文藝春秋4月~5月号に掲載されている塩野七生さんの、日本人の「おもてなし」についての提言は、多くの示唆に富んでいる。イタリアで暮らしている塩野さんが、外から見た日本の観光について、誰でもできる「おもてなし」について語っている。
特に、友人や家族など小さなグループの外国人観光客への接し方についてだ。これらの観光客は、知的好奇心が強く日本を知りたいと思っている人たちだという。その人たちに、「ありがとう」「どうぞ」「どういたしまして」と、日本語で話し、その時には「ニコッ」とすることが大切だと。気持ちが通じ合うからだ。
1987年10月、ソ連時代のロシアに友人3人と10日間の個人旅行をしたことがある。「ハラショー」(素晴らしい)しか知らなかったが、すぐに「スパスィーバ」(ありがとう)、「パジャールスタ」(どうぞ、どういたしまして」という言葉を覚えた。旅行中、分からないことが多く、ホテル、空港、列車などで尋ねたときには、これらを連発したが、確かに笑顔が返ってきた。塩野さんの指摘は、まさに「おもてなし」の原点だと思う。
こんな大胆な提言もしている。
温泉について。アメリカ人もヨーロッパ人も、人前で裸になって温泉に入ることには抵抗を感じる人が多いのだという。イタリアでは、水着を着て入浴する。そこで、日本の素晴らしい温泉を楽しんでもらうために、30分予約制とし、彼ら専用にしてはどうかと。
もう一つ、旅館の夕食について。これを全廃してはどうかという大胆な提案も。旅館側にしてみれば、売りの一つになっているが、品数も、量も多く、もったいないと感じる外国人も多いのではないかと推測している。廃止することによって、板前の費用がなくなるので宿泊料金を安く出来るのではないかと語る。そして、夕食は、周辺の居酒屋や小料理屋をネットワーク化し、客の好みに応じて紹介する。そうすることで、地域の活性化にもつながる。ただし、日本の朝食は、よく考えて作られているので旅館で食べてもらう。
ただ、旅館にとっては、一大改革とも言えるもので、そう簡単なものではないだろう。旅館周辺に、ネットワーク化できる環境がなければ出来ない相談でもある。
たまたま、時を同じくして日本の「おもてなし」について、外国人が書いた本も読んでみた。イギリス人で日本生活25年のデビッド・アトキンソンさんの「新・観光立国論」だ。日本人が良いと思う「おもてなし」が、外国では必ずしも高く評価されていないというのだ。サービスの押しつけ、堅苦しい、臨機応変が利かないなどだ。以前、北陸を旅行した際、5つ星の人気旅館で部屋食を頂いたが、女性が付きっ切りだったので、気疲れした。
「おもてなし」の心は大事だが、2015年に1974万人だった訪日観光客を2020年には4000万人とする観光立国を目指す以上、これらの指摘を踏まえつつ、今一度、見直してみる必要があるのではないか。