昨年の永ちゃんは春のZ’sから始まり怒涛のライブ三昧の一年でした
「出」の年と「引き」の年と・・
この処、メリハリをつけて活動している永ちゃん
未だ何の動きもないってことは、やっぱり「引き」の年なのでしょうね
先日、永ちゃんがご家族と一緒に
ドゥービー・ブラザーズの武道館ライブを観に行ったとかの情報を目にすると
永ちゃんだって私生活を大切にしなくては
なんて思うわけです
私の選んだ矢沢語録
2001年「アー・ユー・ハッピー?」より
『アメリカに行った理由?やっぱり日本が狭かったのかな。
渡米するちょっと前、オレは後楽園スタジアム、今の東京ドームを満杯にした。
日本のロックミュージシャンが後楽園スタジアムでライブをやるハシリだった。
ハデな成功とは裏腹に、あのとき、オレの中ではすべてが苦しかった。
オレはつねに新しいものを探し求め、つねに走り続けていた。
その一方で枯渇していくものがあった。
ネタ切れになっちゃうんじゃないかという恐怖がオレのなかにあった。
オレにはもうなにも新しいものを生み出す力がないんじゃないかと、オレは怯えていた。
後楽園ライブが終わって、マスコミは
「矢沢は日本のスーパースターだ」と、もてはやした。
ところが本人は喜ぶどころか、もうネタ切れなんじゃないかって怯えていた。
そこにゴールが見えるから、人間は走り続けることができる。
でもオレはゴールを走り抜けてしまった。
オレは苦しかった。
オレは日本を離れたいと思った。
ただもう「エンプティ」という感じだった。
むなしかった。空っぽだった。
苦しい。もう空っぽだ。パワーもない。
その反面「矢沢」という名前のほうはすごくでかくなっていた。
ところがアメリカに来て、こっちのミュージシャンたちと会っているうちに、
オレは目が覚めた。
「おい矢沢、そんなおセンチになっている場合じゃないぜ」
オレはそう思った。
アメリカには世界中のすごいミュージシャンがごまんといる。
ぶちのめされた。
「日本のスーパースター?矢沢?それがなんぼのもんだ」
オレは心底そう思った。
ミュージシャンたちと会っていて、いやというほど思い知らされた。
するとどうだろう、オレのなかでやる気がムクムク起きてきた。
「とんでもないぜ、矢沢よ。
オマエは狭い日本ごときであぐらかいてる場合じゃない。
世界には、すごいヤツらがいっぱいいるぜ」
そう思うと、オレのなかにまたメラメラ燃えてくるものがあった。』
80年当時、映画「RUN&RUN」を観た私
まだツッパリのイメージが強かった矢沢永吉という人が
本当は洗練された素晴らしい曲を作るミュージシャンだったと
あの映画を見て、はっきりと認識したのを思い出します
映画のなかでも、時々イラだった永ちゃんの姿が有りましたが・・
実は、とても、むなしく苦しい時期だったのですね。
でも・・
アメリカに行くことで、またメラメラ燃えることが出来た永ちゃんは
その後も、ずーっと!ずーっと!!
新しいものを探し求め、つねに走り続けている
それには、やっぱり充電は大切ですよねー
って事で・・
たっぷり充電した永ちゃんの秋ツアーを楽しみにしたいと思います