ひろみの「PM9」

YAZAWAなライブとYAZAWAな言葉
永ちゃん最高~!!
マジな永ちゃんに、どこまでも付いて行きます♪

おれが、明るくしてみせる!

2023年02月08日 16時00分04秒 | 矢沢語録

40周年日産スタジアムでの記念ライブ

「BLUE SKY」

久しぶりにパンフレット引っ張り出して見てみたら

10年前も今も全然変わらない永ちゃんがいました

もちろん皺は増えてますけど

体形や気持ちの持ち方など当時と変わらぬモチベーションを維持しているのが

本当にスゴイと思います

この時のパンフは折りたたみ式の珍しい作りで

表は写真集のような雰囲気

裏を開くとデビューから年代ごとに

アルバムやライブの写真が満載

80年代のところではマイクターンの連続写真も

そして矢沢語録

1ページ目には、こんな言葉が。。

 

雨でも曇りでも、

元気があろうがなかろうが、

青空だよ。

 

厳しい状況のなかから

立ち上がる時には、

なにもない青空の下から

スタートする。

おれが、明るくしてみせる。

 

今も・・

パンデミックに物価高騰に自然災害にウクライナでは戦争

多分10年前よりもっと厳しい状況だと思います

思えば・・

永ちゃんの存在じたいが私達を元気にしてくれる源なのかもしれませんね

 

僕のファンは頑固ですから。

頑固に矢沢を忘れずに、ずーっとついてきてくれてる。

オーストラリア事件のときも

「永ちゃん、俺たち、ついてるからさ」って声が聞こえた気がしましたよね。

だから、借金も全部返済して、その後またスタジオ建てたりできたのも

そういうことじゃない?

おまけにこうして40周年を迎えて、現役でロックシンガーをやれてる。

矢沢は40年、

ファンと共にあった、と言っていいと思います。

 

ミック・ジャガーもブルース・スプリングスティーンも

いい歳して、またワールドツアーをやるんですよ。

みんな、いいオッサンなのにやめないわけ。

なんでかなぁ?って思ったら、答えは簡単。

我々ぐらいキャリアがあると、もう職人みたいなもんなんだけど、

職人はね、不器用なヤツが多いんですよ。

考えてみたら・・

やめられないんだよね。

やめたら死んじゃうんですよ。

死にたくないからライブをやり続けるしかないんじゃないかなぁ。

・・・僕もそうです。

身体の続く限りはステージに立ち続けたいなと思っています。

 

ツアーパンフ無くなって久しいですが

紙のパンフレットって、やっぱり良いなぁー

こうして久ぶりに懐かしく見たりして・・

当時の記憶が一気に蘇ります

 

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うん、おぬし曲者じゃな、みたいな・・

2022年12月01日 18時04分35秒 | 矢沢語録

札幌は12月に入った途端一面の銀世界

気温も今季最低のー6℃日中もー4℃と、いきなりの真冬日

 

永ちゃんのツアーは後半戦に入り

4日・・マリンメッセ

7日・・横浜アリーナ

10日、11日・・城ホール

15日、17日、18日、そして最終日20日は

「武道館150回目」という記念すべき金字塔を打ち立てる日となります

日本のロックを牽引し続けたYAZAWAのロック人生

永ちゃん本当に素晴らしいです

私は今、人生何度目かの断捨離をしてまして

順調に進んでいたのですが・・

またまた永ちゃん関連の所でストップしちゃいました~

 

10年前、永ちゃんのライブ遠征帰りの飛行機で見つけた機内誌より

 

私の選んだ矢沢語録

012年  JALグループ機内誌

『Skyward』

 

「曲って今も、できる時にはポンポン湧いてきますよ。

でも、できない時は、もうさっぱり。

目の前にビールとICレコーダー置いて、

ぐちゃぐちゃや、バラバラに浮かんだ音の切れっ端を

録音しておいて後で聴くんです。

そのなかで、うん、おぬし曲者じゃな、みたいなのを

こっちのストックに入れて・・あ、これ企業秘密(笑)」

 

今回「きたえーる」のMCで同じような事、言ってました~

ムリして一気に作らず、少し置いて

これは!!と思ったメロディーだけを残す・・と

だから、どの曲も心に残り素敵なのでしょうね

 

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いろんな人と出会い、学んだ50年

2022年09月30日 12時28分15秒 | 矢沢語録

50周年記念ライブ最終日大阪・京セラドーム

晴天のなか無事終わりましたねーー

 

スポニチ9月26日号より・・

 

