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解脱に至る四つの階梯   Four steps leading to liberation

2023-11-29 18:02:04 | タブレットPC

 

賢明な読者はすでにお気づきであったろう。これが、チベット密教のいう 「思念による王者の相承」であることを。 思念による王者の相承とは、じつ に、霊的バイブレーションによる伝達だったのである。

 

わたくしは、これによって、解説に至る四つの階梯のうちの、第三の境地に 達したことを自覚したのであるが、これは、 間脳開発の練行tapasを成就してい なかったら、絶対に得られなかったものである。 内なる受容の態勢がととのっ て初めて、外よりの王者の相承が発せられるのである。

解脱に至る四つの階梯

バイブレーション

いま、わたくしは、「解説に至る四つの階梯」といった。

 

だれでも、解脱に至るためには、この四つの段階を経なければならない。そ

してこの四つの階梯を、すぐれた聖師にしたがって歩んでいくならば、だれでも 解説に到達できるのである。もちろん、あなたにしてもそのとおりだ。

四つの階梯とは、

そこで、この四つの階梯について、のべてみよう。

1 srota äpanna-

二、 sakrd-agamin-

三、 anāgamin-

四arhat-

である。

説明すると

須陀きよめられた聖者

 

阿那含

阿羅漢

斯陀含

高められた聖者

阿那

飛躍した聖者 (次元を)

阿羅漢

次元を超越し、完成した聖者、「仏陀」ともいう。

インスピレーション

では、この四つの階梯を、修行者はどのようにして歩んでいくのだろうか。

大脳辺縁系・新皮質脳を殺す修行

それはひと口にいって、大脳辺縁系・新皮質脳を殺す修行である。

大脳辺縁系と新皮質脳を殺さなければ、 間脳は作動せず、第三の目は開かな いのである。

ただし、誤解してはいけない。 大脳辺縁系・新皮質脳を殺すということは、 究極において、大脳辺縁系、 ことに新皮質脳を生かすということなのである。新 皮質脳は「創造の座」であるといわれる。しかし、ほんとうの創造の座は間脳に あるのである。 間脳はこれまでくり返し説いてきたように、霊性の場であり、

感のなのである。ここが開発されることにより、ほんとうのインスピ レーションが発生するのである。

ただし、問脳を開発するためには、しばらくの間、大脳辺縁系と新皮質脳を 閉ざさなければならないのである。 間脳が開発されたとき、新皮質脳は新しく よみがえる。新しくよみがえった新皮質脳こそ、霊性を基盤とした超人的なイ ンスピレーションと創造力を持つ頭脳となるのである。

ではそれはどんな修行か?

霊性完成の方法と体系

釈尊が残した霊性完成の修行法がそれである。 これを、わたくしは、 「成仏 「法」とよんでいる。成仏とは霊性を完成したことをいい、それを成就した人を

「仏陀」とよぶ。だからわたくしはその方法を、「成仏法」とよぶのである。 くわしくは、「輪廻転生瞑想法II」 でのべたとおりであるが、それは七つのシ ステムと三十七種のカリキュラムから成る成仏のための方法と体系である。これ

阿含経では「七科三十七道品」あるいは「三十七菩提分法」 とよぶのであ る。この二つの名称は、わたくしが勝手につけたのではない。古来からの仏教用 語である。

わたくしが、阿含経以外のお経法華経、阿弥陀経をはじめすべてのお経 いささか激しい表現で批判するのは、阿含経以外のお経には、どの経典に も、この成仏法がないからである。釈尊がじっさい説かれたのは阿含経だけで あるという歴史的な事実のほかに、阿含経以外には、この「成仏法」がないか わたくしはそういうのである。 「成仏法」のない経典など、わたくしは真実 仏教経典と認めることはできないのである。もちろん、それなりの存在意義 なり存在価値はあろうが、本流ではない。傍流というべきである。このことに 関しては、わたくしの他の著書を読んでいただきたい。

七科三十七道品とはつぎのようなものである。

 

四法

身念住法 受念法

心念住法。

法念住法

以上である。

四正断法 断断法修断法 随護断法 律儀断法

四神足法 神足法 勤神足法 心神足法 観神足法

五根法 信根法 精進根法 念根法定根法 慧根法

五力法 ―信力法 精進力法 念力法定力法 慧力法

七党支法 一択法覚支法 精進覚支法 喜覚支法 軽安覚支法 捨覚支法 定覚支法念覚支法

八正道法正見法 正思惟法 正語法 正業法 正命法 正精進法 法定法

この七科目、三十七種のカリキュラムは、

う。

 

に分類できる。

四念法・五根法は、瞑想である。

霊性の洗礼

四正断法・五力法・七覚支法・八正道法は、実践と瞑想である。

四神足法は、特殊な練行tapas である。

神足とは、神通力(超能力)のことで、この四神足法は、 超自然の神通力を得 るための四種の修行法である。 前にのべたわたくしの練行tapas はこれに属する

この七つの科目のうち、 練行tapasを中心に、瞑想と実践の科目をとり入れて 修行するのである。どの科目をどうとり入れて、どのように訓練するかは、 聖師が決定する。修行者それぞれ、みな素質と因縁がちがうので、それを見 て、グルが決めるのである。

