北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

田中将大君に贈る言葉

2007-03-23 15:00:02 | Weblog

ー君、いよいよ新しいステージに立つときが来たね

君がプロのマウンドで大きく羽ばたいてくれることを心から期待している

なら、どんな厳しい試練をも乗り越えられるだろう

私たちは、どれほど君に楽しい夢を見させてもらったことか!

私たちは、どれほど君が辛い出来事を胸の奥底に秘めて

頑張ってきたかを知っている

そんなことを表に出さず、ひたすら全力投球で

球史に残るドラマを繰り広げた君の勇姿を忘れない

ロ入りに際しては、当然、希望の球団はあっただろう

しかし、君は「どの球団でも喜んで行く」と語り、その通りにした

そうなんだよ、君が自らの力でチームを強くして栄光を勝ちとればいいんだ

私たちは、それが見たいのだ

いチームに入ってほしかった」と、
君のファンは皆な思ったことは確かだ

だが、いいじゃないか、君が実力を発揮できれば、
必ず結果はついてくる

君の投球術の素晴らしさ、精神力の強さをもってすれば、

今年の球界に一大旋風を巻き起こすこと間違いなしだ

坂以来、しばらく球場に足を運んでいなかったが

今年は、君のヒーローインタビューを聞くため、
必ず観戦に行くつもりだ

頑張れ、「前途有望」田中将大!


プロ野球ドラフト問題

2007-03-22 13:01:57 | Weblog

ロ野球界が揺れている。西武の金銭供与問題に端を発したものだが、この「希望枠」だけではなく、ドラフト制度自体に色々な問題を含んでいる。一言で言えば、戦力が偏らないようにというのが、ドラフト制度の趣旨だったと記憶するが、結論を先に言ってしまうと、全くの自由にしてしまった方がいいと思う。

題となっている「希望枠」にしても、大学・社会人には逆指名ができて、高校生には適用されないのは不公平だ。問題の原因がはっきりしているのに、諸々の事情があって、今年の秋は廃止を見送り、来年から廃止するなどという、プロ野球界の現状は全く理解できない。

団してしまえば、全く実力の世界だ。「職業選択の自由」という観点からしても、割り切れない。選手にしても、必ずしも希望通りにはいかなくても、それは止むを得ないと思う。一般の会社に入るのだって同じことが言える。楽天に指名されたマー君こと田中将大投手のように、指名された球団に行って自らの手で道を切り開こうという姿勢は立派だ。スポーツマンらしくて清々しい。大活躍してくれることを期待したい。

つてのように、巨人中心の時代は終わったのだし、球団経営にしても、弱い球団、魅力のない球団は、民間企業と同じように、自然淘汰されても仕方ないのではないか。そうならないように、新しい時代にマッチした球団経営を目指していくべきなのだ。

いずれにしても、今回の問題で、前途ある選手の未来を閉ざすことのないように関係者の善処を望みたい。


統一地方選挙①

2007-03-21 15:58:11 | Weblog

よいよ統一地方選挙がスタートする。
誰がなっても変わらない」という言葉をよく聞くが、そんなことはない。

夕張をはじめ、赤字自治体といわれるところを見てみると、よく分かる。議会が本来のチェック機能を果たしていれば、あのような深刻な事態は避けられた。首長にしても、誰がトップになるかによって、行政の推進の仕方が当然変わってくる。

ころで、皆さんは、候補者をどのようにして選んでいるのであろうか。

私は、政見放送(知事)、選挙公報、マニフェストなどによる政策の比較、そして、その候補者が掲げた政策を実現する力があるかどうかを検討する。最近の傾向として、有権者は、だいたい、こうした点に比重を置いて選択している傾向が強いようだ。

れは、なかなか難しいことだが「人は見た目が9割」という本が売れているらしいが、選挙の候補者選びにも少なからず当てはまるかもしれない。人の顔は、今までどのように生きてきたか、どのような考えの持ち主なのかによって作られる部分が多いのではないかと思うからだ。

