霊性とはなにか
霊性(れいせい、れいしょう[1])は、非常にすぐれた性質や超人的な力能をもつ不思議な性質[1]、天賦の聡明さ[2]といった意味の漢語であり、肉体に対する霊[1][注釈 1]の意味でも用いられる。また、英語: spirituality()、ラテン語: spiritualitas の訳語でもあり[3]、スピリチュアリティとも訳され、宗教心のあり方、特にカトリック教会などでの敬虔や信仰などの内実やその伝統を指す[4]。カトリック神学用語としての霊性の起源は5世紀に遡るが[3]、神学用語として積極的に用いられるようになったのは20世紀初めのことである[5]。その後、キリスト教用語の枠を越えて広く宗教用語や一般文化用語として用いられている[3]。
わたくしは、人間は霊的存在だと考えている。
なぜならば、人間が、特殊な生命形態を持っているからである。
特殊な生命形態とはどういうものか?
釈尊の「成仏法」を修行すると、それがよくわかるようになるのであるが、ここは、瞑想によって悟を完成し、仏陀になられた大霊覚者ゴータマ・ブッダ、釈尊の語るところによって、 それを知っていただこう。
中阿含経という釈尊直説の経典で、釈尊はこう語るのである。
中阿含経「黄蘆園経」
しょうじょう
我已に是の如き定心を得、清浄にして穢無く煩無く柔軟にして書く
不動心を得、宿命 智通を覚りて作証しぬ。我行 有り相貌 有り、本
無量の経歴せる所を憶うに、謂く一生・二生・百生・千生・成劫・
・無量の成敗劫なり。 彼の衆生某と名づけ、彼昔更に歴ぬ。我曾て彼に
生じ、是の如き姓、 是の如き字にして、 是の如く生じ是の如く飲食し、 是の
如く苦楽を受け、是の如く長寿し是の如く久しく住し是の如く寿り、此に死して彼に生じ、彼に死して此に生じ、 我生じて此に在り、 是の如き姓、 是の如き字にして是の如く生じ是の如く飲食し、 是の如く苦楽を受け、 是の 如く長寿しの如く久しく住し是の如く寿りぬと。これを我その時初夜に
この第一明達を得と謂い、本放逸無きを以て遠離に楽住し、修行し精懃
謂く無智滅しても智生じ、闇壊れて而も明成り、無明滅して而も明生
じ謂く宿命 智を作証明達しぬ。 また次に梵志、我巳に是の如き定
心を得、清浄にして穢無く煩無く、柔軟にして善く住し不動心を得、 生死智
通を学び作証し、我清浄の天眼の人〔眼」を出過せるを以て、この衆生の
死時生時、 好色悪色、妙と不妙と、善処及び不善処に往来するを見、この衆 ぜんしょ
生の所作業に随いてその如真を見、若しこの衆生身悪 [行)、口・意悪行を
成就し聖人を誹謗し、邪見にして邪見業を成就すれば、彼これに因命終りて必ず悪処に至り地獄の中に生ぜん。 若しこの衆生身妙行、
意妙行を成就し、聖人を誹謗せず、正見にして正見業を成就すれば、 彼 これに因縁して身壊れ、命終りて必ず善処に昇り天中に上生せんと見 る]。 これを我その時中夜にこの第二明達を得と謂い、本放逸無きを以て遠 離に楽し修行精動し、謂く無智滅して而も智生じ、闇壊れて面も明成り、 無明滅して而も明生じ、謂く生死智を作証し明達しぬ。 また次に梵志、 我巳 にの如き心を得、清浄にして穢無く煩無く、柔軟にして善く住し不動心 を得、漏尽智通を学び作証し、我この苦の如真を知り、この苦の習を知り、 この苦滅を知り、この苦滅道の如真を知り、この漏の如真を知り、この漏 習を知り、この滅を知り、この滅道の如真を知り、 我是の如く知 是の如く見、欲漏心解脱し、有漏・無明漏心解脱し、解脱し巳りてすな わち解脱を知り、生巳に尽き梵行巳に立ち所作巳に弁じ、更に有を受けずと 真を知る。これを我その時後夜にこの第三明達を得と謂い、本放逸無きを 以て遠離に住し修行精勤し、謂く無智滅しても智生じ、闇壊れて而も明成り、無明滅して而も明生じ、謂く漏尽智を作証し明達しぬ。
(読下しは「国訳一切経」を参照させていただいた)
わたし(釈尊は、つねに努力精進し、その想いは確立してすこしもみだ れず、体は安楽で動揺せず、心は禅定に入って静かである。 そのわたしがあ るとき、瞑想に入ってしだいに禅定が深まってきた。 第一禅定から第二、第 三、第四禅定まで深まるにつれて、心に想い浮かぶなにものもなくなり、喜 びや楽しみだけとなり、そして遂にはそれもなくなって、ただ清浄な想いだ けとなった。
そのとき、わたしの心は、一点のけがれもなく、清く明るく、絶対不動で あった。そしてわたしの心の眼はおのずから前世の光景に向けられていっ た。それは一生だけではなく、二生、三生、十生、二十生、そして無限の生 生きかわり死にかわりした光景が展開してきた。これが第一の智慧で ある。
what is spirituality
Spirituality (reisei, reisho [1]) is a Chinese word meaning such as a mysterious disposition [1] that has a very good nature or superhuman strength, or a natural intelligence [2]. Also used in the sense of spirit[1][note 1]. It is also translated from English: spirituality and Latin: spiritualitas [3], and is also translated as spirituality, which refers to the state of religious mind, especially the reality and tradition of piety and faith in the Catholic Church [3]. Four]. The origin of spirituality as a Catholic theological term dates back to the 5th century[3], but it began to be actively used as a theological term in the early 20th century[5]. Since then, it has been widely used as a religious term and a general cultural term beyond the framework of Christian terminology [3].
I believe that humans are spiritual beings.
This is because humans have a special life form.
What are special life forms?
If you practice Shakyamuni's "Buddha Dharma", you will come to understand it well, but here is the great enlightened person Gautama Buddha, who achieved enlightenment through meditation and became a Buddha, according to the words of Shakyamuni. I want you to know that.
This is what Shakyamuni says in the Chuagami Sutra, a sutra directly written by Shakyamuni.