この修行において、グルの果たす役目は大きい。グルについて、少しのべよ

まず、間違いなく霊性を開顕したグルを見つけて、そのグルに受け入れても らうことである。それができたら、この修行は八分どおり成功したといっていい くらいである。それくらい重要なことであり、かつ、むずかしいということで ある。

グルなくして、正しい霊性開顕の仏道修行は不可能である。ふつうの仏教信 心とはちがうのである。 信心のしかたや、信仰のしかた、経典の講義や解釈を教 わるという程度のものならばとにかく、霊性開顕の仏道修行は、強力な霊的能力 を持つグルの助けなくしては、絶対といっていいほど、できないのである。

たとえば、インド近代の聖者ラーマナ・マハリシが、入門者に対して、「凝視 の方法」で受け入れの儀式をおこなったとき、彼の両眼の輝きと力が相手の心 をつらぬいて、その雑念の流れを断ち切ってしまったといわれる。ときとして は、まるで電流が身の内に流れ込んだように相手は感じたともいわれる。

こういう霊的体験によって、弟子はまず心をきよめられ、霊的なものに対す あこがれ、霊的向上心をいだくようになるのである。霊性の洗礼である。その 人の素質にもよるけれども、一度、霊的な洗礼を受けた者は、霊的感覚がひら かれ、霊的世界への憧憬が芽ばえる。いままでとちがう高い次元の存在が、感覚 されるのである。霊性開顕への第一歩で、これが非常に大切なのである。わた くしなども、弟子に対し、 わたくし独自の受け入れの方法をおこなうが、ただ問 題は、ほんとうに霊性開顕したグルは非常に稀だということである。 にせもの グルや、未熟なグルにかかわり合うと、とり返しのつかぬことになる。まず、 間違いなく霊性を開顕したグルを見つけること、つぎにそのグルに受け入れても らうことだ。グルはなかなか弟子を受け入れないものである。

さいわいに、受け入れてもらった弟子の心がまえについて、のべておこう。 グルに受け入れてもらったら、弟子は、そのグルに心からしたがうことであ る。心から尊び敬わなければならない。

グルは弟子にとって仏陀そのものなのである。グルは弟子にとって、過去に

へんげしん

出現した仏陀たちの変化身であり、未来の仏陀たちが生まれ出る母であり、い まここに仏陀を体現している尊い存在なのである。

グルは、弟子にとって、この世の中のいかなるものよりも尊い、かけがえの ない存在であるといわねばならない。なぜならば、弟子は無限の昔から輪廻の旅 をつづけて、いまここに至っている。 これからも苦しい輪廻の旅を無限につづけ ていかなければならない。過去、いままでの生)にどれだけ多くの仏陀たちが 輪廻の鎖を断ち切ってニルヴァーナに至るようよびかけたことであろうか。し かし、煩悩と悪行に心曇らせていたために、弟子は、それらの仏陀たちの招き にこたえることができなかった。それがいま、ここに、無量の慈悲心をもって ニルヴァーナに導いてくれる師があらわれ、その方と縁が結ばれた。グルこそ 仏陀そのものなのである。その深い畏敬と憧憬の心をもってグルにしたがった とき、グルは全身全霊の力をもって、弟子を導いてくれるであろう。グルは、 弟子と仏陀とを結ぶかけがえのない水路であり、この水路を通じて仏陀の霊性 霊的パワーが弟子の心に流れ込んでくるのである。最終的な霊性の開顕は、

グルからの霊的パワーの感応なのである。 感応道交といい、画龍点睛という言葉があるが、すべての技法の最後の仕上げは、グルからの霊的感応なのであ る。そしてそれは、師と弟子と、純一無雑に心が融け合わねばなしえないもの なのである。

受け入れの秘儀

ここで、わたくしがおこなってきた独自の「受け入れの秘儀」についてお話 ししておこう。

わたくしのおこなう、「受け入れの秘儀」とは、凝視のしかたと、 それから、 わたくしの指導によるアージュニャー・チャクラへのメッセージ伝達から成っ ている。

この凝視のしかたをおこなう聖者は、ほんのわずかであるが、わたくし以外 にもおられる。しかし、これは、クンダリニー・ヨーガを完成した聖者でなけれ ばできない。

このことは、前出の『密教・超能力の秘密」に書いているが、このころ、わ たくしは「受け入れの秘儀」に凝視のしかたで臨むということを、 すでに決め ていた。しかし、残念ながら、当時、わたくしの弟子として受け入れることので きる人は、まったくといっていいほどいなかった。 最近になってようやく、熱心 に修行している弟子の中から出てきて、実現できたのである。

「受け入れの秘儀」は、いわば仏教の入門得度にあたる。だから、弟子のことを いつも心にかけ、その一人一人に応じたしかたで指導していく。凝視したとき に、 「今後、どのように指導していったらよいか。 どういう霊障を持っているの か」がすべてわかってしまうので、それに応じて指導していくのである。

そして、アージュニャー・チャクラへのタッチも、おこなう。 弟子へのメッ セージを伝えるのである。それには三種類あるが、いずれも、潜在意識に直に 伝える。これは、前述の「思念による王者の相承」の一部にもなっているので ある。

さらに高度な「霊感伝授受け入れの秘儀」へ

既刊「輪廻転生瞑想法I」でのべたとおり、阿含宗は、すでに南伝、北伝、 東伝の三つの仏教体系を統合した世界で唯一の完全仏教教団であったが、先 年、ブータン仏教から強力な霊力を持つ、世界最高の霊法を伝えられたことに より、霊力の面でも完璧となり、名実ともに世界的な完全仏教となった。

わたくしは、この世界最高の霊法をもって、前述の「受け入れの秘儀」を発 させた、さらに高度な秘儀、「霊感伝授受け入れの秘儀」をはじめることにし た。

なぜ霊感伝授”なのか?