ロック界のカリスマ、矢沢永吉(73)のデビュー50周年記念ツアーの最終公演が

25日夜、大阪・京セラドームで行われた。

4万人を前に50年の歴史をひもとくように熱唱。

定番のタオル投げも起きた中、2時間20分にわたって歌いまくり

「矢沢は本当にファンの皆さんに愛されてると思いました」と感謝。

ファンをはじめ「多くの人たちとの出会いあっての50年だった」と

幸せをかみしめていた。

 人生の集大成となったツアーの最終公演。

客席への第一声は「国立競技場から始まって先週の福岡。

矢沢は本当にファンの皆さんに愛されていると思いました。

だから50年走ってくることができたんですね」と感謝の言葉だった。

 オープニング曲はフォーク歌手の故西岡恭蔵さん(享年50)が作詞した

ダンディーなロックナンバー「苦い雨」。

その後も中盤で「黒く塗りつぶせ」、本編ラスト「逃亡者」、

アンコール最後に「トラベリン・バス」と、

要所の曲は西岡さんと70~80年代に生んだ名曲群。

73歳とは思えない圧倒的な声量で歌いまくった。

 矢沢を取材してきた中で忘れられない場面がある。

99年に西岡さんが自ら命を絶った時。

愛妻に先立たれ、子供2人を残しての悲劇。

米国で訃報を知った矢沢は緊急帰国。

西岡さん宅に現れた時の形相はすさまじく、テレビカメラを押しのけ

「お前らのエサになるために来たんじゃねえ!」と激怒した。

 無言の西岡さんとの対面。

矢沢は高校生と大学生の子供2人を抱き締めると「いくつになった?」と年齢を確認。

「だったら、やれるよな?兄弟2人で力を合わせるんだ」と声を掛けた。

8歳で両親を失い、兄弟もいなかった自身の境遇から出た言葉だった。

 矢沢はこの日のステージで、西岡作品以外にも

故山川啓介さん作詞「チャイナタウン」「ひき潮」、

故ちあき哲也さん作詞「止まらないHa~Ha」「BIG BEAT」などを歌唱。

既に他界した同世代の恩人たちへの思いが全22曲に込められた。

ツアー前のスポニチ本紙の取材にも

「いろんな人と出会い、学んだ50年だった」と振り返り、

今の心境を「感謝」と端的に表現した。

 

その意味でツアー最終地の大阪は、かつて矢沢が一部ファンの迷惑行為で

ライブ会場が使用できない悩みを抱えていた中、

84年に大阪城ホールが初の使用許可に踏み切ってくれた「恩」ある街。

その時にアンコールで歌ったのがソロデビュー曲「I LOVE YOU,OK」。

矢沢はさまざまな思いを込めるように、

アコースティックギターだけの弾き語りで歌い上げた。



 B’z、MISIAとの共演など「感謝」の思いが「伝説」となった50周年。

次は前人未到の日本武道館での通算150回公演が待っている。(阿部 公輔)

 

素晴らしい作詞家さんとの運命の出会い

皆さん亡くなられていますが・・

名曲としてこれからも永遠に残っていくと思います

 

西岡さんの子供達への言葉・・

今回初めて知りましたがジーンと胸が熱くなりました

 

西岡恭三さん作詞の曲・・

素晴らしい作品ばかりでナンバー1は選べないのですが

 

「黒く塗りつぶせ」

「ライフ・イズ・ヴェイン」

「夕立ち」

西岡さんの詞は独特の世界観が有って

魂に触れるというか・・心にズーンと響きますねー

 

特に「ライフ・イズ・ヴェイン」

当時23歳のボクシング世界チャンピオン

大場政夫さんが交通時事故で亡くなり

それを題材にしたのでは??と言われている作品のようですが

私も大場政夫さんの大ファンだったので

当時の衝撃は今でも残っています

永ちゃんのシンプルだけど切ないメロディーとピターッと合っていて

本当に素晴らしい名曲ですねーー

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俺自身、その歌に何度も救われた!

2022年08月28日 15時51分03秒 | 矢沢語録

 

スポニチ「YAZAWA MAXIM 矢沢の金言」第11弾(最終回)

(2022年8月23日号より一部抜粋)

 

国立競技場のリハーサルライブを横浜のライブハウス「KT Zepp横浜」でファンクラブ会員限定でやってきました!いよいよ国立本番です!

 何が良かったって、もうすぐ73歳になるこのカラダが「楽」っていうのかな。突っ込んでいく時もカラダが自然についてきてくれた。やっぱ日々のトレーニングというか、真っすぐ体と向き合ってきたってことかな。

 

でも、この猛暑。どこまで持つかはクエスチョン。だけど、お客はライブ始まったらそんなの関係なし。永ちゃん、きょうも飛ばしてよ!って向かって来ますから。応えないワケにはいかない。だからいつも思う、このギリギリ感にサンキュー!燃えてる矢沢にサンキューです!!