Middle Agon Sutra "Orange Garden Sutra"
Shojo
I have the determination to write like this, clean and free from pollution and flexibility.
Acquire a sense of steadfastness, wake up to your destiny and wisdom, and write a work. There is a book
As I remember my countless careers, there are so-called lifetimes, two lives, a hundred lives, a thousand lives, a secular life, and so on.
・There are countless successes and failures. Named his sentient beings, he has a long history. to him
Born, surname like this, letters like this, birth like this, eating and drinking like this,
Like this, I received joys and sorrows, lived like this, lived like this, lived like this, lived like this, lived like this, died like this and was born to him, died to him and was born here, I was born and am here, like this. The family name is written like this, and it is born like this, eats and drinks like this, suffers joys and sorrows like this, lives like this for a long time, and lives like this. I made this on the first night
It is said that this is the first attainment of mastery.
Even if Ignorance disappears, wisdom arises
The so-called destiny wisdom has not been achieved. Next, Bonshi and I have this kind of determination.
Acquire the heart, clean and free from impurities, flexible and well-living, acquire a steadfast heart, and the wisdom of life and death.
By learning the arts and making testimony, I can pass through the eyes of the clairvoyant of purity, so that this sentient being
In death and in life, lecherous and lewd, strange and strange, going back and forth between good and bad, all of this people.
Follow the work of life and see the reality, and if this sentient beings are bad [deeds], mouth / bad deeds
If one succeeds in slandering a sage, blaspheming a sage, and accomplishing a wicked act, he will surely end up in a bad place and be reborn in hell. Young sentient beings perform miracles,
If one achieves a miracle, does not slander a sage, and sees the right view and achieves the right view, one will be broken due to this, and after one's life ends, one will surely rise to a good place and rise to the heavens]. This is what I call this second enlightenment in the middle of the night. It flickers and then the light arises, and the so-called wisdom of life and death cannot be proved and attained. Next, I will acquire a heart like Bonshi and I, clean and free from impurities, flexible and well-living, gaining an immovable mind, learning the flow of wisdom and writing, and I will know the truth of this suffering. Know this practice of suffering, know this suffering, know this reality of suffering, know this reality of leakage, know this reality of leakage, know this destruction, know this reality of destruction. To know, to know as I am, to see as I am, to be liberated from greed and ignorance, to be liberated from ignorance and ignorance, to be liberated, in other words, to know liberation, to be exhausted in life, and to stand in the spirit of the gods. To speak to the snake, and to know the truth without receiving existence. This is what I call this 3rd Awakening at that time and at night. There is no flicker and then the light arises, and the so-called leaked wisdom cannot be proved and clarified.