さきほどわたくしは、

インスピレーション

間脳はこれまでくり返し説いてきたように、霊性の場であり、霊感の座 なのである」

とのべた。

霊感伝授〟としたのは、この秘儀が、霊感の座である間脳にアプローチする 秘儀だからである。

「受け入れの秘儀」は、凝視のしかたとアージュニャー・チャクラへのタッチ であったが、この「霊感伝授受け入れの秘儀」は、さらに脳の深部の霊性の場 二、強力な霊力を送り込む。

高度の秘儀であるので、そうとうに熱心に修行して、ある程度霊性を開顕し 弟子しか受けることができない。 しかし、弟子たちは、この「霊感伝授受け 入れの秘儀」を受けることで、成仏法を完全に受け入れることができる、ひと つの思念の力を受けとるのである。

 

Astute readers may have already noticed this. This is what Tibetan Esoteric Buddhism calls ``succession of the king through thought.'' The succession of kings through thought was actually communication through spiritual vibrations.

 

Through this, I realized that I had reached the third state of the four steps leading to explanation, but this is because I had achieved tapas, an exercise in the development of the diencephalon. It was something I could never have gotten. It is only when the inner state of acceptance is established that the mutual acceptance of the king from the outside can be expressed.

Four steps leading to liberation

vibration

Now, I call it ``four steps leading to explanation.''

 

Anyone must pass through these four stages in order to attain liberation. So

Anyone can reach the explanation by walking through these four steps according to the guidance of an excellent sage. Of course, the same is true for you.

What are the four stairs?

So, let's talk about these four steps.

1 srota äpanna-
2. sakrd-agamin-
3. anāgamin-
Four arhat-

It is.

To explain

Suda Purified Saint

 

Anagome

Arhat

Includes Sida

exalted saint

Ana

The Saint Who Leaped (Dimension)

Arhat

A saint who has transcended dimensions and achieved perfection, also known as the ``Buddha''.

Inspiration

So, how does a practitioner walk through these four stages?

Training to kill the limbic system and neocortical brain

Simply put, it is a training that kills the limbic system and neocortical brain.

Unless the limbic system and neocortical brain are killed, the diencephalon will not function and the third eye will not open.

However, don't get me wrong. Killing the limbic system and the neocortical brain ultimately means keeping the limbic system, especially the neocortical brain, alive. The neocortical brain is said to be the ``seat of creativity.'' However, the true seat of creation is in the diencephalon. As I have repeatedly explained, the diencephalon is a place of spirituality,

It's a feeling. It is through this development that true inspiration occurs.

However, in order to develop the brain, the limbic system and neocortical brain must be shut down for a while. When the diencephalon is developed, the neocortical brain is reborn. The newly revived neocortical brain becomes a brain with superhuman inspiration and creativity based on spirituality.

So what kind of training is that?
Method and system of spiritual perfection

This is the training method for spiritual perfection left behind by Shakyamuni Buddha. I call this the ``dharma'' of attaining Buddhahood. Buddhahood refers to the completion of spirituality, and refers to the person who has achieved this.

It is called "Buddha". That is why I call this method ``the method of attaining Buddhahood.'' In detail, as mentioned in ``Reincarnation Meditation Method II,'' it is a method and system for attaining Buddhahood that consists of seven systems and a curriculum of 37 types. this

In the Agon Sutra, it is called ``Seven Sciences, Thirty-Seven Ways,'' or ``Thirty-seven Bodhisattvas.'' I did not choose these two names arbitrarily. It is an ancient Buddhist term.

The reason why I criticize all the sutras other than the Agon Sutra, including the Lotus Sutra and the Amida Sutra, in rather harsh terms is because none of the sutras other than the Agon Sutra do not have this method of attaining Buddhahood. In addition to the historical fact that Shakyamuni Buddha actually preached only the Agon Sutra, there is no other ``Dharma for attaining Buddhahood'' other than the Agon Sutra. I cannot accept any sutra without the ``Dharma of Buddhahood'' as a true Buddhist sutra. Of course, it has some significance and value, but it is not mainstream. It should be called a side stream. Please read my other books on this subject.

The thirty-seven disciplines of the seven disciplines are as follows.

 

four laws

Mind-judgment method Acceptance method

Mind meditation method.

Hoenjuho

That's all.

