院を中心に祀られたのがその始まりといわれる。その後、台所の守護神から福の神としての色彩を強め、七福神の一つとなり、頭巾(ずきん)をかぶり左肩に大袋を背負い、右手に小槌(こづち)を持って米俵を踏まえるといった現在よくみられる姿になる。商売繁盛を願う商家はもとより、農家においても田の神として信仰を集めている。民間に流布するには天台宗などの働きかけもあったが、音韻や容姿の類似から大国主命(おおくにぬしのみこと)と重ねて受け入れられたことが大きな要因といえよう。また、近世に隆盛をみた大黒舞いの芸人も大きな役割を果たしたようである。大黒柱などの名とともに親しまれており、東北地方では大黒の年取りと称して、12月に二股(ふたまた)大根を供える行事が営まれている。
日本には密教の伝来とともに伝わり、天部と言われる仏教の守護神達の一人で、軍神・戦闘神、富貴爵禄の神とされたが、特に中国においてマハーカーラの3つの性格のうち、財福を強調して祀られたものが、日本に伝えられた。密教を通じて伝来したことから初期には主に真言宗や天台宗で信仰された。インドでも厨房・食堂の神ともされていたが、日本においては最澄が毘沙門天・弁才天と合体した三面大黒を比叡山延暦寺の台所の守護神として祀ったのが始まりという。後に大国主神と習合した。室町時代になると日蓮宗においても盛んに信仰された。「大黒さん」として親しまれている。
大黒天
大黒天(摩利支天と同一種子)梵名をマハーカーラといい、「大いなる暗黒」との意味があります。
わが国では七福神の一つに数えられ、頭巾をかぶり、大きな袋を背負い、右手に打出の小槌を待
った姿で親しまれています。
しかし、本来は、シヴア神の化身とされ、戦闘をつかさどるほか、冥府の神ともされています。仏教では施福の神として寺院の台所にまつられ、僧侶たちが食べ物の心配をしないで修行に励かことができように、必要なものが手にはいるように寺院を守護します。
大黒天を食厨の柱にまつったところから、家をささえる最も太い柱や一家のあるじを「大黒柱」というようになりました。一般には福徳の神として、商売繁昌などを祈念します。
おん ま ら か きや や そわ か