(I referred to "Kokuyaku Issaikyo" for reading down)
I (Shakyamuni) is always striving and diligent, his thoughts are firmly established and not disturbed, his body is comfortable and unshakable, and his mind is calm and tranquil. From the first meditation to the second, third, and fourth meditations, the mind ceased to have any thoughts, only joy and pleasure, and finally it ceased to exist. It was nothing but pure thoughts.
At that time, my heart was pure, bright, and absolutely unmoving. And my mind's eye naturally turned to the scene of my previous life. It was not just one life, but two, three, ten, twenty, and infinite lives, and a scene of life and death unfolded. This is the first wisdom he has.
それからわたしの心は、あらゆる衆生の相に向けられてきた。わたしは超人的な眼力でその相を見た。そこには貴いもの、賤しいもの、美しいもの、醜いもの、幸福なもの、不幸なものの、それぞれの宿業が渦巻いてい た。 これが第二の智慧である。
ど
それからわたしは、苦集滅道の四(四つの真理)をありのままに 知り、わたしの心は、あらゆる存在の相から、全く解放され、ふたたびそれ に執着することはなくなった。これが第三の智慧である。
釈尊は瞑想によって、自分の前生の、二生、 三生、 十生、 二十生、さらには無 限の生涯の生き変わり死に変わりしてきた光景を見ているのである。 それは自 分だけではなく、あらゆる人間の前生と、さらに後有(このつぎの人生)を見て いるのである。
釈尊はここで、決しておとぎ話や、たとえ話寓話をのべているのではない。 釈尊の成仏法を修行すれば、その真実であることがすぐわかる。 その修行により、わたくし自身、人の三、四世代前、そしてつぎの世代における存在までは透 視できるようになっているのである。
人間の生命は、多くの人たちが考えているように、決してひとつの生涯だけで 終わるものではないのである。 ある生涯が終わったら、またひきつづき、つぎの 生命形態に移っていくのである。
多くの人たちはその認識がなく、ひとつの生涯のみで、人の生命は終わるもの と思っている。ここに、決定的な、そして致命的な生命観の欠陥があるのであ
霊性とはじつにそれを知る性なのだ。
人の依って来たるところを知り、去るところ、往くところを知る能力である。
いわゆる来所を知り、住所を知る智慧である。 これを得れば、人はおのずから、 なにをなすべきか、なにをなさざるべきかがわかってくる、そこから人間の真の 進歩発展がスタートするのである。それがないから、人間は、霊的に少しも進 歩せず、発展せず、いつまでも低いところを輪廻して、無限にさまよい歩いてい
るのである。いや、それだけではない。その果てに、人間は、自分の住む大切な
世界を、自らの手で壊滅させてしまうことになるのである。
この無知を、釈尊は、 「無明」 (avidya) と名づけたのである。
ショウジョウバエの論理
「この「無明」という言葉には、二つの意味がある。
まったくの無知と、完全な闇である。
「明」には明知(智慧)と、光明の二つの意味がある。
真実を悟る智慧を持たず、真っ暗闇の中を、手さぐりで歩いている状態であ る。まことに人間はそのとおりではないか。 来たるところを知らず、往くところ を知らず、ただ現在(現生)あるのみである。その現在を、ひたすら目先の利益 追求に狂奔する。その結果、いかなるところに往くのか、いかなる世界に、いか 生命形態として存在することになるのか、まったくお先真っ暗である。 「第三の目」は、このお先真っ暗な闇の世界を見通すのである。「第三の目」に闇はない。 真昼のごとく明らかに見ることができるのである。
奇妙なことに思われるかもしれないが、わたくしは、釈尊の十生、二十生を見 通す力を思うごとに、ショウジョウバエを想い起こすのである。
ショウジョウバエは、その世代が極端に短い。 ふつう、一世代がわずかに約1カ月である。だから、何十世代もの変遷を短時間で見ることができる。
そこで、生物学者や、遺伝学者は、ショウジョウバエを使って、その変化を実 験する。ひとつの遺伝子の変化が、何十世代のうちに、どういう結果を生ずる 目のあたりに知ることができるのである。
釈尊の叡智もそれである。
にょじつ
彼のように、何十世代もの人間の移り変わりを如実に見ることのできる力をそ なえていれば、ひとつの原因が、どのような経過を経て、どのような結果をもた らしたか、つぶさに知ることができる。 彼がじっさいに語っているように、その 人間がなんという名前で、いつ、どこに生まれて、どういう人生を送ったか、ま その人生を終わって、つぎにまたどういう人生を迎えたか、ある生涯のどんな