Shisei Danho, Danshaho, Modification Law, Zuigodanho, Ritsugidanho
Four God Foot Laws, God Foot Law, Shinshin Foot Law, Shinshin Foot Law, Kanshin Foot Law
Five-radical method, Shin-kon method, Shojin-kon method, Nekkon-ho root method, Kei-gen method
Five power methods - Faith method, Devoted power method, Psychokinesis law, Eiryoku method
Seven-Party Branch Method One-Choice Method Gaku-Chi Method Shojin Gaku-Chi Method Ki-Kaku-Chi Method Light An-Kaku-Chi Method Saku-Gaku-Chi Method Jo-Gaku-Chi Method Nen Gaku-Chi Method
The Eightfold Path, the Law of Right View, the Law of Right Thought, the Law of True Words, the Law of Right Work, the Law of True Life, the Law of True Shojin Law, the Law of Statutory Law

These seven subjects and 37 types of curriculum are:

cormorant.

 

It can be classified into

.

The Four Thought Laws and the Five Root Laws are meditations.

baptism of spirituality

The Fourfold Dharma, the Five Powers, the Seven Awakenings and the Eightfold Path are practices and meditations.
Shigami Ashiho is a special practice of tapas.

Kamiashi refers to divine power (superpower), and these four divine foot methods are four types of training methods to obtain supernatural power. My practice tapas that I mentioned earlier belongs to this category.

Among these seven subjects, training focuses on tapas, meditation, and practice. The priest decides which subjects to incorporate and how to train them. Each practitioner has different qualities and connections, so the guru decides based on this.

The guru plays an important role in this training. Tell me a little about Guru.

First of all, find a guru who has definitely revealed spirituality, and even if you are accepted by that guru, he will not accept you. If he can do that, he can say that this training has been 80% successful. He says it's that important and difficult.

Without a guru, proper Buddhist training for spiritual enlightenment is impossible. This is different from ordinary Buddhist devotion. Even if it is just a matter of being taught how to have faith, how to have faith, and how to lecture and interpret scriptures, Buddhist training for spiritual enlightenment is absolutely impossible without the help of a guru with powerful spiritual abilities. Suffice to say, it can't be done.

For example, when Ramana Maharishi, a modern Indian sage, used the ``method of gaze'' to perform an acceptance ritual for initiates, the brilliance and power of his eyes penetrated the hearts of the initiates, clearing them of their thoughts. It is said that the flow has been cut off. It is said that at times he felt as if an electric current had flowed into them.

Through this kind of spiritual experience, the disciple's heart is first purified, and he develops a longing for spiritual things and a desire for spiritual improvement. It is a baptism of spirituality. Although it depends on the person's caliber, once a person has undergone spiritual baptism, their spiritual senses are enlightened and their yearning for the spiritual world begins to bloom. The existence of a higher dimension than before can be sensed. This is the first step towards spiritual enlightenment and is extremely important. I, his comb, etc., use my own method of acceptance for my disciples, but the problem is that there are very few gurus who have truly achieved spiritual enlightenment. If you get involved with a fake guru or an immature guru, you will be irreversible. First, find a guru who has definitely revealed spirituality, and secondly, if you are accepted by that guru, he will not accept you. Gurus do not easily accept disciples.

I would like to say this about the heart of the disciple who was fortunate enough to be accepted. Once a disciple is accepted by a guru, he becomes a disciple by following the guru wholeheartedly. It must be respected and respected from the heart.

The guru is the Buddha for his disciples. The guru is the past for the disciple.

Hengeshin

She is the incarnation of the Buddhas who have appeared, the mother from whom future Buddhas will be born, and she is a precious being who truly embodies the Buddhas.

It must be said that for the disciple, the guru is an irreplaceable person, more precious than anything else in this world. This is because the disciple has been on a journey of reincarnation since time immemorial and has now reached this point. From now on, he must continue his painful journey of reincarnation. How many Buddhas have called upon us in our past lives to break the chains of reincarnation and reach Nirvana? However, because his mind was clouded by his worries, desires, and evil deeds, the disciple was unable to respond to the invitations of these Buddhas. Now, here, a teacher appeared who guided him to Nirvana with infinite compassion, and he formed a bond with that person. The Guru is the Buddha himself. When he follows his guru with deep reverence and admiration, the guru will guide him with all his strength. The guru is an irreplaceable waterway that connects the disciple and the Buddha, and it is through this waterway that the Buddha's spiritual power flows into the heart of the disciple. The final manifestation of spirituality is

It is a response of spiritual power from the Guru. There is a term called sensō doko (sensation path training), and the final touch of all techniques is spiritual sensitivity from the guru. And this is something that can only happen if the hearts of master and disciple are united in a simple and pure way.

the secret of acceptance

Here, I would like to talk about the unique ``Mystery of Acceptance'' that I have been practicing.

The ``Mystery of Reception'' that I perform consists of a method of gazing and then, under my guidance, transmitting a message to the ajna chakra.

There are only a few saints other than myself who use this method of gazing. However, this can only be done by a saint who has perfected Kundalini Yoga.

I wrote about this in the aforementioned ``Secrets of Esoteric Buddhism and Psychic Powers,'' but around this time he had already decided that he would approach the ``Mystery of Acceptance'' with a fixed gaze. Ta. Unfortunately, at that time, there were very few people who were willing to accept me as my disciple. It was only recently that he came out among the disciples who were diligently practicing and was able to realize it.

