ひろみの「PM9」

YAZAWAなライブとYAZAWAな言葉
永ちゃん最高~!!
マジな永ちゃんに、どこまでも付いて行きます♪

ライブの熱気はコンピューターからは伝わらない!!

2013年09月23日 21時32分08秒 | 矢沢語録

今日は「秋分の日」

札幌は最低気温が10℃くらい、最高気温は20℃くらい

スカーッと晴れた秋空に、ヒャ~ッと冷たい風・・

なんとも秋らしくなって来ました

 

 

さあ~!永ちゃんのツアー開始まで2ヶ月を切りました

この時期になると・・

ワクワク気分と、楽しみが終わってしまう寂しさが、ない交ぜになって・・

何だか複雑な気持ちなのです

 

私の選んだ矢沢語録

 

          2012年「R&Rぴあ」

                    矢沢永吉40年間の軌跡と奇跡より・・・

 

『CDが売れない時代になって、

音楽業界は厳しい状況だけど、そんななかで大事なのは

やっぱりライブだと思う。

音源はダウンロードできても、

ライブの熱気はコンピューターからは伝わらないからね。

これからは、

いいライブをやれるアーティストしか生き残れないと思うし、

実際、自分達の色を持っていて、

ステージで、いいパフォーマンスをしているバンドはちゃんと

頭角現してきてるよ。』

 

この話し・・

あちらこちらで永ちゃんが言いまくっていますが・・

本当に、その通りですよね~

生ライブは永ちゃん以外、ほとんど観る事がないので

比べることは難しいかもしれませんが

永ちゃんは「歌が上手い!」と、ハッキリと言えます

特にバラードは齢と共に艶が出て

本当に心に響きます

毎回、ジーンとしちゃって思わず涙が・・・

もちろん、齢と共にマイクターンなどの動きに

キレは、なくなってきているとは思いますが

 

その分、若い時には無かった

心の底からシミジミと歌う、YAZAWAバラードの素晴らしさ

必見です

 

今、女性ファンが急激に増えているのは

この泣けるバラードのせいでしょうか

 

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抱きしめる 優しい 月のように・・

2013年09月19日 15時29分53秒 | 矢沢永吉

本州を直撃し、大きな爪跡を残していった台風が去り

急に秋の気配が濃くなって・・朝晩は、かなり寒く感じます

そんななか・・

今朝は大雪山旭岳で初冠雪を観測したとのニュースが

 

そして・・今夜は「中秋の名月

昨夜、仕事帰りに見たお月様は、まん丸で・・とても大きく輝いていました

子供の頃は、月光の下

ススキを飾って、お団子を食べ

季節の移り変わりを楽しみながら、お月見をしたものですが・・

都会のマンションでは残念ながら、お月様は見えません

 

これはもう、毎年のことですが・・

満月の美しいこの時期、どうしても

YAZAWAな「お月様ソング」が聴きたくなってしまいます

「お月様ソング」といえば・・

「September Moon」や

「金曜日のフリーズムーン」「DAIAMOND MOON」「So Long」など

色々とありますが

私は・・

永ちゃんが、ささやくように・・しっとりと歌い上げる

「Moon Lighe Song」が大好きで~す

 

 Moon Lighe Song 抱きしめる 

  優しい 月のように 今

  素顔のおまえに 戻れるまで 眠らせたい 

 

わぁ~うっとり。。。

 

97年「YES」の最後に収録されている、スロー・バラード

このアルバムは全曲、高橋研さんの作詞ですが

詞と曲の相性が本当に素晴らしく

珠玉の名曲になっています

 

今日の写真は・・

少しだけ秋を感じさせるお花を・・

 

 

 

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医者に止められたこともあった・・!?

