北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

「1956」-14歳の心象風景<32>

2009-10-09 10:59:39 | Weblog

<作文>

                 トランプ

                           (S・M)

1月の或る日、友達が「トランプをしに行こう」とさそってくれたので、私達はすぐ、したくをして友達と行った。そしてトランプを始めた。トランプをするだけなら面白くないので、負けた人に勝った人が墨をつけることになった。

最初は、私が勝っていたので少しいばっていた。けれども少したつと、私の負けること負けること、続けて負けてばかりいるので、私の顔は、だんだん黒くなってゆくのでした。そうして、私の顔が黒くなっていくうちに、友達の顔も少しずつよごれてきているのでした。私は、ちょっと隣の友達の顔を見ると、とても変な所に墨がついており、笑わないでいられないので、ついに大きな声で笑ってしまいました。

すると、私の顔を見て皆が笑いだしたのでした。私は、私の顔がそんなに面白い顔をしているのかと、ちょっと鏡を見ますと、ほんとうに隣の人より私の顔の方が、よほど面白おかしいのでした。それで、みんなと大笑いをしました。ほんとうに面白い日でした。           

             ☆          ☆

50年以上前の子どもたちの遊びというのは、可愛いものだった。とくに田舎では、自然を相手に遊んだり、家の中で家族・兄弟、友達と遊ぶことが多かった。こうした中で、自然の良さや厳しさを体感したし、それぞれの人間関係の絆を深めていった。そんな友達とは、今も結構付き合っている。

 昨日は、猛威をふるった台風が列島を縦断するとあって、離れている中学時代の友人から「こちらは、そんなに被害がなく通過したけど、そちらはどう?」とメールがきた。先日は、車で10分ほどのところに住んでいる幼馴染から「美味しいトウモロコシが採れたから」と、湯気が立っているのを届けてくれた。なんとも有難く、嬉しいことだ。


「1956」-14歳の心象風景<31>

2009-10-08 16:20:38 | Weblog

<作文>
                                                                                                                            

                 朝おき

                       (TS)

朝は、毎日、私と妹が一日交代で朝おきしています。

今朝、私は母におこされて、おきてはみたものの、さむいので私はフトンに入っているので、母は「S子、今日は朝おきしないの」といったので、母は「毎日お前達に朝おきをさせているばかりいるから、今日は母さんがおきてやる」といって、1,2週間ぐらいはだまっておきていたけど、母もあまりおきて、つかれたのか、「今日朝おきするのはだれなの、S子かJ子どちらがおきるばんなの」といったので、「Jぺがおきるばんだよ」といったら、母は「J子おきなさい」といわれた。

明日は私だと考えたとたんに、朝起きがつくづくいやになった。

             ☆           ☆

朝起きで苦労したことは、ほとんど記憶にない。子どものころから、朝起きてすぐにご飯がたべられたし、とくに高校時代は汽車通学をしていたので、朝は6時過ぎには起きていた。


東京のサラリーマン時代は、会社まで1時間半ぐらいかかったので、夏のラッシュ時の混雑は嫌だったが、朝起きに関しては、そんなに苦痛に感じることはなかった。

リタイアした今は、布団の中で朝刊をじっくり読んで、やおら起きだして8時頃の朝食だ。「ネンキンライフ」の特権だ。ダラダラの生活は良くないけれど。


惜しい中川昭一・元代議士の急死

2009-10-05 09:41:47 | Weblog

中川昭一元代議士の急死は驚いた。死因ははっきりしていないが、日本にとって惜しい政治家であったことは間違いない。

たまたま今年3月ごろ、友人から、この本を読んだ?と、「どうした、日本」-中川昭一と宋文洲の不愉快な対話(ダイヤモンド社 2008年4月発行)を紹介された。宋氏はIT企業であるソフトブレーン㈱の創業者として知られる。

中見出しは、「僕は今、“死”について意識しはじめています」。
この中で、これからの日本、世界、とくに日中関係などについて幅広く語り合っているが、「死」について触れている部分がある。

中川 そう、僕がさっき言いたかったのは、イギリスはシーザーの時代から混沌の歴史を何度も経験してきたけれど、日本では「目標なき混沌」に直面するのはこれが初めてなんだということです。

 そうですね。だから、今こそ坂本龍馬みたいな政治家が必要なのかもしれません。味わったことのないものを人はなかなか食べませんから。

中川 そうなると、やはり、政治は命懸けです。

 そうでしょうね。日本の明治維新にしても、黒船にしてもやったことのないことをしたからこそ、世の中がガラッと変わったわけですから。

中川 でも、この実現のためになん人、死んでいるかが問題です。僕は今、“死”について意識しはじめているんですよ。

 今の政治家は政治家としての死である落選でさえ嫌がるというのに?

中川 死を意識するというのは、まあ、落選も含めてなんですが…。僕は、自分が54歳になって、父はあと3年で死んだのか、と思うことがあるんです。父(中川一郎元衆議院議員 1925~1983年)の死というものをすごく意識します。また、病気や亡くなる知人も多くなっていますから。

 なるほど、そういう意識の仕方があるんですね。

中川 ええ、あります。最近、特にそうです。日本が良くなるなら、坂本龍馬や中岡慎太郎じゃないけれど、僕は殺されてもいいと思うんです。ただし、死に方は考えないとね。最近、親しい友人と、どんな死に方がいいかなんてことをよく話しています。病死を含めてですけれど。~

あの、「もうろう会見」は、いただけなかったが、自民党きっての政策通であり、大胆な発言をする政治家を失ったのは、これからの日本にとっては誠に惜しいことだ。ご冥福をお祈りしたい。