The ``Mystery of Acceptance'' is, so to speak, an introduction to Buddhism. Therefore, he always cares about his disciples and instructs them in a way that suits each one of them. When he stares at him, he knows everything about how to guide him in the future.

Also, touch the ajna chakra. He conveys his message to his disciples. There are three types of it, all of which convey information directly to the subconscious mind. This is because it is part of the aforementioned ``succession of the king through thought''.

Towards a more advanced “Mystery of receiving inspirational transmissions”

As mentioned in the previously published book ``Reincarnation Meditation Method I'', the Agon sect was already the only complete Buddhist sect in the world that integrated the three Buddhist systems of Southern Buddhism, Northern Buddhism, and Eastern Buddhism. By transmitting the world's best spiritual law with powerful spiritual power, Buddhism became perfect in terms of spiritual power and became a world-famous complete Buddhism in both name and reality.

Using the world's highest spiritual law, I decided to begin an even more advanced mystery, the ``Mystery of Inspirational Initiation Acceptance,'' which had given rise to the aforementioned ``Mystery of Acceptance.''

Why “inspirational transmission”?

A while ago, I

Inspiration

As I have repeatedly explained, the diencephalon is a place of spirituality and a seat of inspiration.

He said.

The reason why it was called "Inspirational Initiation" is because this mystery approaches the diencephalon, which is the seat of inspiration.

The ``Mystery of Acceptance'' involved gazing and touching the ajna chakra, but this ``Mystery of Inspirational Initiation Acceptance'' further explores the deep spiritual places in the brain and the powerful spiritual power. Send it in.

Since it is a highly esoteric ritual, only disciples who have practiced it diligently and have revealed their spirituality to a certain extent can receive it. However, by receiving this ``Mystery of Inspirational Transmission and Reception,'' disciples receive the power of a single thought that enables them to fully accept the Buddhahood Dharma.

 

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Bonji 梵字   准胝観音  七倶胝仏母  Cundī

2023-11-29 16:27:39 | 運命学

 

 

 

 

准脈とは、梵名チュンディー(Cundi)の音写で 「清浄無垢」という意味があり、さとりの道を歩 ませる観音です。

別名、准胚仏母、七俱肢仏母とも呼ばれます。 七俱脈とは「無量」を意味しますから、多くの諸 仏の母となります。そのため観音菩薩ではないと の説もあります。経軌にも観音として説かれてい ないことから、天台密教では准賦如来として仏部 の尊としますが、真言密教では観音の一つとして 六観音の中に加えます。

求児・安産の本尊としてもまつられます。もと は水の神で、その姿は女身といわれています。」

准胝観音

仏の母といわれ母性を象徴する安産・子授けの観音菩薩

准胝観音(じゅんていかんのん)とは?

准胝仏母(じゅんていぶつも)・七倶胝仏母(しちくていぶつも)ともいいます。もとはヒンドゥー教の女神であるドゥルガーで、シヴァ神の妃とされています。とても美しい姿ですが、神々の武器を持って魔族を倒した戦いの女神です。そのため本来は女尊であり、観音ではないという指摘もあります。しかし、ここでは観音として紹介しますね。

 

仏教に取り入れられてからは慈悲深い清浄をもたらす神とされ、七倶胝仏母(しちぐていぶつぼ)ともいわれています。これは遙か過去より多くの仏を誕生させた仏の母という意味です。そのため、真言宗系では人道を救済する六観音(聖観音・千手観音・十一面観音・如意輪観音・馬頭観音・准胝観音)に数えられますが、天台宗系では准胝仏母といわれ如来に分類されています。不空羂索観音と合わせて七観音と呼ばれることもあります。

ご利益

修道者守護、無病息災、延命のご利益があり、安産や子供が授かるなどの功徳があります。

 

空海の孫弟子にあたる理源大師(りげんだいし)聖宝は修験の僧として知られ、自ら霊木を刻んで祀ったのが准胝観音と如意輪観音でした。経典には、修験者が准胝陀羅尼を唱えれば身が清浄となり成仏できると説かれています。また聖宝は醍醐天皇の皇子誕生を准胝観音に祈願し、のちの朱雀、村上両天皇が誕生したといいます。そのため一般的には子授け、安産としての功徳が知られています。

准胝観音(じゅんていかんのん)の像容

手は18本で3つ目の姿であることが多いです。中央の手は説法印と施無畏印をとります。また持ち物は武器や数珠、蓮華などを持っています。

有名寺院と像

・京都府:醍醐寺

准胝観音(じゅんていかんのん)の真言

オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ

 

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如来の当体は仏法 「如来を礼すべし」  The essence of the Tathagata is Buddhism: ``You should worship the Tathagata.''