う一つ、候補者の言葉にも注目したい。宮崎県の東国原知事現象に見るまでもなく、自分の言葉で語っているかどうかである。東国原知事の評価はともかく、選挙戦、議会答弁を聞くかぎり、確かに自分の言葉で語っている。だから、県民の心を捉えたのだと 思う。不思議なもので、真に心の底から発している言葉なのかどうかは分かるものだ。このことは大事だ。

らに、知事選挙における政党隠しが行われているが、これは好ましいことではない。実質的には政党の支持や支援を受けるなら、堂々と名乗るべきだ。無所属というのは一見、しがらみがなくて良いように見えるが、裏を返せば、責任の所在もはっきりしないし、議会対策もなかなか大変なのだ。この辺をよく見極めて、ぜひ投票所に足を運こぼう。


横田めぐみさんに捧げる歌

2007-03-16 19:55:09 | Weblog

ong for Megumi(めぐみに捧ぐ歌)CDを買って聴いた。涙なくしては聴けない。

めぐみ何か話して。そしてもうすぐ私のそばにいるって言ってほしいわ。

あなたのいない明日がずうーと続くなんて思うと 哀しみの涙があふれます。


あなたはまだ若い乙女なのに全ての夢を砕かれたのよね。

そして別れの挨拶どころか何の言葉も無くいなくなったの。



めぐみを私に返してください。

荒ぶる大海の向こうより力の限り魂を叫びなさい。

私の心なら必ずそれが聞こえるから

そしたらあなたは家に帰るのよ。


めぐみ、こっちに来て、あなたはどこに。

風の中にあなたの声が聞こえます。


めぐみを私に返してください。

荒ぶる大海の向こうより力の限り魂を叫びなさい。

私の心なら必ずそれが聞こえるから

そしたらあなたは家に帰るのよ。

私に返してください。私のめぐみを。

アメリカのフォークミュージックの伝説的グループ、ピーターポール&マリーの一人、ノエル・ポール・ストゥーキーが、アメリカで上映された「Abductions」という拉致問題の映画を見て作った曲だ。めぐみさんのご家族はもとより、全ての拉致被害者のご家族の想いがよく伝わってくる。

それにしても、何という残酷な事件だろうか。わが身に置き換えてみればよく分かる。息子が進学で上京したというだけで、妻は5か月ぐらいの間、息子が大好きなカレーを作れば、「食べさせたい」と言って泣き、「元気でやっているかな」と言っては泣くという具合だった。ましてや、中学生の女の子が、忽然と目の前から姿を消してしまったとは。1977年のことだ。ご両親の苦しみ、哀しみは想像を絶する。

そして、20年後の1997年になって、ようやく、めぐみさんの拉致疑惑がマスコミのスクープ記事として、実名報道された。2002年の小泉総理訪朝によって、地村保志さん、浜本富貴恵さん、蓮池薫さん、奥土祐木子さん、曽我ひとみさんの5人が帰国。

2004年に小泉総理再訪朝により、先に帰国した5人の家族が帰国、さらに、その後、曽我ひとみさんの家族も帰国した。しかし、めぐみさんをはじめ、まだまだ多くの拉致被害者がいることは間違いない。拉致被害者家族の蓮池透さんは、その著書「奪還」で、「私たちは二つの国と闘わなければならなかった」と語っている。

国も政治家も、「国民の生命・財産を守るのが最大の義務」だということを、改めて肝に銘じ、理不尽な対応を繰り返す「北朝鮮」と、厳しく相対してほしい。そして、一日も早く救出できるように、強力な交渉を続けることを切に願いたい。


ガンの誤診

2007-03-15 17:21:47 | Weblog

私の妻は、現在「メラノーマ」(悪性黒色腫といい、足の裏にホクロができる)で大学病院の皮膚科に通っており、この病気では日本的な権威といわれ、世界でも高く評価されているというA教授(3月で退官)に診察してもらっている。しかし、どうも疑問に思うことが多々あり、1月に病院長宛に質問状を出した。2月に病院側・担当医師などとの話し合いをしたが、その概要と治療履歴は次のようなものである。医学界の常識、この病院の常識は、社会の常識に照らして、果たして通用するものなのかどうか、問題提起してみたい。