 最近思うんだよね。人間なんて生きていく中で、あれもこれもたくさんのものは必要ないんじゃないかって…。自分にとって、これとこれさえあれば生きていけるってものを見つけて。要は、気持ちよ!気の持ち方がどれだけ大事か。シンプルで結構!自分をもっと愛する!これが人生いろいろあった中での結論です。

僕にとってシンプルにやり続けてきたのが、ライブアーティストとしての50年。大工さんや職人さんと同じです。だからステージには自分が納得するまで徹底的にこだわる。しかもロックは生のライブが命。だから、もう無理、ステージには立てない、十分やったと思った時、俺はマイクを置きます。

(中略)

 矢沢が矢沢であり続けるためにまだまだ走り続けます。ソロデビューした26歳の時。♪俺は畳じゃ死なねえぞ――って歌ったけど、マジな話、現実に起きちゃうかもしれないよ(笑い)。でも日々、棺桶(おけ)に足突っ込みながらも立ち向かってますから、ステージでパタッと逝っても、それもOK。あれもOK。全部OKで、矢沢最高です!

だって考えてみたらこの50年間。人生いろいろあったけど、ひとつだけ変わらないことがある。俺にはいつも歌があった――。

 俺自身、その歌に何度も救われた。山川啓介、西岡恭蔵、大津あきら、ちあき哲也…。矢沢永吉の世界を70年代から90年代にかけて一緒につくってくれた4人の作詞家です。既に天国へ旅立たれていますが、矢沢のメロディーに言葉を与えてくれたことに本当に感謝しています。

この連載も最終回。振り返ると、死んだ親父におばあちゃん、キャロル、山中湖、全米進出、豪州の詐欺事件、ウェンブリーの奇跡…と失敗や反省することばかりの人生でしたが、今の「矢沢最高!」にたどり着くためには、全部必要だったのかもしれません。

 その集大成となる国立競技場2DAYS。我ながらドラマチックな人生ですから、その意味でも何が起こるか分かりません。だからこそ、そこんとこ、ヨロシク!

 《エアコン止めてストーブ2台 しゃく熱トレ》矢沢は猛暑の今夏、都内のスタジオに電気ストーブ2台を持ち込んで個人リハーサルを続けている。ステージの照明の熱さに慣れるためで、若い頃からやっているツアー前のルーティン。この猛暑の中、エアコンを止めてストーブをたきながら1時間以上歌いまくるのだ。そして毎日欠かさず、柔軟などのトレーニングもしており「マジで持久力、上がります」と元気いっぱい。こういった日々の鍛錬が強靱(きょうじん)な72歳の肉体をつくっている。

(中略)

「矢沢永吉」という人間の深層に触れ、心底ひかれた言葉がある。今から15年ほど前。大みそかのイベント終了後、除夜の鐘が鳴り終えた頃に膝を突き合わせながら聞いた。

 「実は人付き合いがあまり得意じゃないんだ。臆病なのかナルシシストなのか分からないけど。人がね“あいつ、ええカッコしやがって”とか思ってるんじゃないかと思っただけで耐えられない。人の目が、陰口が、気持ちが怖い。だから周囲に黙って合わせたらいいのか。それはもっと耐えられなかった」

夢や欲求、ひらめきに忠実で、打算や妥協を嫌う。野性的な好戦性に隠れた繊細さはここから生まれ、自分を愛して自分を信じる孤高の生き方も、独特の切なさがにじむ歌声とメロディーにも、その純真が見えるのだ。同じ団塊の世代から50歳以上離れた若いファンからも愛着満点に「永ちゃん!」と呼ばれるのはこのためだろう。(阿部 公輔)

 

 

本当に素晴らしい作詞家さんとの出会いですよねー

詞の世界が普遍的なので永ちゃんのメロディと合わさる事で

楽しい時、辛い時、悲しい時も。。

心を慰め、心が救われるような気持ちになるのだと思います

私も眠れない夜、永ちゃんの曲を聴きながら過ごした事が何度も有りました

 

新国立競技場「50周年記念ライブ MY WAY」今日は2日目

降っていた雨も止んで来たようですねーー

参加される皆様、とことん楽しんで記念ライブを盛り上げて下さーい

 

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「矢沢永吉」という人生を・・

2022年08月19日 21時51分14秒 | 矢沢語録

「矢沢の金言」も10回目を迎え・・

いよいよ人生の深いところを語ってくれていますねー

被爆者のお父さんが、どんなに辛い人生を歩んで来たか

その背中を見ていた永吉少年・・心の深い所で切なさ寂しさを抱え

でも、それをバネに力強く真っ直ぐに生き抜き

繊細な感受性と心を持ち続け

何ともいえない切なさがたまらないYAZAWAなロック

心に染みる美しいバラード

そんな永ちゃんの楽曲が大好きです

ロックで泣けるのが永ちゃんの歌なのです

 

スポニチ「YAZAWA MAXIM 矢沢の金言」第10弾

(2022年8月16日より一部抜粋)

 

この前、僕、自分に問い掛けたの。もし、神様から

「矢沢、何億円か払えば30年前に戻してあげる」と言われたら、

お前どうする?って。

 30年前に戻っても、今の知識は消えないで残るの。

それでいて肉体は若くなるから42歳。時代もあの頃。最高じゃん!