2023-11-29 13:55:06 | 運命学

-如来の当体は仏法

「如来を礼すべし」

とは、仏とその法を礼すべしという意味になります。 なぜならば、 如来の当体は仏法だからで す。仏法を完全に体得しているから如来なのです。 仏法をまったく知らなければ凡夫です。 仏法 を体得しようと修行している者が修行者です。 要するに如来を礼拝するとは、仏陀だけを想えと いう意味ではなくて、仏陀のかなたに仏法があると見よ、ということです。 仏陀を礼拝するとい うことは、仏陀そのものだけではなくて、仏陀を通して仏法を礼拝するということにほかなりま せん。 仏法とは、分かりやすくいえば真理です。 仏陀とは真理の体現者です。 要するに、真理の体現者を通じて真理を見ろ、ということです。そのために「止の瞑想」をして、ひたすら如来と その仏法を礼拝して一体となれ、とお釈迦さまは教えておられるわけです。

それによって二つの法が得られるのです。

「一に智慧とし、二に滅尽と為す」

とあるように、智慧と滅尽が得られます。

智慧とは仏の智慧、みやくさんだいっ。尽とは解説のことです。カルマや因縁を滅させること、それが解脱です。

仏法の極意は二つあります。一つは仏の智慧を体得することで、もう一つは因縁を断ち切り、 因縁を滅させることです。カルマから超越することです。それらは如来を礼拝して瞑想するこ とによって得られます。 如来を通じて、如来の法を得ることにより、智慧と解脱が得られるのだ、 お釈迦さまはおっしゃっているわけです。

次の『有無品・八』では、

「此の二法有り、内に自ら思惟し、専精意を一にして当に法宝を礼すべし。 如来の神廟を礼せ よ」とあります。 「内に自ら思惟し、専精意を一にして」とは、前経と同じく「止の瞑想」を示し ています。 「法宝を礼すべし」の法宝とは「法という宝」のことです。 前経では「仏陀如来を 「礼拝しなさい」 となっておりました。そして『有無品・八』では、「法宝を礼拝しなさい」 とな っています。

わたくしがこの部分を初めて目にした時、直ちに頭に浮かんだのは弘法大師空海の『弁顕密 二教論」です。空海は『弁顕密二教論』、略して『二教論』という有名な書を記しておられま す。これは仏教を顕教と密教の二つに分類し、密教の優位を説いた著作で、真言密教の根本教義 を知る上で非常に重要な論書とされております。 空海は同論下巻で、

「第一法宝即是摩訶般若解脱法身。第二法宝謂戒定智慧諸妙功德。所謂三十七菩提分法。乃至以 修此法而能証彼清浄法身(第一の法宝とは即ち是れ可解なり。第二の法宝とは

の諸の妙功徳なり。いわゆる三十七がなり。乃至、此の法を修するを以て面かも能く彼の清浄 法身を証す)」

と記しておられます。 三十七菩提分法とは、わたくしがお釈迦さまの成仏法だといっている、 七科三十七道品の別名です。それが法宝であると空海はおっしゃっているのです。

わたくしが『有無品」の「法宝を礼すべし」という箇所を読んで、最初に思いだしたのは前述 の文章でした。もちろん『二教論』のその文章だけで、空海が「阿含経」を読んでいたと即断す ることは早計かもしれませんが、少なくとも三十七菩提分法の名前はご存知であり、またそれが 法宝であるとおっしゃっていることは、まぎれもない事実です。それなのにどうして真言宗を立 てて、「阿含経」とその成仏法を立てなかったのか? その点は疑問であり、また、後代のわた くしたちには知る由もありませんが、空海が三十七菩提分法の存在をご存知であったことは、文 献から窺い知れるというわけです。

お経に戻ります。 お釈迦さまは「法宝を礼すべし」とおっしゃっておりますが、まさに空海の 『二教論』にあるように、この法宝とは単に仏の教えを指すのではなく、お釈迦さまの成仏法・ 科三十七道品を示している、とわたくしは解釈しております。お釈迦さまの成仏法を法の宝と して礼拝しなさい、という意味に違いない。礼拝しなさいといっても、単に礼拝せよということ ではなく、 これは、

「取り入れなさい。修行しなさい」

と解釈すべきでしょう。

とあります。 神廟とは祠です。仏教でいう神廟とは仏塔 (仏舎利塔) であります。つまり如来 の本体を祀った仏塔を礼拝せよ、という意味です。

阿含宗の信徒は仏舎利宝珠尊御宝塔(以下、御宝塔)を本尊として、「仏舎利宝珠尊解脱宝生 「行」という因縁解脱行を修行しておりますが、その御宝塔こそが『有無品・八』の神廟にあたる ものです。 御宝塔は御法塔とも書きますが、これがみなさんの神廟です。 また、道場に祀られて いるご本尊さまが神廟です。

神廟の「神」とは、仏さまの心のことです。神さまではなく、精神・神髄の「神」です。 仏さ まの本当のお心をお祀りした祠、これが神廟です。まさに、阿含宗で唱える『仏舎利宝珠尊和 讃』に、

「変化法身仏舎利尊 納め祀れる霊祠なり」

とあるとおりです(「アラディンの魔法のランプ仏舎利宝珠尊和讃』 阿含宗出版部)。わたくした ちにとって如来の神廟とは、御宝塔にほかなりません。

「あなたたちは如来の成仏法・七科三十七道品を敬い、礼拝し、 そしてその修行を実行しなさい。 そして、御宝塔を心から礼拝しなさい」

お釈迦さまはお教えくださっているわけです。

最初のお経と併せて考えてみると、よく分かってきます。 つまり、仏陀がおられない時は仏陀 を想い、そして仏陀のかなたにある仏法を想うわけです。さらに砕いていえば、「仏陀を想え」 とは、結局、「神廟を礼せよ」ということになります。違いは、神廟を通じて仏法に到達しよう とするか、あるいは仏陀そのものを通じて仏法に到達しようとするか、という点です。

