い抜き言葉と言う。食べてる、のんでる、わかってる、のように使う言葉をさしている。ら抜き言葉、れ足す言葉、さ入れ言葉などとならんで、どういうことか。日本語の乱れを説明するときに出てくる。誰が言い始めたんだろうかと、文化庁の調査、国語研究所による国語の揺れ、NHKの放送研究所の説明に出てくる。その命名は、ら抜きの言葉として食べる、食べられる、食べれる、寝る、寝るれる、寝れる、という変化をする現象に、対照して、ら抜きと言ったことが一般化した。それにはまた、可能の言い方をさらに、読める、読めれる、行ける、行けれる、のような誤用に現われたことばを示して説明する。さ入れの言葉には、聞かさせていただきます、直ささせていただきます、待たさせていただきます、といった例である。い抜きとは、動詞の補助用言として、~ている、について、~てる、という語の熟合をさす。 . . . 本文を読む
俳句と川柳は、どう違うか。俳句に季語があり、切れ字があり、余韻がある。川柳には季語がなくてもよい。俳句が短詩形芸術であるなら、川柳は短文芸とでも言おうか。川柳では、人事を対象に切り取ることが中心であるとし、俳句では、詠嘆が作句のもとになるという。詠む俳句に対して、川柳は吐く、ものす、などと言うようである。古典文学では、卑俗でこっけいな表現を打ち出し、俳諧が連歌から独立する契機となった、新撰犬筑波集の略称で、菟玖波集がある。前句付けとしての文芸は、狂句と川柳のとらえ方を経て、明治期に川柳として盛んになる。短詩形文学あるいは短文芸として、その要素に、うがち、かろみ、を挙げるようになり、そこに、おかしみ、を加える。川柳に冠して、時流川柳、サラリーマン川柳、高校生川柳など、さまざま、作品を競っている。 . . . 本文を読む
このブログにはアクセス解析がついている。訪問者数がブログ開設当初の数字になった。それで、訪問して下る方々に報告をして、厚くお礼を申したい。いつものお訪ねを有難うございます。3月になってから、二つの記事をこちらでは停止をして日常のニュース記録などを移設している。いまそちらのアクセス記録を見ると、日により、数字は上下を繰り返しているが、ニューストピックに応じて閲覧がある。これと相対するようにこのブログの数字が変化したのは、ごく普通に推移してきたためであると思っている。コンスタントにどれくらいのことかと思うなか、日に一つの更新と、いくつかの記事のトピックを立てることの違いである。アクセス記録とブログ名を紹介しておこう。 . . . 本文を読む