自分の人生であの時もっとこうしてたらとか、

会社経営もスムーズにできたんじゃないかって反省はいっぱいある。

だから30年前にタイムマシンで戻ってみたいよ。

 

だけど、若くなりたいとは思わないんだ。本当に戻りたくない。

反省だらけの人生が全部成功に変えられるのに。

また、人生やり直すのが面倒くさいのかな。

豪州の詐欺事件やらマネジャーに裏切られたとか、

いろいろあり過ぎたからもう勘弁だよって(笑い)。

 まあ、腹立つことも悔しい思いもいっぱいありました。

でも「俺、十分やったよ」という気持ちが強いのかもしれない。

だから俺の答えは、若い頃に戻る気、全くなし!予定通り、このまま行きたい。

 

このくらいの年になると、朝起きたら、うがいから始まる。

水いっぱいギュッて飲んでそっから。

それでヨーグルト食べて、コーヒー沸かして、

体の動きが若い頃のようにパパッとできない。よっこらっしょって(笑い)。

わかるんだよ、血液が巡ってだんだん良くなってくるのが。

本気で目が覚めるのに30分くらいかかる。

年取るってこういうことなんだと、つくづく思う。

 でも、30年前に戻りたいとは思わない。

それは今、健康だからというのはある。

でも、せっかく親からもらった命、運命、魂がどんな行く末になるのか。

「矢沢永吉」という人生を

このまま最後まで生き抜いてみたいっていうのがあるんだね。

だからかな。

最近、ウチの親父の気持ちも分かってきた。

被爆してて、奥さんに逃げられて幼い僕を引き取って。

育てられるはずもないのに、

この女に渡してなるものかって男の意地があったんじゃないかな。

それは未練の裏返しだったと思うと、親父の弱さも無念さも分かるんだ。

 俺が8歳の時に親父は死んじゃうけど、

いつも川べりで牛乳とコッペパンだけの朝ごはんを食べている姿を今も覚えている。

男としての寂しさ、つらさ、切なさ。

実はその情景が、俺自身を形成したところありますよ。

「I LOVE YOU,OK」とか

「時間よ止まれ」などのメロディーにも出てきているかもしれない。

 

(中略)

僕は昔から「人生は失うものを増やしていくゲームだ」と言ってきた。

失うものが多いことが生きてきた証だし、僕も今では孫がいたりする。

それは幸せの証拠です。でも、寂しさが増えることも人生だから。

特に男は女性と違い、群れずにひとりになっていくから切ないよね。

でもいいじゃない!それが人生だし、だから年を重ねた男は渋いのよ。

 来月で矢沢、73歳になります。あと何年やれるか全く分かりません(笑い)。

でも若かった過去よりも、あてにならない未来よりも、

来週末の国立競技場のライブをキメてやるぜ!って燃えている今が大事。

猛暑の中、体力的にもギリギリだけど、

ある意味で矢沢史上最もスリリングなライブになる。

そう感じた時のビリビリくる刺激がたまんないのよ!

俺がこのままの人生を貫きたい理由。もう分かってくれたよね?

 

矢沢史上最もスリリングなライブ

永ちゃんって、言う事が本当にカッコイイー

私も・・

今を大切に生きよう!!って、心からそう思います

 

いよいよ後一週間

猛暑もコロナも少しでも収まって記念ライブが大成功しますように


 

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つまり“俺なり”とか“自分なり”みたいなものが・・

2022年08月16日 20時52分54秒 | 矢沢語録

 新国立競技場「MY WAY」にMISIAさんがゲスト出演でーす

どんなコラボを見せてくれるのでしょう??

デュエットも有るのでしょうか

永ちゃんとMISIAの接点って何でしょう??

確か10年前・・

二度目の紅白出場で永ちゃんの後、MISIAが砂漠から生中継

男っぽいロックな永ちゃんに対し

どこまでも響き渡るMISIAの美しいバラードの対比が

とても素晴らしかったのを思い出します

それにしても・・

たった2曲のためにナミブ砂漠まで行っちゃうNHKって

スゴーイって思ったものです

 

(スポニチ2022年1月16日より一部抜粋)

歌手のMISIA(43)が16日、MCを務めるNHK-FM

「MISIA星空のラジオ~Sunday Sunset~」(日曜後5・00)に出演。

昨年12月にロック歌手の矢沢永吉(72)のライブを鑑賞し、

大きな影響を受けたことを明かした。

昨年の紅白でワイヤレスではなく、有線のマイクを使ったことに言及。

「あれはマイクのトラブルではないです。

あえて有線マイクで歌ったんです」と伝える。

 そして実はこの有線マイクこそが矢沢の影響だった。

MISIAは昨年12月に矢沢永吉のライブ

「I'm back!! ~ROCKは止まらない~」を鑑賞したことを伝え、

「凄くカッコ良くて。70歳を超えてらっしゃるんですけど、変わらない歌声で。

マイクとかガーンと投げて、足で蹴って振り回したりしてて」と感動の面持ち。

さらに歌手らしく、「歌声も素晴らしかったんですけど、

音もまた良くて。で、有線マイクを使ってるなと思ったんです」と説明。

 

