揺るぎなき者
古の山奥、霧深き峰の頂に一つの寺が佇んでいた。その寺の名を知る者は少なく、ましてやそこに祀られる仏の名を知る者はさらに稀であった。だが、その仏こそが、この世の迷いや恐れに立ち向かう者たちに、心の奥底から揺るぎない力を授ける存在——阿閦如来であった。
寺の奥深く、薄暗い堂内に鎮座するその姿は、まるで天地が裂けようとも微動だにしない岩のようだった。高貴なその面持ちには、一切の迷いや惑いはなく、まなざしは大海原を静かに映す鏡のように澄んでいた。彼の手は一つの象徴を結ぶ。右手は指を下へと伸ばし、降魔印を示していた。それは恐怖や欲望といった人の弱さを、絶対の心で打ち払う意思の現れである。
ある時、世の乱れに苦しむ青年が、その寺に辿り着いた。名もなき村で生まれ、戦火に追われ、失うものばかりの人生だった。心は荒れ、彼の眼には世界が黒く歪んで映っていた。
「我が迷いはどこへ向かうべきなのだ……」
彼は堂内に一人、阿閦如来の像の前にひれ伏した。しんと静まり返る堂の中で、仏の姿はただ静かに在るだけであった。それでも、その沈黙は彼の心の迷いを次第に映し出し、清めていった。阿閦如来が顕す「大円鏡智」とは、まさにありのままの真実を映し出す智慧である。人は何かを求めて彷徨うが、その答えは己の心の中にこそある——そう告げているかのようだった。
長い時が過ぎ、青年は再び立ち上がった。彼の目にはかつての曇りはなく、静かな光が宿っていた。世は相変わらず荒れ果てている。それでも彼は揺るがない。恐れも迷いも、もはや彼を縛ることはなかった。
堂を出る彼の背中に、どこからか声が聞こえた気がした。
「オン・アキシュビヤ・ウン……」
それは阿閦如来の真言である。その一音一音が、彼の心をさらに研ぎ澄ませ、迷いの霧を晴らしていくようだった。
やがて青年は山を降り、その生涯をかけて多くの人々を救ったという。揺るぎない者の教えを胸に——。
阿閦如来は今も、静かに、どこかの堂で人々の迷いを映し、静かに見守り続けている。
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