①平成1999年8月、「メラノーマ」という診断を受け、左足踵の腫瘍を切除し皮膚移植をした。この病気は転移の可能性が高く、ガンの中でも恐れられている病気である。その後も診察を受けてきたが、再発することなく経過した。

②しかし、2005年秋ごろから、手術した場所の近くに腫瘍と思われる黒いホクロができ、心配で毎月のように診察をうけていたが、「これは違います」と、言われ続けてきた。ときには、血豆だとか、歩き方が悪いので、ウォーキングの教室に行った方がいいとか言われたりした。3つある一つは7年前から出たり消えたりしていた。あとの二つは、1年ぐらい前から出来ていて、それを毎月のように診てもらっていた。

③その後も「ガンではないか」と何回も念押ししていた。 5月になって、腫瘍が大きくなったような気がしたので、診察を受けたところ、7月になって、ようやく「お互いに誤診ということがあったらイヤなので細胞を取って調べましょうか」ということになった。

④8月、この細胞を取るとき、不思議に思ったことがある。診察室に入ったとき、A教授は居らず、このときが初めてのB先生がいて「なんで俺なんだ。俺はできないから今、助っ人を呼ぶ」と言われ、不安になり、妻は手術を拒否して帰ろうとしていたところ、助っ人のC先生が来た。そこへ、なぜかA教授が現れたので、「一部を取る事は危険ではないか」と確認した。答えは、「2週間以内に手術すれば大丈夫」ということだった。

⑤1週間後の夜、A教授から連絡があり、「明日すぐ病院へ来るように」と言われた。8/9日に病院で、「ガンなので今日すぐ入院してください」ということになり、8/11手術、9月初めに退院した。

⑥今まで、「ガンではない」と断言していたので、私は手術直後、「誤診ですね」と問いただしたところ、「申し訳ない」(2月の話し合いで、誤診と言う意味も含まれると言った)と言った。側には、もう一人、若い医師がいた。また、この時の手当ても明らかにおかしく、高度先進医療というふれこみである「悪性黒色腫におけるセンチネルリンパ節の同定と転移の検索」ということで、保険外の高額の治療をうけた。そのためか、小さい傷口からリンパを捜したので、菌が入り、その菌を殺すため長く抗生物質を投与され、副作用により肝臓が悪化。その時も若い医師で、さっぱり要領を得ず、たまたま覗いたD医師が指示を出して、適切な処置をしてくれた。その時の医師同士の会話も大変不信感を抱くようなものであった。

また、センチネルで反応したと言われる膝の裏と、そけいぶには機械が反応したにもかかわらず、何もなかったということは、機械自体がまだ完成されていないのではないかという強い不信感を持っている。(話し合いのとき、『転移しているかどうか調べたもので、これは必要であった。ガンがないことが分かったから良かったのではないか』と言われた)

⑦その後も定期健診をうけているが、1/15日の検診で、以前からあった黒いものを、「いずれ取った方がよい」と言われたのには驚いた。A教授はマスコミなどには「疑わしきは早期切除すべき」と強調しているにもかかわらず、非常に矛盾している。何故、手術のときに一緒に切除しなかったのか。不信感が募る。患者の不信感、不安感を何と思っているのだろうか。(話し合いでは、まだガンではないからとの答え)

⑧今までは、とにかく病気を治すことが最優先だったので、今年に入ってから質問状を出した。また、前回の手術によって、100パーセント信頼を寄せていたため、セカンドオピニオンということは全く考えなかった。

⑨このような疑問を病院側にぶつけたところ、話し合いましょうということになり、A教授、D助教授などが出てきて、説明したのだが、結論的には、現在は治っているので問題はないという一点張りである。しかし、こちらが、結局「誤診ですね」と、しつこく食い下がると、「誤診と言われれば誤診、やぶと言われればやぶだ」と開き直る始末なのだ。

⑩何故、もっと早く切除しなかったのかという問いには、その時はガンではなかったからだという。ガンと分かった時には、すぐに切除したのだから、問題はないと自己弁護を繰り返すだけなのだ。ガンではないものが、ある日突然ガンに進化するなんていうことはあり得ないのに。胃や大腸のポリープだって、いずれはガン化の可能性があるから早期に切除するのだ。