永ちゃんの昨年のライブを観てからの有線マイク

プロにも強烈な影響を与えてしまう永ちゃん・・流石です

 

スポニチ「YAZAWA MAXIM 矢沢の金言」第9弾

(2022年8月9日号より一部抜粋)

 

既にキャロル時代からメンバーと女の話でワイワイやるより、

裏方のスタッフに業界の仕組みを聞く方が好きだった。

だからアメリカ行った時も、どうやって制作してあの音を出せるのか、

その仕組みから学んだ。

ライブもそう。自分で制作会社つくって、失敗しながら自分のものにしていった。

 仕組みが分かると、どこが重要なのかが分かる。

すると想像が膨らむ。そこから、組み立てることが好きなの。

あの作詞家と俺のメロディーにあのエンジニアだったら…

どんな音になっちゃう!?と想像するのが好きで。

だからこそ組み立てには、直感とか湧き上がる感覚、

つまり“俺なり”とか“自分なり”みたいなものが大事になってくる。

それは当然、音楽も同じで。人生もそうかもしれない。

 

だって、矢沢が最初から大手のプロダクションに入っていたら、どうだった?

音楽だけやっていて、それはそれで楽だったと思うけど、

今の矢沢永吉は間違いなく生まれていなかった。

失敗したり裏切られたり、たくさんの遠回りの連続だったけど、

壁にぶち当たりながらもなにクソ!と立ち向かってきたことが、

今の矢沢を組み立てていったんだ。



 そうじゃなきゃ50代半ばで若者だらけのフェスに飛び込んでいかないし、

72歳になってサブスク解禁しないよ。

「年を取るってのは魂が老けることじゃない」って言葉は、

老いゆく自分が自分のケツをそう言って叩いていたんだ。

でも、この年になって思うね。

矢沢、なかなかいいこと言うじゃん(笑い)。

 

(中略)

矢沢はビートルズに出合わなければ、板金工になるつもりだった。

趣味といえば部屋のインテリアや内装を考えたりするのが好きで、

音楽を一定の仕組みの中で組み立てていく創造物と捉えれば

「確かに、元々自分の性に合っていたのかもしれない」という。

 矢沢は昔から

「自分に合ってるかどうかが、才能ってことだ」と言っている。

それは比類なき歌声のことでも、卓越した作曲能力のことでもない。

“素”の部分で勝負できるものを見つけようという、世代を超えたメッセージだ。

 

永ちゃんって、インテリアや内装を考えたりするのが元々好きだったのですね

なるほどーー

ドキュメンタリー映像で、

ご自宅のお部屋とか、クルーザーとかスタジオとか

インテリアを紹介してくれる事がたまに有りますが

本当にセンスが良いと思います

シックでゴージャス

スタジオはシンプル・モダンなデザインの椅子や黄色のソファーが印象的

「ダイアモンド・ムーン」のインテリアも素敵です

そして豪華クルーザー

椅子や照明、小物に至るまで選び抜かれた物たち

真っ白の刺繡入りのタオルが

ピシーっと美しく折りたたんで掛けて有り

几帳面な永ちゃんだからこそのインテリアなんだわー!って思いました

 

ところで・・「サブスク」って

言葉は知ってましたが、意味を知らずに過ごしてきた私

今回、永ちゃんの「定額聴き放題の配信」を「全638曲解禁」

とのニュースで、やっと意味が分かりましたー

それにしても638曲って。。スゴイ数です

それも名曲がザクザク有りますから

サブスク絶対お得ですよねーー

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7万人の「誰?お前」状態

2022年08月07日 21時25分10秒 | 矢沢語録

ここに来て、ライブハウスで公開リハーサル

これこそ超お宝チケット

急な告知に合わせて行く事が出来る人

そして超レアなチケット当選という超、超、強運な方々

申し込みも断念しなければならない身としてみれば・・本当に羨ましいー

 

8月3日

MY WAYツアー公開リハーサルLIVE

『OPEN REHEARSAL GIG 2022』の開催が決定いたしました‼

YAZAWA CLUB会員限定申し込み可能な超プレミアムイベント企画となります。

【日程・会場】

8/22(月)KT Zepp Yokohama

8/24(水)Zepp Haneda

▼特設ページ

https://fc.eikichiyazawa.com/feature/openrehearsalgig2022

受付期間:8/4(木)12:00〜8/7(日)23:59

【料金】

1Fスタンディング(エリア指定)

