第44代アメリカ大統領にバラク・オバマが就任したが、今や「スピーチの名手」として知られ、ケネディを超える演説の巧さによって大統領になったと言われるほどだ。
ベストセラーになっている「オバマ演説集」(朝日出版社)で、オバマ流スピーチのひみつを分析している鈴木健・津田塾大学准教授によれば、3つの特徴があるという。
それは、①実演(話している内容の証明として話し手自身が機能するような技巧)②再現(同じ構造の文を繰り返す)③イデオグラフ(覚えやすくインパクトのある言葉やフレーズを政治的スローガンとして用いる)と分析している。
オバマを一躍有名にしたのは、2004年の大統領選挙だったという。当時、オバマは州議会(地方議会)の新人議員で、国会議員ではなかった。それが、民主党大会の基調演説で全米から注目を集めることとなった。「大いなる希望」と題された、その演説(15分余)の冒頭は次のようなものだ。
☆格別に名誉ある夜
ありがとう。どうもありがとう。どうもありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう、ディック・ダービン(イリノイ選出の連邦上院議員)さん。あなたは、われわれ全員に誇りを与えてくれています。国の中心地であるリンカーンの生地でもあるイリノイ州を代表し、この党大会で演説するという栄誉を得られたことに、心から感謝を述べさせていただきたいと思います。
今宵は私にとって格別に名誉ある夜です。なぜなら、率直に言って、私がこの檀上にいるというのは、とてもありえないようなことだからです。
私の父は留学で渡米してきた人間ですが、生まれ育ったのはケニアの大差な村です。ヤギの世話をしながら成長し、トタン屋根の掘っ立て小屋にすんで学校に通ったのです。彼の父親―つまり私の祖父―は料理人で、(ケニアを植民地としていた)イギリス人たちの召使いでした。しかし、祖父は自分の息子に、もっと大きな夢を託しました。勤勉と忍耐によって父は奨学金を獲得し、学べることになったのです、魔法のような場所・アメリカで。そこは、自由と機会のかがり火として、先に訪れた幾多の人々に光を投げかけていました。~(中略)
後半では次のような演説を行っている。
☆リベラルなアメリカも保守的なアメリカも存在しない
「~さて、われわれがこういう話をしている最中にも、われわれを分断させようと準備を進めている人たちがいます。―情報操作や中傷広告のプロたちですが、彼らは「何でもあり」の政治を進んで実践しているのです。そこで、わたしは今夜、彼らにこう言います、リベラルなアメリカも保守的なアメリカもありはしない─あるのはアメリカ合衆国なのだと。黒人のアメリカも白人のアメリカもラテン系のアメリカもアジア系のアメリカもありはしない─あるのはアメリカ合衆国なのだと。
評論家……評論家たちは、わが国を赤い州と青い州に切り分けたがります。赤い州は共和党、青い州は民主党、というわけです。しかし、私には彼らに伝えたいニュースもあります。われわれは青い州においても「至高の神」を崇拝しているし、赤い州においても連邦捜査官が図書館であれこれかぎまわることを好まないのです。われわれは青い州においてもリトルリーグを指導しますし、そう、赤い州においてもゲイの友人を持っていたりするのです。
イラクにおける戦争に反対した愛国者もいれば、それに賛成した愛国者もいます。われわれはひとつの国民であり、われわれ皆が星条旗に忠誠を誓い、われわれ皆がアメリカ合衆国を守っているのです。~(中略)
☆希望の政治に参加しよう
最後に……最後に……最後にお話ししたいこと、それは今回の選挙の主題は何かということです。われわれは冷笑主義の政治に参加するのか、それとも希望の政治に参加するのか。ジョン・ケリー(2004年大統領選の民主党候補)はわれわれに希望を持つよう呼びかけています。
私がここでお話しているのは、やみくもな楽観主義のことではありません─ほとんど意図的な無知、すなわち、失業はわれわれがそのことを考えさえしなるのではていければ解消されるとか、医療危機はわれわれがそれを見ないふりさえすれば自然と解決する、などと考えるものではありません。そんなことをお話ししているのではないのです。
私がお話しているのは、もっと実質のあることです。それは、火の周りに座って自由の歌を歌う奴隷たちの希望であり、とお……遠い国へ旅立つ移民たちの希望であり、メコンデルタを勇敢に巡視する若き海軍大尉(=ケリー)の希望であり、強い意志で不平等に屈しまいとする工場労働者の息子(=ジョン・エドワーズ2004年大統領選の民主党副大統領候補)の希望であり、アメリカには自分の居場所があると信じた、変な名前のやせっぽっちの子ども(=オバマ)の希望でもあるのです。希望……困難をものともしない希望。不確かであることをものともしない希望。それは大いなる希望です!~(後略)
確かにオバマ大統領の演説には、先にあげた3つのレトリックを見事に駆使している。黒人である自らの生い立ちを率直に語り、希望、変化、約束、責任などという言葉や、「Yes,we can!」「We are one!」など、短いフレーズを繰り返し使って聴衆に訴えかけている。
このオバマの演説の陰には「スピーチライター」という、アメリカならではのプロの存在があった。前述の演説の草稿は、若干24歳の若者が書き、オバマが手を入れたものだという。そして、今回の就任演説は、オバマが草稿を練り、27歳となった先のスピーチライターが、スタバで仕上げたと報道された。
演説の巧さで人々の心をつかんだケネディしかり、スピーチの天才と言われたクリントンしかり、陰には、それぞれに優秀なスピーチライターの存在があった。
アメリカでは、一般教書演説もスピーチライターが執筆する。しかも、彼らの権限は絶大で、各省の意見を参考にするが、文章に各省が口出しすることはできないのだという。したがって、スピーチライターというビジネスが成り立っているのだ。政界ばかりではなく大企業のトップもスピーチライターを起用するということだ。(日経新聞 2003・5・26より)日本には、まだまだ、そうした政治風土が醸成されていないので、とてもビジネスとしては無理だが。
しかし、いくらスピーチライターが素晴らしい原稿を書いても、それを語る本人に、それを自分のものとして語る能力がなければ聴衆の心を捉えることはできない。思うに、オバマは、20代~30代にかけて、出版社に勤務したことがあり、また「ハーバード・ロー・レビュー」の初の黒人編集長を経験したことなどで、そうしたセンスを身につけてきたのではないか。
政治家にとって、演説は命だ。聞く人々を「説得」するのではなく、「共感」を得ることが大事だ。魂がこもっていなければ人々の心を揺さぶることはできない。翻って、最近の日本の政治家の言葉は、誠に下品で粗雑だ。目に余る。心してもらいたい。
<参考>
過去のブログに、リンカーン、ケネディ、キング牧師の演説に関し
て書いています。
◎リンカーン=2008・2・28
http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=19b7c2df5f3f992bf19baa298d7d47ef
◎ケネディ=2008・3・8
http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=2305e068066f832974a3d1e88763cf19
◎キング牧師=2008・2・25
http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=a6ba576a96e3cf29909b65fccadf98c0