2013年09月14日 19時22分04秒 | 矢沢語録

今日は永ちゃんの、お誕生日

おめでとうございま~す

 

それにしても・・

なんて素敵な64歳なんでしょう

30代や40代のような強力な色気や

ギラギラしたパワーは、少なくなっていますが・・

人間としての深みや魅力は益々輝いて

本当に素晴らしい~~~

大好きで~~~す

 

私の選んだ矢沢語録

    

    2012年8月発行 「R&Rぴあ」

                 矢沢永吉、40年間の軌跡と奇跡より・・

 

『この40年で、ライブはもう1800~1900回くらいやっている。

それも、自慢じゃないけれど、一度発表したものは、

キャンセルしたことがないんです。

なぜ、どんなときでも、ステージに立つことができたか・・・

半分は僕の根性もあるし、

もう半分には、どうにかこうにかくぐり抜けてこられた、という

ラッキーさもあると思う。

 

もちろん、これだけ長くやっていると

「今日だけは、本当に無理かもしれない」という日もあった。

僕は風邪をひくのが怖くて、

とにかく体調管理には気を使っているけど、

それでも、やっちゃうときはあるんだよね。

 

ライブ当日の朝、39度の熱が出て、なんとかしようと点滴を打つ。

何か腹に入れないといけないと思って、

おかゆなんかをモソモソと食べているときに、

「本番2時間前です」と言われてね。

「本当にステージに立てるのかな」なんてことが、

若い時に2~3回はあったと思う。

 

僕は熱に弱くて、すぐフラフラになっちゃうんです。

症状があんまりひどくて、医者に止められたこともあった。

解熱剤は飲んだけど、咳が止まらない。

それでレントゲンを撮ったら

「肺に影が写っている。これは休まないと本当にマズイですよ」と。

そこからは押し問答だよね。』

 

ひぇ~~

肺炎になりかけてもステージに立ってしまうなんて

これはもう・・永ちゃんの根性のたまものでしょう

どんな時も諦めない心の強さが「永ちゃん」なのですね

 

 

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YAZAWAの「ヘイ・ジュード」

2013年09月11日 11時46分23秒 | 矢沢永吉

サントリー「ザ・プレミアム・モルツ」の新CM・・どうですか~

「ヘイ・ジュード」を弾き語りで、たっぷり歌ってくれています

最初・・

シンプルでスタイリッシュなイスが一つ

「わぁ~有名なデザインのイスだけど・・何のコマーシャル??」

なんて思っていると・・

永ちゃんがギターを抱え登場

 

永ちゃんは、とってもリラックスした表情で・・

嬉しそうに・・気持ち良さそうに

ビートルズの名曲「ヘイ・ジュード」を歌い始めます

その歌の上手さといったら

最高~~

これはもう・・CMだなんて勿体ない位です!

タダで、こんなにも素敵な歌が聴けるなんて・・

もの凄~く、得した気分

 

この素晴らしい歌声は、サントリーのホームページで

何時でも観る事が出来ますよ

http://www.suntory.co.jp/beer/premium/umaigasugoi/special_mov/

 

 所で・・

永ちゃんの歌う「ヘイ・ジュード」で思い出すのは

1997年のウエンブリー・スタジアム

「SONGS&VOSIONS」のラスト・ナンバーです

 

思えば、あのステージから、永ちゃんのロック魂に再び火が付いて

衰える事のない現在の活動に繋がっていると、私は思います

 

ボンジョビはじめ、ロッド・スチアートなど世界的なアーティストと共演し

悔しい思いも沢山して・・

でも、転んでもタダでは絶対に起きない永ちゃんのこと!