日頃から「疑わしきは早期切除が大事」と言っているにもかかわらず、全く相反することなのである。そして、自ら言うのには「私は、カナダの病院から2週間に一度、ビジネスクラスで来てほしいと言われている。年収は1億円です」と言うのには呆れた。そんな私に何を言うのだと言わんばかりの権威を振りかざすのだ。


⑪患者には「期待権」というものがある。 

診療契約に基づく医師の債務は、治癒という結果を請け負うという債務、すなわち「結果債務」ではなく、治癒に向けて最善を尽くすという債務、すなわち「手段債務」であるとされています。もとより患者は医師に対して、誠実な診療、最善の診療を期待しています。そうであるならば、不誠実で杜撰な診療が行われた場合には、たとえその診療と生じた悪しき結果との間に因果関係が認められないとしても、そのような患者の期待が裏切られたこと自体を損害評価するのが素直な解釈といえるでしょう。このような患者の権利を「期待権」といいます。-医療過誤用語から

⑫私は、今回のケースは、この期待権に照らしても明らかに反するものだと考えている。病院側は、このケースは補償の対象にはならないという見解だ。病院の常識、医学界の常識からすれば、命を落としたわけでもないから問題ないと言いたいらしいのだ。私たちが恐怖感と、不信感を抱いたことに対しては「申し訳なかった」と言い、診療過程における他の医師との連携の悪さについても、「私は主治医ではないので、末端の細かいことは分かりません」という始末。他の医者には一回も診察してもらったことがないというのに。不思議な話だ。

⑬私たちは、こうした一般常識から考えても信じられないようなことがあっていいのかどうか、社会の常識に問うてみたいと思う。このような医者が、日本的な権威として通っているとしたら、とんでもないことだ。問題提起をしたいと思った次第である。


安倍総理のリーダーシップに疑問①

2007-03-12 14:22:53 | Weblog

倍内閣の支持率がジリジリと下がり続けている。就任当初は誰の場合でもご祝儀相場で高いから、時間とともにある程度下がっていくのは当然なのだが、最近の安倍総理のリーダーシップには疑問を感じる。

つは、郵政造反組の復党問題だ。前衆院議員の衛藤晟一の復党が結局は認められた。まだ何人か復党できない造反組がいる中で(戻れないのは当然だと思うのだが)、なぜ衛藤氏だけが復党を認められるのか理由がよく分からない。安倍総理は「政治的な同志だから」というようなことを言っているが、党内でも「お友達感覚の党運営が行われている」と批判の声が上がっているが同感だ。

が、もっと考えなければならないのは、あの郵政解散といわれる選挙は一体何だったのかということだ。なにしろ、720億円もかかった選挙なのだ。当時のトップが代わったのだから、独自の判断でいいのではないかということらしいが、とんでもない。これでは国民の理解は得られない。

う一つ、松岡利勝農林水産大臣の光熱水費問題だ。誰が考えても、500万円以上もの費用がかかるわけはないのであって、それを総理は「法律に則って報告していると聞いている」とか、塩崎官房長官が「政治家の活動に関することなので、あまりコメントすべきではない」などと、何を言っているのか分からない説明をしているのには呆れる。松岡大臣をすぐに辞めさせるべきだ。

しい国づくり」が、安倍内閣のスローガンではなかったか。日本ならではの道徳観や公共心などを大事にするといことが、その核心ではないのか。法律の範囲内だから許されるなどと思っているとしたら、遠からず安倍内閣も自民党も、国民から厳しい審判を受けることになるだろう。


教育再生会議に思う

2007-03-10 17:00:47 | Weblog

育の再生は「美しい国づくり」を目指す安倍内閣の最重要課題だ。だが、マスコミを通じて伝わってくる教育再生会議の様子は、最初から会議の進め方や議論の纏め方について、有力な民間委員たちが口々に不満を述べるという有様だ。これはどういうことなのかと疑問に感じていたが、文藝春秋3月号の「暗闘 教育再生会議の内幕」を読んで、「あー、やっぱり」という思いを強くした。

