鳩山邦夫法務大臣が死刑執行のあり方について、「死刑執行を法務大臣のサインなしに、自動的にできるように、検討してみたい」と発言したことについて、色々な意見が出ている。執行順の決定方法について、「死刑確定順か、乱数表か」という表現をしたのは、どうかと思うが、死刑執行は粛々と進めればよいと思う。どの法務大臣が何人の執行にサインしたかとマスコミは書くが、改めて取り上げることでもない。
この鳩山法務大臣の発言に対して、死刑廃止論者である亀井静香代議士(死刑廃止議員連盟会長)が、「人の命を軽んじるようなことはいけない」とコメントしていたが全くおかしい。亀井氏は、もともと「人間の命や自然環境というものを大事にする社会でないと、それは健全な社会ではない」と語っているが、死刑を宣告された人間は、まさしく、尊い人間の命を奪った人間なのだ。この根本を忘れてはならないのだ。死刑は当然のことだ。
死刑廃止論者は、その理由を色々と言っているが、どんなことを言っても、死刑廃止の理由にはなりえない。廃止論者の主張は、おおよそ次のようなものである。
○ 犯罪者にも人権がある。
○ 死刑は残虐な刑である。
○ 死刑は国家による殺人である。
○ 死刑は懲役と比較して有効な手段でない。
○ 人の命を永久に奪い去る冷厳な死刑と無期懲役とでは、あまりに
も差が大きすぎる。
○ 死刑は人命を軽んじる風潮と人心の荒廃を招く。
○ 人が人を殺してはならないのは、道徳の基本である。
○ 凶悪犯といえども、その命を奪うことがあってはならない。
○ 国家は国民の生命を奪う権利を持たない。
○ 死刑による明確な抑止効果が科学的に証明されていない。
○ フランスでは死刑廃止によって統計的に凶悪犯罪が減少してい
る。
○ 免罪の場合、取り返しがつかない。
こうした主張を聞いていると、そのほとんどは被害者側の立場ではなく、加害者側の立場からの発想である。免罪ということは、もちろん十分に考慮しなければならないが、それ以外の主張は、常識では到底理解できない。ばかばかしい主張以外の何ものでもない。
理由もなく殺された人間はどうなるのか。その遺族の悲しみ、苦しみは、一生続くのだ。人の命を奪った者は、その時点で自らが人権を放棄しているのであって、死刑に罰せられるのは当然のことだ。光市の母子殺害事件の22人という大弁護団は、死刑廃止論者だと聞くが、あれだけの凶悪犯である。死刑は当然である。
この鳩山法務大臣の発言に対して、死刑廃止論者である亀井静香代議士(死刑廃止議員連盟会長)が、「人の命を軽んじるようなことはいけない」とコメントしていたが全くおかしい。亀井氏は、もともと「人間の命や自然環境というものを大事にする社会でないと、それは健全な社会ではない」と語っているが、死刑を宣告された人間は、まさしく、尊い人間の命を奪った人間なのだ。この根本を忘れてはならないのだ。死刑は当然のことだ。
死刑廃止論者は、その理由を色々と言っているが、どんなことを言っても、死刑廃止の理由にはなりえない。廃止論者の主張は、おおよそ次のようなものである。
○ 犯罪者にも人権がある。
○ 死刑は残虐な刑である。
○ 死刑は国家による殺人である。
○ 死刑は懲役と比較して有効な手段でない。
○ 人の命を永久に奪い去る冷厳な死刑と無期懲役とでは、あまりに
も差が大きすぎる。
○ 死刑は人命を軽んじる風潮と人心の荒廃を招く。
○ 人が人を殺してはならないのは、道徳の基本である。
○ 凶悪犯といえども、その命を奪うことがあってはならない。
○ 国家は国民の生命を奪う権利を持たない。
○ 死刑による明確な抑止効果が科学的に証明されていない。
○ フランスでは死刑廃止によって統計的に凶悪犯罪が減少してい
る。
○ 免罪の場合、取り返しがつかない。
こうした主張を聞いていると、そのほとんどは被害者側の立場ではなく、加害者側の立場からの発想である。免罪ということは、もちろん十分に考慮しなければならないが、それ以外の主張は、常識では到底理解できない。ばかばかしい主張以外の何ものでもない。
理由もなく殺された人間はどうなるのか。その遺族の悲しみ、苦しみは、一生続くのだ。人の命を奪った者は、その時点で自らが人権を放棄しているのであって、死刑に罰せられるのは当然のことだ。光市の母子殺害事件の22人という大弁護団は、死刑廃止論者だと聞くが、あれだけの凶悪犯である。死刑は当然である。
万一、清高様のブログを見て死刑推奨論者の人等が不快に思い、本人及び身内の方を殺したとしても理路整然と、「世界人権宣言第3条、市民的及び政治的権利に関する国際規約第6条第1項」により、「どんな人でも自分の生命に権利をもち、奪われることはない」と死刑に反対されるんですよね。(もちろんそんなことは現実には起こり得ませんが)
私はそんな立派な人間ではないので、そのようなことを想像するだけで死刑反対論にはとても違和感を持ってしまうのですが、人間のできた御方で心より尊敬致します。
こんなご立派な方に貴重なご意見を頂けるなら、私もブログをやってみようかなと思いました。
こういう事は、価値観の問題であって、証明されるもんでもありません。それを
>(世界人権宣言第3条、市民的及び政治的権利に関する国際規約第6条第1項を見よ)!