られている。
行為が、つぎの生涯にどんな結果としてあらわれたか、すべての人間にわたって
知ることができる。これがほんとうのなのである。
仏陀の瞑想から輪廻転生瞑想法へ
さきほどの中阿含経 「黄蘆園経」では、釈尊の瞑想の深まり、生き生きと語瞑想のすべてがここに表現されているといってよい。
二十一世紀という時空のへだたりを飛び越えて、読者よ、じつに、瞑想とはかくのごときものなのだ。ここには瞑想のすべてがある。
この釈尊の体験を、もう少し掘り下げてみよう。
釈尊の瞑想体験には五つの段階がある
ここには、瞑想の深まりとその結果が、じつにあざやかに語られている。
第一の段階
1、つねに一つの目的にむかって精進をつづけることができ、想念が確立してみだれず、
3 からだは安楽で動揺しない。
第二の段階
4、心はいつも定に入って静かである。
第一禅定から第二、第三、第四禅定までしだいに深まっていって、
1、心に想い浮かぶなにものもなくなり、
2、喜びや楽しみだけとなり、
第三の段階
3、ついにはただ清浄な想いだけにみたされ、
4、一点のけがれもなく、清く明るく、絶対不動となった。
つづいて心の眼がひらかれ、
1、自分の前世における光景が展開しはじめる。
第四の段階
2、 それは一生だけでなく、二生、三生、十生、二十生とかぎりなくさか
のぼり、無限の生涯の、生き変わり死に変わりした光景が展開する。
そきゆう
それは生命の根源への遡及であり、第一の智慧の獲得であった。
心の眼はさらに広く深くひろがり、ひとの持つ能力の限界を越えて、過去、現
そして未来へと流れていくあらゆるひとびとのすがたが透視される。
カルマ
それは、存在を規制する宿業の実体の把握であった。
これが第二の智慧の獲得である。
第五の段階
つづいてわたしは、
カルマ
げだっ
1、宿業から解脱する四つの真理を如実に知り、
2、あらゆる存在からの解説と超越を完成した。
それは第三の智慧の獲得であり、「解脱の瞑想」 であった。
いかがであろうか? すばらしい体験だとあなたは思わないだろうか? れが仏陀の瞑想なのである。そうしてだれでも、仏陀の瞑想をすればこういう境 地に達することができるのだ。
だが、そういうと、あなたはいうかもしれない。釈尊のような大天才と、凡人 であるわれわれと、どうしていっしょになるものか、釈尊がそういうすばらしい 体験をしたからといって、それがそのままわれわれに通ずるとはかぎらないの だ。むしろ、鶏のまねをするカラスで、けっきょく、骨折り損のくたびれもうけ ということになるのではないか、と。
そうではないのである。
釈尊とおなじ瞑想をすることにより、われわれもまた彼とおなじ結果に到達す ることが可能なのである。 最初の道を切り開くものは天才でなければならぬ。 し かし、すでに天才の開いた道は、だれでも歩むことができるのである。
Since then, My heart has been directed to all aspects of sentient beings. I saw that face with superhuman eyesight. There swirled the karma of the noble, the humble, the beautiful, the ugly, the happy, and the miserable. This is the second wisdom.
degree
After that, I came to know the Four Paths of Suffering and Destruction (Four Truths) as they were, and my mind was completely freed from all aspects of existence, and I never clung to them again. This is the third wisdom.
Through his meditations, the Buddha sees the scenes of his previous lives, which have been transformed into the rebirths and deaths of his second, third, ten, twenty, and even infinite lives. He sees not only himself, but all human beings in their previous and subsequent lives.
The Buddha is not telling fairy tales or parables here. If you practice Shakyamuni Buddha's Dharma, you will soon find out its truth. Through his training, I have become able to see myself, three or four generations before and even the next generation.
