永六輔氏(77)が文藝春秋12月号で「しゃべり続けて一萬回」という巻頭エッセイを書いている。
TBSラジオの「誰かとどこかで」が、今年で43年だそうだが、パートナーはずっと遠藤泰子アナウンサー。その彼女のことを「近頃はアナウンサーというより介護士で、呂律がまわらなくなってきた僕を支えてくれている」と話し、ラジオの効用や番組を通しての功績などを語っている。
だが、本人が書いているように、ラジオを聴いていても、言葉がハッキリせず、聴き取れないことが、しばしばだ。かつての、歯切れの良さは全くない。実は、私は若い頃、マスコミの大学で永氏の講義を直接受けたことがあるだけに、今の状態は残念だ。長きにわたって多方面で活躍してきたことは誰でも認めるところであり、もう、後進に道を譲ってもいいのではないか。
そういう意味では、他にも、そろそろ退場した方がいいと思われる人たちがいる。
テレビ朝日系「スーパーモーニング」の鳥越俊太郎氏(72)も、その一人だ。最近は、言葉が、なかなか出てこない。政治関連のテーマでは、親民主よりのコメントが多く、偏った考え方が目につく。
フジTV系「FNNスーパーニュース」の、木村太郎氏(70)もしかり。何せ、声がかすれてきて、聴きづらい。せっかく、安藤優子アナが、歯切れよく語っているのに、敢えて、木村氏のコメントは聴かなくてもよい。言うまでもないが、この世界では、「わかりやすく伝える」ことが大事なのであって、内容的にも技術的にも、それが欠けたならば、潔く退くべきだ。
日頃、オピニオンリーダーとして、発言してきて、それぞれが大きな役割を果たして来たことは事実だが、政界の世代交代などを強調してきた皆さんたちなのだから、自らの出処進退は、きちっとするべきだ。こう思っているのは、決して私だけではないはずだ。
若者たちが就職難で喘いでいる中で、皆さんたちが範を示すべきは、自らが若い世代にバトンタッチをしていくという風潮をリードしていくことではないか。それが、皆さんの最後の仕事だ。