お釈迦さまはここで、仏法に到達する二つの方法を説いていらっしゃるわけです。 仏陀がご存 命でない現代は、当然のことながら、神廟を通じて仏法への到達をめざすことになります。その ような意味で、『有無品』は後世のわたくしたちのために説かれたお経だとわたくしは考えます。

仏の四無畏・菩薩の四無畏

それでは、法宝と神廟を礼拝すると、なにが得られるのでしょうか?

「何が二法なるや。 力有り、無畏有り」

とあるように、二つの法を得ることができます。一つは力で、もう一つは無長です。 力とはな んでしょうか?

成仏するだけの力です。 成仏力です。

無畏とはなにか?

一切を畏れない心です。 世の中において、畏れない心ほど強いものはありません。 強いから

 

-The essence of the Tathagata is Buddhism
“You should worship the Tathagata.”

This means that one should respect the Buddha and his dharma. This is because the essence of the Tathagata is Buddhism. He is a Tathagata because he has completely mastered Buddhism. If you don't know Buddhism at all, you're an ordinary person. A person who practices in order to master Buddhism is a practitioner. In short, worshiping the Tathagata does not mean that you should think only of the Buddha, but that you should see beyond the Buddha that there is Buddhism. When he says that he worships the Buddha, he is not only worshiping the Buddha himself, but he is worshiping the Buddha Dharma through the Buddha. To put it simply, Buddhism is truth. Buddha is the embodiment of truth. In short, see the truth through the person who embodies it. For this purpose, the Buddha taught us to practice ``stop meditation,'' and to worship and become one with the Tathagata and his Buddhism.

As a result, two laws can be obtained.

“First, wisdom, second, extinction.”

As the saying goes, you can gain wisdom and extinction.

Wisdom is the wisdom of Buddha, Miyakusandai. Extended means explanation. Eliminating karma and fate is liberation.

There are two secrets of Buddhism. One is to acquire the wisdom of the Buddha, and the other is to sever ties and destroy them. It is about transcending karma. They are obtained by worshiping and meditating on the Tathagata. The Buddha is saying that by acquiring the Tathagata's Dharma through the Tathagata, one can gain wisdom and liberation.

In the next ``Nothing or No Items Eight,''

It says, ``There are these two dharmas, so think within yourself, devote all your concentration, and bow down to the Dharma Treasure. Bow to the shrine of the Tathagata.'' ``Thinking inwardly and with one mind'' refers to ``stop meditation,'' as in the previous sutra. The Dharma treasure in ``You should bow to the Dharma treasure'' refers to the ``treasure called law.'' In the previous sutra, it said, ``Worship the Buddha Tathagata.'' And in ``Jumonin 8,'' he says, ``Worship the Dharma Treasure.''

When I first saw this section, what immediately came to mind was Kobo Daishi Kukai's ``Benkenmitsu Nikkyoron.'' Kukai wrote a famous book called ``Benken Esoteric Nikkyo Ron'', or ``Nikyoron'' for short. This is a work that divides Buddhism into two, Exoteric Buddhism and Esoteric Buddhism, and explains the superiority of Esoteric Buddhism, and is considered an extremely important treatise for understanding the fundamental doctrines of Shingon Esoteric Buddhism. Kukai, in the second volume of the same theory,

``The first Dharma Treasure is the Dharmakaya, the Buddha of liberation. It is understandable. What is the second Dharma Treasure?

There are many wonderful merits. The so-called thirty-seven. By practicing this Dharma, one can prove one's purity and Dharma body.

He wrote: The Thirty-Seven Bodhisattva Dharma is another name for the Thirty-Seven Paths of the Seven Sciences, which I say is the Buddha's method of attaining Buddhahood. Kukai said that this is the Dharma Treasure.

The first thing that came to my mind when I read the passage ``You should bow down to the Dharma Treasures'' in ``Jibunin'' was the passage mentioned above. Of course, it may be premature for him to immediately conclude that Kukai read the Agon Sutra based on that passage in "Nikyo Ron," but he at least knows the name of the 37 Bodhi Divination Methods. , and that you say that it is a Dharma treasure is an unmistakable fact. So why did he not establish the Shingon sect and establish the Agon Sutra and its method for attaining Buddhahood? This is a questionable point, and although there is no way for us later generations to know, Kukai taught the Thirty-Seven Bodhisattvas. It can be seen from the literature that he was aware of the existence of the division method.

He returns to the sutra. Buddha said, ``One should worship the Dharma Treasure,'' but just as in Kukai's Theory of the Two Teachings, this Dharma Treasure does not simply refer to the Buddha's teachings, but to Buddha's Dharma for attaining Buddhahood. My interpretation is that it indicates the 17 Ways of Honor. It must mean that you should worship Buddha's Dharma of Buddhahood as the treasure of the Dharma. When I say worship, I don't just mean worship;

"Take it in. Practice it."