全席種5,000円(税込) ドリンク代別

YAZAWA CLUB会員限定となります(申込開始時点で有効会員のみ) 一人1枚まで

「OPEN REHEARSAL GIG」ファンクラブだけの特別企画です。
コンサートのためのリハーサルを、皆さんにお見せしながらポイントのチェックをするといった内容で、世界のロックアーティスト達がよくやっています。
リハーサルなので途中で演奏を中断したり、音響や照明などをチェックする場合もあります。
時間は約1時間くらいの予定、チケットはファンクラブ限定でのお申し込みとなります。

 

恒例の・・

スポニチ「YAZAWA MAXIM 矢沢の金言」第8弾

2022年8月2日号より一部抜粋

 

イギリスにないものがアメリカにはある。

だから欲しいサウンドがあるたびにその繰り返しを続けてきた時に、

フッとここでもう一度ジャパニーズロックを意識したいと思ったのが

90年代後半だった。

 そこに舞い込んできたのが、

エルビス・プレスリー追悼20年記念コンサートへの出演。

世界を代表するスターが彼のヒット曲で競演するビッグイベントで、

会場は英ウェンブリー・スタジアム。

ロッド・スチュワート、ジョン・ボン・ジョヴィ、スティーブ・ウインウッド、

チャカ・カーンと挙げだしたらきりがない豪華メンバーの中、

アジア代表として参加した。

 

でも行ったら、彼らとの待遇の違いを目の当たりにし、

リハーサルもトラブル続き。

ロッドも「誰?お前」って感じで。

そんな中で飛び出た本番は完全アウェーの7万人。

俺も売れる前はアウェーの百貨店屋上とかいくらでも経験したけど、

7万人の「誰?お前」状態は凄いもんよ。

しかも、イヤーモニターが調子悪いときたもんだから、

矢沢本来のやってやるよ!根性に火がついた。

 「ドント・ビー・クルーエル」を歌いながら

マイクでアクションするたびに歓声が上がり、手応えをつかんだ。

「ハートブレイク・ホテル」のリレー共演では、

自分のパートを歌い終えて後ろに引っ込んだら、

ロッドが手招きするんで思い切って出たら、

ロッドとボン・ジョヴィの真ん中で歌うことに。

7万人のボルテージが最高潮に達した中、

あのステージに立てていたのは夢のようだけど、

自分でつかみ取った感触が強く残ったね。

20年近く海外で学んだからこそ、

ジャパニーズロックとしてのプライドが背中を押してくれた気がするんだ。

 その後も、あの時に同じステージで演奏したギタリストの

マイケル・ランドウには

「緊張しまくりの俺を“ヤザワは最高のロックスピリッツを持ってる”と

君がまわりに言ってくれた」といつも感謝している。

そして、この時にどんな不利な状況でも、

自分を信じてぶつかっていこうとあらためて思った。

 

(オーストラリア35億詐欺被害の事について・・中略)

 

その時は分からなくても、月日がたったら分かるのよ。

だから人生は面白いの。それで後悔だらけ。

この連載で「あの時はね」って振り返ると、

自分を責めたり自分残念だったなって思うこといっぱいよ(笑)。

でもね、だからいい年の取り方をしているのかもしれない。

幸せと後悔は背中合わせかもしれないよ。


 人生、それでいいのよ。

そんな褒められたもんじゃないこといっぱいあるから、

今も“俺、現役”ってことにつながるんじゃないかな。

そう考えると、矢沢は幸せな男かもしれないね――。

 

35億を、たった7年で完済した永ちゃん

その間も、LAでプール付き豪邸を建て

赤坂に自社ビルを建て、スタジオを建て

もの凄い人なのですが・・

こうして、ちょっと弱みを見せてくれる人間的魅力

だからファンは、たまらなく愛おしく

大好きが止まらないのですよねー

 

それにしても、ウエンブリー・スタジアム

外人さんは白黒ハッキリしてるので、誰も知らないアジア人だけど

歌が最高に上手い!って事になると拍手喝采

永ちゃんが歌い出した途端、大きな歓声が起こりました

TVで観ていた私も鳥肌が立つほど感動

最高のロック・スピリッツを持ってる永ちゃん

世界を相手にやってくれたのでしたー

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波は自分で起こすんだ!

2022年07月28日 20時25分32秒 | 矢沢語録

スポニチ「YAZAWA MAXIM 矢沢の金言」第7弾

7月26日

(一部抜粋)

大変だったのは英語。英会話学校にも通ったけど苦労したね。

最初は通訳兼コーディネーターを雇った。

でも、肝心のスタジオワークで自分が伝えたいことがちゃんと伝わらない。

音楽はニュアンスが大事なのに、その肝心なところが全然相手に届かないんだよ。

 だったら自分の表情や身ぶり手ぶりで、

たまに辞書引きながら直接自分で伝えてみたら、

何だよ!こっちの方がバッチリ届くじゃんって。

そういう確かな肌感ってコミュニケーションには凄く大事で。

そうなると会話にも自信が出てきて、大した英語力じゃないのに

コミュニケーションだけは一気に上達。

それからは通訳コーディネーターはなしで、直接やることにした。

もっと彼らと近くなった。

 

「てめぇの人生なんだから。てめぇで走れ」。

矢沢が昔から言ってる、この言葉は自己暗示でもあったんだ。

 誰も知らないアメリカで、自分で飛び込んで、自分でやる。

そうやって作った最初の全米デビューアルバム「YAZAWA」は全編英語の世界発売。

移籍2作目「イッツ・ジャスト・ロックンロール」は

シングルカットした「ロッキン・マイ・ハート」が

ビルボードの推薦曲にまでなった。

でも、どっちも売れなかった。悔しいけど全然ダメだったね!