なんて事を根拠に「証明した」とか、それを持って、ここの管理人氏を「古い」呼ばわりするような、狂った人間が自分だけが理路整然と思って自己満足な論を展開している人間の存在が嘆かわしい。
「世界人権宣言」が、世界の絶対の憲法とでも思っているのか?・・・本物の愚者だな。
>いまは、どんな人でも自分の生命に権利をもち、奪われることはない
って世間知らずにもほどがある。日本の殺人事件だけでなく、現代だって、世界では多くの理不尽な虐殺がなされています。そっちの反対運動でもやったら少しは現実を実感出来るでしょう。
最高に笑えるのは、最後の一言だ。
>私は、あなたの意見が間違いであることを1で証明したよ。
アハハハ!!あまりに稚拙な論理・・幼稚園生か?・・坊やいくつ?
管理人氏への同意文を書こうと思ったけど、こういう単細胞的独善的な奴の物知り風なコメントは気分が悪いので(相手にするのが馬鹿かな??)
このコメントを持って、管理人氏への応援とさせて戴きます。
社会のルールを破ればそれ相応の報いが
やぶった者に無ければ社会が成り立たないでしょ
そんな事も解らないのですか?
【死刑の是非・正当不当の問題】は古来より賢人識者をもってしても容易には決着をつけることのできなかった”汎人類的難題”ですが、
私(筆者・竹本護)は、哲学者として、
『【契約主義】という新政治哲学』と『【生命に関する八種の公理命題】という新生命観』に基づき
『【公理命題死刑論】と命名しました新死刑正当論』
を提唱します。
ホームページのURLは
【 http://www1.odn.ne.jp/shikei-ron 】
です。
当ホームページにおいては、
「適用対象国家として現日本国ではなく【日本契約国】という未来国家を想定し、かつ、「『生命に関する八種の公理命題』を基幹的前提として『計13種の死刑正当条件』を列示した新死刑理論体系を構築する」
という従来のいかなる死刑正当論・肯定論においても見られなかったまったく新しい発想で展開される
【究極の死刑正当理論体系=公理命題死刑論】
を主張しております。
法曹関係者はもとより一般国民においても存廃賛否のいずれの論者であるかを問わず真剣に死刑の是非・正当不当のいかんを考えておられる諸賢ならば必ず読んでもらいたい死刑論稿ですが、
とりわけ死刑廃止論者・反対論者で「われこそは理論理屈に自信あり」と思われる諸賢は勇躍一番、論難論破に挑戦して来ていただきたいものです。
読み進められるにつれて「諸賢らの今までの主張がいかに心情偏重と非理性的理屈および人道意識的自己満足に安住していたか」をまざまざと思い知らされるはずです。
申すまでもなく【人の命】というものはあらゆる思想存在の中で最も重い尊厳と価値を持ったものです。
【死刑】とは、たとえ殺人犯(死刑相当殺人犯)のものとはいえ『国家がその【人の命】を強制的に奪う(処刑する)厳粛な政治的社会的行為』のことですから、「その正当性に対する厳密にして確定的な考察と理論保障」なくしてその制度的採用も執行も行なうべきものではありません。
その『厳密にして確定的な考察と理論保障』を行なった論稿が本稿であり、
当然分量的にも400字詰め原稿換算で400枚以上と長大ですし、『いかなる廃止論者・反対論者にも突き崩されることのない完璧な正当理論体系』を構築すべく
「各論題ごとに『前提と推論という論理の階段を一段一段緻密に積み上げて最終的結論を定める』という丁寧かつ堅実な推論手法」
を採っていますから、『思惟思索する覚悟』のない安易な心構えでは読みこなせないことは必定です。
そのかわり読み終えれば存廃賛否の主張の立場を超えて「生命や死刑というものに対してこんな見方・考え方もあるのか」と
『未知未見未聞にして異次元の理論世界・真理世界』
を見た満足感に存分にひたれることを保証します。
ぜひ”闘読”に”挑戦”してみて下さい。