It should be interpreted as

It says. A shrine is a shrine. In Buddhism, a shrine is a stupa (stupa). In other words, it means to worship the stupa that enshrines the body of the Tathagata.

Believers of the Agon sect use the Buddha's Shari Hojuson Gohoto (hereinafter referred to as Gohoto) as their principal image, and practice the practice of releasing oneself from one's karma called ``Buddha Shari Hojuson Gohosho ``Gyo'', but this Gohoto is the ``Musuhin Hachi''. ” is his shrine. Gohoto is also written as Gohoto, but this is your shrine. In addition, the principal image of him that is enshrined in the dojo is a shrine.

The ``kami'' in the shrine is the heart of the Buddha. It is not a god, but a "god" of spirit and essence. This is a shrine that enshrines the true heart of Buddha. This is exactly what is said in ``Buddha Shari Hoju Sonwa San'' chanted by the Agon sect.

“A spiritual shrine where the changing Dharma body and Buddha’s relics can be enshrined.”

As it is written (``Aladdin's Magic Lamp Buddha Shari Jewel Sonwasan'', Agonshu Publishing Department).For me, after him, the shrine of the Tathagata is nothing but a treasure pagoda.

"You should respect and worship the Tathagata's method of attaining Buddhahood, the Seven Courses, and the Thirty-Seven Paths, and carry out the training. Then, worship the Treasure Pagoda with all your heart."

Buddha is teaching us this.

If you think about it in conjunction with the first sutra, you will understand it better. In other words, when the Buddha is not there, we think of the Buddha, and then we think of the Dharma that lies beyond the Buddha. To break it down further, ``remember the Buddha'' ultimately means ``respect the shrine.'' The difference is whether he tries to reach the Buddha Dharma through the shrine, or whether he tries to reach the Buddha Dharma through the Buddha himself.

Here, the Buddha is teaching us two ways to attain Buddhism. In modern times when the Buddha is no longer alive, it is natural that we aim to reach Buddhism through shrines. In his sense, I believe that ``Juubin'' is a sutra that was preached for us in future generations.

The four fearlessness of the Buddha and the four fearlessness of the Bodhisattva

So, what do we gain by worshiping Dharma treasures and shrines?

"What are the two laws? There is power and there is no fear."

As the saying goes, you can obtain two methods. One is power and the other is lengthless. What is power?

It is the power to attain Buddhahood. It is the power to attain Buddhahood.

What is fearlessness?

It is a heart that is not afraid of anything. There is nothing stronger in this world than a fearless heart. Because it's strong

 

 

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2023年11月29日  九星  無料 今日の運命

2023-11-29 07:00:21 | 運命学

 

 

20231129

六白金星の日

新しい企画を持った人との接触あり。気が高ぶり争いが起りやすい。負けるは勝ち。怒ったら損、自己を誇るなかれ。心豊かにほのぼのと。

躍動の週  安の日
心身共に安定した日。
突発的な出来事や急な感情の変化とは無縁の日なので、自然体でリラックスした時間を持つことができるでしょう。
焦らずゆったり構えていれば、幸運は向こうからやってきます

 

 

文殊菩薩 智慧を司る学問の神様として有名な菩薩

 

 

 

文殊菩薩

智慧を司る学問の神様として有名な菩薩

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)とは?

正式名称は文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)といいます。「三人よれば文殊の知恵」という格言があるように、知恵の神様として学業向上や合格祈願に有名な菩薩です。モデルとなった人物が存在し、古代インドにあるコーサラ国の首都・舎衛国(しゃえこく)のバラモン階級の者だったといわれています。仏教の経典を書物にまとめる作業などに関わったといわれていますよ。ただし、本来は学問などの知恵を司るのは虚空蔵菩薩であり、文殊菩薩は物事のあり方を正しく見極める力・判断力を意味する「智慧」を司っています。

 

釈迦如来の左脇侍として普賢菩薩と共に三尊で並ぶことが多いですが、独尊で祀られることもあります。

ご利益

智慧明瞭、学業成就のご利益があるとされています。また、卯年の守り本尊です。卯年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の像容

左手に剣と右手に経巻を持ち、獅子の上に置かれた蓮華台の上に座るのが一般的です。梵篋、金剛杵を立てた蓮台などを持つこともあります。

 

 

 

 

女司祭長(女教皇)
正位置・・・学問。知性。常識。静穏。知恵。賢明さ。落ち着き。啓示されない未来。芸術家。オカルチスト。
逆位置・・・晩婚。わがまま。思慮のない行為。欺瞞。官能的な享楽。移り気から起こる失敗。悪女の恋人にほんろうされる。
ウェイト解説
正位置・・・秘密。神秘。明らかにされない未来。質問者が男性なら、彼にとって気になる女性。質問者が女性なら、彼女自身。沈黙。粘り強さ。謎。英知。科学。
逆位置・・・情熱。道徳的、あるいは肉体的熱情。自惚れ。表面的な知識。
 
 
 
 
11月29日 (水曜)
月齢
15.52
Moon
潮汐
大潮

月名(旧暦日)
立待月

 
 
 

 

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