その悔しさをバネに

「ドン・ビー・クルエル」で登場してからは

完全に永ちゃんのステージに、なっちゃってました

そして最後・・

会場もステージも一体となって全員で和気あいあい

肩を組んで歌うラスト・ナンバー「ヘイ・ジュード」

 

永ちゃんの幸せそうで満足そうな笑顔・・

今、思い出しても、何度観ても・・感動してしまうほど

本当に素晴らしいシーンでした

 

 

 

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Sちゃんと出合って・・・

2013年09月08日 16時28分20秒 | 日記

今朝早く、2020年夏季オリンピックが東京に決定しました

1964年の東京オリンピックの時は

大人も子供も大興奮でTVに、かじりついてみていたのを

鮮明に思い出します

 

今回は、あまり期待していなかったのですが・・

もう一度、地元開催のオリンピックが見られるなんて

やっぱり、凄く幸せな事ですよね

 

当時私は11歳、今思えば、なんの悩みも無い単純で幸せな子供でした

そんな子供の頃を思い出すと

いつも、大好きなSちゃんが一緒だったのです

その50年来の親友、Sちゃんが

8月31日に癌で亡くなってしまいました。

 

道南の海の見える小さな街。

ご主人と一緒に民宿を営んでいたSちゃん・・

最後は在宅で、ご主人が看病していました。

お母さんと、ご主人に見守られながら

あまり苦しむ事もなく、穏やかに眠るように旅立ったそうです。

 

私とSちゃんとの出会いは、小学校2年生の時

以来、常に一緒の大の仲良し

別々の高校に入るまでの8年間・・

担任の先生も呆れるほど、いつも一緒

その後も、何かといえば一緒に遊んだり

悩みを打ち明けたり・・・

Sちゃんが結婚してからは、年に一度会えるかどうか・・

何年も会えなかった時もありましたが

会えば、すぐに昔に戻ってしまう、かけがえの無い友達だったのです。

 

そんな彼女が2年半前に癌を発症・・

札幌の病院で、辛い治療が始まり

Sちゃんは、生き抜くため我慢強く耐えていました。

私の出来る事といえば、昔のように、とりとめのない話しをするくらい・・

でも、時には病室で昔話に大笑いした事もあったり

いつも笑顔を忘れず、優しくて・・前向きな人でした。

 

色白で、目が大きくて、そばかす美人だったSちゃん

子供の頃は、お祭りの時がハレの日・・

私達は、晴れ着を着て、髪には花飾り(当時の流行です)で、お出掛け

 

学校の帰路も、もちろん一緒!

神社の裏の森を抜けると近道なので

私達は昼間でも薄暗くて怖い、鎮守の森を「きゃ~!きゃ~!」叫びながら

一気に走り抜け・・

森を抜けるとホッとして、二人で大笑い

 

自宅までは

子供の足で30分くらい、かかっていたでしょうか・・

Sちゃんの家の近くまでくると、小さな橋に辿り着きます

右に曲がるとSちゃん家、左に曲がると私の家。

おしゃべりに夢中な二人は、まだまだ別れがたく・・

その橋の上で、グズグズとしてから帰るのが日課になっていました

 

そんな、楽しいだけの思い出しか無かった小学生時代も過ぎ・・

中学生になりクラスが変わり・・お互いに多感な思春期!

一度だけ、危機的大ゲンカをした事が有りました

原因は私の嫉妬だったと思います

クラスが変わってSちゃんは、すぐ新しい友達が出来て楽しそう

私といえば、Sちゃんが恋しくて新しい友達も、なかなか出来ない・・

そんな不満というか寂しさをSちゃんにぶつけてしまったのです。

「もう絶交!」と言われた私は、ハッと我にかえり

Sちゃんとの友情を失いたくない思いで、謝罪の手紙を長々と書き・・

それから、Sちゃんは私を許してくれ、又親友に戻れたのでした 

 

初めてSちゃんと出会ってから、50年以上の月日が経ちました・・

札幌の病院で入院治療しましたので

私達は、また沢山たくさん話をする事が出来きました。

 

とても綺麗な顔で、安らかに眠っているSちゃんに

「長い間、友達でいてくれて本当にありがとう・・

Sちゃんと出合って私は幸せだったよ。

長い間、本当に頑張ったね!」

そう声を掛け、見送ったのでした・・・。

 

 

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