(中略)

渡米翌年の82年。日本で発売したアルバム「P.M.9」は

ドゥービー・ブラザーズやリトル・フィートのメンバーに加え、

TOTOのスティーブ・ルカサーやジェフ・ポーカロが参加。

この時のドゥービーの連中を引き連れて日本で凱旋ツアーを敢行した。

 この時、どうせ矢沢自身が大金バラまいて呼んだんだろって噂がたったけど

笑っちゃうよ。

俺が一人で向こうに飛び込んで、世界のアイツら全員と直接やり合って

「ヤザワが日本でやる時は一緒に行くぜ」って言ってくれた時のことを

俺は忘れない。

だからギャラもそれぞれと直接交渉し、

飛行機のチケットの手配もワーキングビザの申請も全てやった。

プロモーターもレコード会社もいない。俺が全部ひとりでやったんだ。

だから当時の日本の業界はびっくりしたんだろうね。

矢沢一人がまとめったってことを…。

 

結局、アメリカに渡っても苦労の連続だった。

でも、その苦労のおかげで俺は向こうで知った全てを

全部自分の手の中につかむことができた。

今では世界的なミュージシャン、プロデューサー、エンジニアが

「YAZAWAなら」って二つ返事でやってくれる。

 あの時、日本を離れて本当によかった。

出会った人たちから学んだことがこの手の中に詰まっている。

大事なことは待ってても、誰もやってくれないよ。

何歳になっても波は自分で起こすんだ――。

 

この頃の永ちゃんの様子を伝えてくれているビデヲが有ります

「矢沢永吉ヒストリー2」

1984年~1986年、永ちゃんの生活を映し出すドキュメンタリーが

とっても興味深い

英語の発音レッスンとか、コインランドリーで自分で洗濯したり

このお宝ビデヲ、いまだに円盤化してくれないので

今はもう観られないのです

 

85年、86年のライブ映像もたっぷり入った「矢沢永吉ヒストリー2」

永ちゃん、早くBrで発売して下さーい

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アメリカでゼロからまた頑張る!

2022年07月24日 16時15分54秒 | 矢沢語録

木曜日頃から札幌らしいカラッとした空気に変わり

今日の最高気温は24℃とても快適

不慣れな蒸し暑さにグッタリしていたので今、生き返ってます

とはいえ世界では異常気象が頻発している様子

ロンドンで40℃超え中国44℃そして大洪水も

スペイン、ポルトガルでは山火事

イタリアでは干ばつで川が干上がってしまったとか

 

スポニチ「YAZAWA MAXIM 矢沢の金言」第6弾

2022年7月19日

 

矢沢がピークを迎えた1978年6月。

僕は念願のマイホームを山梨県の山中湖に建てた。その3カ月後。

週刊誌が「噂の豪邸を山中湖で発見!」と暴露し、

これが引き金となってファンが連日、自宅に殺到。

夜逃げ同然で近所のアパートに引っ越す事態となり、

落書きだらけになった我が家をやむなく取り壊した。

住んだのは、わずか数カ月だった。馬鹿(ばか)みたい!

 こういう目に遭うの僕だけじゃないし、

世界中、有名になる仕事では大なり小なりあると思うけど…。

ダイアナさんなんかは僕の1万倍くらい辛(つら)かったんじゃないかな。

だから程度の違いはあるけど、

みんなそういう経験をしてるってことは後になって分かったよ。

自分で選んだ道だけど…。

 

「てっぺんまで行きたい!」それがこれだよ。当時は凄く辛かった。

なぜ辛かったかというと、

自分が今どういう立場にあるのかがよく分かっていなかったし、

有名になるってことがどういうことなのかが、

初めての経験で全然分かっていなかった。

 (中略)



 山中湖に家を建てたのは、

富士山が見えて自然豊かな場所で子供たちを育てたいってシンプルな理由だった。

でも、あそこに家を建てること自体が

マスコミの標的に自分からなりにいったようなもの。

音楽性を広げるために自宅にスタジオも作って、

ミュージシャンとしての自負ばかり大きくなっていて

「矢沢お前、芸能人だよ」という当たり前のことを見失っていた。

 

僕いつも言うよね。俺たちの世界は水商売ですって。

普通の人がコツコツ額に汗して稼いだのとは違う、

芸能界というところで稼いだカネなのよ。

それを痛感したんだ、この時に。だからこんな目に遭うの。

 でも、ここで自問自答した。

どうする?と。音楽やめんのか。

もし続けるなら、どうすれば俺らしくまたビリビリできんのかって?