自身、15年ほど前、当時の文部官僚の特性に驚いた経験があるからである。北海道在住の芥川賞作家・高橋揆一郎氏(131日死去)らが熱心に取り組んでいた「南極犬タロ・ジロを一緒にさせる会」の事務局として、ボランティアでお手伝いしていたことがある。当時の文部大臣に陳情するため、高橋氏や稚内の関係者らに2回同行した。

の運動は、札幌の北大博物館に置かれている兄・タロの剥製と、東京の上野国立科学博物館に置かれている弟・ジロの剥製を、教育的見地から、あの無人の極地で助け合って生き延びたであろう兄弟犬を、故郷の稚内で一緒にさせてやりたいというものであった。

臣は理解を示して「何とか努力してみましょう」と、前向きな発言をされたのだが、事務方や上野科学博物館サイドは、自分たちの既得権益を守ろうとするのか、「上野では年間
100万人の見学者がある。稚内では、見たい人も見られない」と言い、大臣が「北大なら文部省の管轄だから、北大の植物園ではどうか」と提案すれば、「博物館は一般会計で、大学は特別会計だから」と反論するといった具合だ。

かにしたら実現できるかを考えるのではなく、出来ない理由をいくつも並べるという、官僚特有の柔軟性のなさを痛いほど感じさせられた。結局、この運動が実を結ぶことはなかった。ただ、平成109月、稚内市開基120年、市制施行50年、開港50年記念事業のメインゲストとしてタロ・ジロが招待され、1か月あまりを故郷で一緒に過ごすことができ、ほんとに良かった。

、教育再生会議の事務局は自民党文教族と表裏一体と言われる文科省のお役人が中心だという。この、極めて厚い壁を突破しなければ、教育再生会議としての実効をあげることは不可能だ。「国家百年の大計」のために、安倍総理の強力なリーダーシップの発揮と民間委員の奮闘を願いたい。


東京都知事選挙②

2007-03-09 16:45:51 | Weblog

京都知事選挙の話題が賑やかになってきた。弁護士の丸山和也氏(61)が、出馬の可能性を探っているらしい。多くの候補者が競い合うのは賛成だが、それなりの必然性なり、識見を持っていなければ困る。今朝のテレビのインタビューを聴いていても、なぜ、都知事選なのか、なぜ石原都政ではダメなのか、自分なら何を政策として掲げるのか、そのポイントさえ、まるで答えられない有様だ。ただの思いつきとしか感じられない。

実は、丸山氏は過去に選挙に立候補し落選しているのだという。
18年前の1989年、参院選比例代表から、弁護士などが作ったミニ政党「新政クラブ」の名簿順位3位だった。政治志向は、もともとあったということなのか。政治には素人の感覚も必要だと語っていたが、かつて素人が政治に携わって、どれほどの人が活躍しただろうか。そんなに甘いものではないと思うが。

野史郎(59)についても、その後、少しずつ色々な情報が聞こえてくるようになった。「東京都知事選に出馬する必然性がない」「宮城では多額の県債を残し、改革半ばで放りだした」「言行不一致」「自分勝手」などなど。もちろん、前回書いたように福祉や情報公開などにおける実績があることも知られてはいる。このように、全国的な評判とは裏腹に、宮城では必ずしも芳しくないとの声もある。

かつての北海道知事・横路孝弘氏のケースとよく似ている。マスコミ受けを狙ったパフォーマンスは実にうまかったが、実績は惨憺たるもので、多額の借金を残したところも浅野と同じだった。本人は「やりたいことは大体やった」と、ぬけぬけと言い放って国会議員に戻り、道民を驚かせたものだが、実態は、途中で放り出したということだ。だから、こういったタイプの政治家は要注意だと思っている。

川紀章氏(72)については、正直どこまで本気なのか、よく分からない。石原氏が立候補しなければ自分も降りると言い、仮に当選しても一期で辞めるとも言っている。それでいながら、例えば、首都機能移転を実行して都政を変えると語っているが、そんな大事業をたった4年間で出来るわけがない。石原都政にNOを突きつけるのはいいとしても、現実的ではない。