Human life, as many people think, does not end with just one lifetime. After one life is over, one moves on to the next life form.
Many people are unaware of this and believe that human life is over in only one lifetime. Here lies a crucial and fatal flaw in the view of life.
Spirituality is the nature of knowing it.
It is the ability to know where people come from, where they leave, and where they are going.
It is the wisdom to know the so-called arrival and address. Once people have this, they will naturally understand what they should do and what they should not do, and that is where true progress and development of human beings will begin. Without it, human beings do not make any progress or develop spiritually, and continue to wander endlessly in circles in the low places.
It is. No, that's not all. As a result, human beings
He will destroy the world with his own hands.
This ignorance is what the Buddha called ignorance (avidya).
Drosophila Logic
"The word 'ignorance' has two meanings.
Total ignorance and total darkness.
“Ming” has two meanings: wisdom and light.
Lacking the wisdom to perceive the truth, he walks fumbling in pitch darkness. Is it not so with humans? He does not know where he is coming, he does not know where he is going, he is only present. In the present, he is frantically pursuing immediate profit. As a result, where he will go, what kind of world he will exist in, and what kind of life form he will exist in, the future is completely dark. The "third eye" sees through the dark world ahead. There is no darkness in the "third eye". You can see it as clearly as it is at noon.
Strange as it may seem, every time I think of Buddha's ability to see through his ten or twenty lives, I think of fruit flies.
Drosophila have an extremely short generation. Usually, one generation is only about one month. So you can see the transition of dozens of generations in a short time.
So biologists and geneticists use fruit flies to experiment with the changes. It is possible to see with one's own eyes what kind of results a change in one gene will produce in dozens of generations.
So is the wisdom of the Buddha.
Nyojitsu
Like him, if you have the power to see the transitions of dozens of generations of human beings, you will be able to understand how a single cause has led to what kind of process and what kind of result. You can know in detail. As he actually says, what was the name of that person, when and where was he born, what kind of life did he lead, and what kind of life did he end his life, and what kind of life did he face again, a certain life What kind of
It is
Across all human beings, what the result of the action was in the next lifetime
can know. This is the real deal.
From Buddha Meditation to Reincarnation Meditation
It can be said that the deepening of Shakyamuni's meditation and the lively speech meditation are all expressed here in the Middle Agon Sutra "Huang Roen Sutra" that I mentioned earlier.
Jumping over the 21st-century gap in time and space, dear readers, this is what meditation really is. This is where meditation is all about.
Let us delve a little deeper into this experience of Buddha.
Buddha's meditation experience has five stages
Here, the depth of meditation and its results are vividly told.
first stage
1. To be able to continue devoting oneself to one purpose at all times, to be able to consolidate one's thoughts,
3 His body is easy and restless.
second stage
4. The mind is always calm and quiet.
From the first meditation to the second, third, and fourth meditation, it gradually deepens,
1. Nothing comes to mind,
2, only joy and pleasure,
third stage
3. At last filled with nothing but pure thoughts,
4. Not a single point of blemish, clean and bright, absolutely immovable.
Then the eyes of my heart opened,
1. The scene in my previous life begins to unfold.
fourth stage
2. It is not only a lifetime
Ascending, the spectacle of an infinite life, transformed into rebirth and death, unfolds.
sokiyuu
It was a retrospective to the root of life and the acquisition of the first wisdom.
The mind's eye expands further and further, transcending the limits of one's ability to see the past and the present.
And all the people flowing into the future are seen through.
karma
It was a grasp of the substance of the lodging that regulates existence.
This is the acquisition of the second wisdom.
fifth stage
I then
karma
Geda
1. Clearly know the four truths that will free you from karma,
2. Completed commentary and transcendence from all beings.
It was the acquisition of the third wisdom, ``meditation of liberation''.
What do you think? Isn't it a wonderful experience for you? This is Buddha's meditation. So anyone can reach this state by meditating on the Buddha.
But then you might say, How can a great genius like Buddha and ordinary people like us get together? Or rather, a crow imitating a rooster, and in the end he would end up getting tired of his unsuccessful efforts.
It is not so.
By doing the same meditation as the Buddha, we can also reach the same results as he did. A genius must be the one who paves the first path. However, anyone can follow a path that has already been opened by a genius.