 80年3月。

「日本でやれることは全てやった。アメリカで勝負する」と

外資系のレコード会社に移籍。

同年10月には矢沢ファミリーと呼ばれたスタッフも全員解散。

俺が出した答えは、すべてを白紙にし、

誰も矢沢を知らないアメリカでゼロからまた頑張る。

翌81年初頭、単身渡米した。

 

「方向を見失った時、人間は一番苦しい。俺には音楽があった」

(80年公開、映画「RUN&RUN」)

 このシンプルな答えにたどり着けたことで、新しい扉を開けたい!

もっと俺自身がハッピーにならなきゃと。

山中湖のあの頃はいま思えば、人生の凄く大きなターニングポイントだった。

こうして振り返ると、僕の人生、濃いねえ(笑い)。


頂点を極めた人が陥る心の闇。。

アル中や薬物依存など大スターと言われる人は少なからずそうなっています

永ちゃんが、そんなふうにならず幸せに過ごしているって・・

本当に「音楽の力」だったのでしょうねー

永ちゃんって、決断が的確というか・・

大きなリスクを背負っても正しい道を選んで進むのですよねー

今迄、永ちゃんが書いた書物とかインタビュー記事を読んでいても

この当時が私生活でも精神的にも一番苦しい時期だったように感じます

なので・・

マリアさんの力も大きかったのかなぁーと思います

 

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10mぐらいの円形で・・

2022年07月18日 15時29分41秒 | 矢沢語録

16日土曜日、TBS「音楽の日」に永ちゃん登場

TBSに出るのは25年ぶりとか

赤坂駅の通路、巨大スクリーン広告はYAZAWAなライブ映像

TBSの正面玄関には

「E・YAZAWAロゴ入りポスター」がこれでもか!!って程、貼ってあり

TBSの気合が伝わってきますねー

スタートは・・

①ラストシーン

いかにも仕立ての良さそうなシャンパン・ゴールドのシックなスーツに

カットの美しい白シャツ

生放送とはいえ、すでに夏フェスで出来上がっている永ちゃんは余裕って感じ

キーボードは、なんと秋田慎治さん

また永ちゃんのバック・バンドとして観られるなんて嬉しいー

ツーブロックのヘアーにピタピタ・パンツで、かなりロック仕様

でも秋田さんの素敵さは変わっていませんでしたー

 

②チャイナタウン

アコースティックギターを弾きながら

 

③黒く塗りつぶせ

相変わらず迫力の歌声

 

司会の安住くんがご挨拶すると、丁寧にお辞儀をする永ちゃん

「TBS、25年ぶり??それは良くないですよね(笑)毎年呼んで下さい(笑)」

なんともフレンドリーな永ちゃんに司会の安住くんも大喜び

 

 

6月24日発売

「Rolling Stone Japan 8月号」

(一部抜粋)

ー東京ドームの大観衆を前にして、あの少ない音数で歌うのは、

素人目で見るとものすごく緊張しそうですけども、

矢沢さんはもうああいうシチュエーションでも緊張しないですか?

矢沢 

そんなことないです。緊張しますよ。僕はものすごく緊張する。

どっちかというと一生懸命やる人だから。

「それがよくないんだよおまえ!」って自分に言うんですよ。

「そう緊張するなよおまえ、そんなに堅苦しくならないでさ。

いいじゃん、とちっても」とか。

「100%キメてやろうなんていうのはやめな、そろそろ」って。

5万人も6万人も入ってるって考えたりしないで、

「10mぐらいの円形でみなさんが聴いてくれているところで、

俺は一緒に歌って楽しんでるんだよ」って思うようにしてます。

腹七分目っていう考え方がいるよねって、最近すごく思います。

 

以前、東京ドーム前にライブハウスで公開リハーサル的な事をやりました

その時私は両方観る事が出来たのですが・・

永ちゃんはライブハウスでもドームでも同じ気持ちで演ってる!!って感じ

とても感動した事を思い出します

なるほど・・

「10メートルぐらいの円形」なのですねーー

 

 

夏フェスも無事終わり・・

怒涛のプロモーションは地上波のTV出演に移行

19日、日テレ「ザ!世界仰天ニュース」に登場でーす

オーストラリア35億詐欺事件の話題とか

永ちゃんの人生の中でも相当ショッキングな事件だったと思います

あの事件を乗り越える事で永ちゃんのロック魂が再燃したと

私は思っていて・・

「常に危機をバネに立ち上がる」永ちゃんの真骨頂ともいえます

どんなふうに紹介されるのでしょう??楽しみです

 

 

コメント (2)
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