ずれにしても、石原氏と浅野氏の一騎打ちとなる様相だが、それぞれ自民党、民主党・社民党の支援を受けるという。だったら、はっきり推薦なり支持なりを明確にして戦うべきだ。候補者も政党も、無党派層狙いで政党隠しをしているが、有権者に対して誠に失礼極まりない。


夕張のこと

2007-03-08 15:51:50 | Weblog

張の長い闘いが始まった。353億円を18年間で返済していかなければならないのだ。市民生活は全国で最高の住民負担で、最低の行政サービスになるという。その上、約12800人の人口だが、高齢化率(65歳以上の割合)が、全国の市で最高の41%、年少人口(15歳未満)が全国の市で最低の約8%というのが現状だ。市民にとっては何とも前途多難な道だが、「ピンチはチャンス」という言葉もある。市民の間からは、色々な形で自立を目指そうとの機運が生まれているというから、ぜひ頑張ってもらいたい。

時に、この最悪の事態に至った原因の究明と反省は、きっちりとしなければならない。テレビなどでは、市民が行政側に対して「どうしてくれるんだ!」と、涙ながらに訴える映像をずいぶん見せられた。その心情はよく分かる。しかし、現職市長は一期目だった。この財政状況に陥った時期は、その前の中田鉄治市長時代(1979年~2003)の、624年間におけるものが中心だ。

鉱の衰退により、「炭鉱から観光へ」のキャッチフレーズを掲げ、石炭の歴史村をつくり、夕張国際映画祭を発案し、メロンブランデーを売り出すなど、その功績があったことも確かだ。中田氏が市長になる少し前、助役時代にお会いしたことがある。そのとき、これからのまちづくりについて大いに語ってくれたが、とくに映画の話題に関しては、それこそ映画熱中人と言っていいほど、多くの夢を描いていた。自ら演劇やイベントのシナリオを書いていると語っていたのを覚えている。

光を中心に、まちづくりを進めた結果、多くの施設ができた。当然、議会の承認を得てきたわけだが、チェックをすべき議員たちの責任は誠に重いものがあると思う。予算の数字合わせが巧妙に行われていたとはいえ、市民の負託を受けた議員は何をしていたのか、これこそ大問題だ。市民への裏切りだ。

今年は選挙の年だが、私たちも夕張を自分たちの問題として、厳しい目で候補者を見極めなければならないし、その後の活動に目を光らせなければならない。


シェフのヒゲ

2007-03-07 11:43:25 | Weblog

刊誌のコラムで、食べ物やさんに入ったとき、隣の人が何を頼んだのか気になって仕方がないという文章を読んだ。それも、特に、うどん屋さん、そば屋さんでその傾向が強いというものだ。確かに、自分にも少なからずそういうところはあるなーと思うし、人は誰でも他人の芝生は美しいと思うものだ。

23日前、妻が4日ほど留守だったので、近くのレストランで昼食を食べていたところ、隣にお年寄り夫婦がコーヒーを飲んでいた。私はウェイターに、すぐ和風ハンバーグを注文したのだが、そのお二人はまだ昼食を頼んでいなかったらしい。間もなく、私のハンバーグがきたのだが、お年寄りは、チラチラとこちらを見ながら、私と同じものを頼んだ。多分、美味しそうに見えたのかもしれない。

が食べ物やさんに入って、一番気なるのは、シェフや従業員の清潔感だ。とくに、ヒゲを生やしているケースが多いのは不思議だ。あれは客に不潔な印象を与える。ヒゲを゛生やすことで一流の料理人だと強調でもしたいのだろうか。それとも何か理由があるのだろうか。食べ物やさんにとっては、清潔感が最も大事なことだと思うのだが。

ごろ、お菓子の不二家の製造工場で、ネズミがたくさん捕獲されていたというニュースには驚いた。ついに山崎パンの傘下に入ることになったが当然だ。食べ物やさんは、清潔感を保つように一層の徹底を図るべきだ。