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平和学 平和論

2017-08-17 | まさごと
平和学会というから、学問として平和学 peace science, peace studies がある。1960年代後半から研究が盛んになり、日本では1973年に日本平和学会が発足している。第2次世界大戦後の東西冷戦下、欧米を中心に、平和研究として、平和の確立を目指し、戦争の諸原因と平和の諸条件を究明することを課題とする新しい研究分野という説明がある。広島大、明治学院大、国際基督教大などが平和研究所を持ち、全国の大学短大で、2007年現在、100余の平和研究・平和学の講義がある。欧州ではガルトゥング J.Galtung の指導の下にオスロ国際平和研究所(PRIO)が1959年に創立、Journal of Peace Researchを発刊。1966年にストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が設立、軍備、軍縮や武器輸出のデータなどを含む年鑑の発刊や東西間の研究交流が始まった。平和学に対して平和論となると、検索してヒットする、平和論に対する疑問 福田恒存の論がある。福田恆存が著した評論集。『中央公論』(1954年12月号)に掲載された「平和論の進め方についての疑問」と『中央公論』1955年1月号に掲載された「ふたたび平和論者に送る」を骨子としている。 . . . 本文を読む

国のかたち、平和という方便

2017-08-17 | 日本・日本人
この国で70年を平和に生きたとすれば戦争のない国だったからと考えてきた。するとそれは戦争ができない国だったからであると思うことができるし、戦争をしないと決めてきたからであったということである。そこに反戦、非戦、不戦の考えがあったとすると、平和は何であったのか。平和と対極にある事態が起こるのは、その一方の極に、戦争をおいていないのであるから、武器を使うことを自らしないのであるから、それは平和の対にはならないことである。戦争がないという偏った状況はそういう事態が起こらなかったという偶然であったともいえる。そうすると平和を憲法の遵守するところに実現をしていたと考えて来たのは、戦争について何も考えてきたことではないので、平和を唱えることは方便であったからだと気付く。平和の世に、日本が武器を持たなかったということはない。武器を用いることが偶然起こらなかった、というわけでもないことを、思い知ることになったのは、日本の基地を使っていくらでも戦争に発進していた米軍があった、戦争のための基地を置いていたからである。属国ということも同盟ということも安全保障体制ということも、すべて平和憲法のための、平和維持しているという錯覚を持たせる、その偏った状況を認めてきたからである。日本の自由は制限にあって、平和は担保を提供していたのであるから、それに国民が等しく気づき始めると、起こす行動は自己愛になるから、民族の故をもって主義主張があらわになる。 . . . 本文を読む

2017年の変

2017-08-17 | 日本・日本人
憲法改正を唱える政権はメディアによる洗礼を受けた。baptism の訳語を、和英語林集成、再版に、洗礼として見えるが、もとは中国で宣教師たちによって造られたと説明がある、日本国語大辞典、語誌の項による。その状況は、この語の意味内容に、初めての経験をして、大きな影響を受けることであった。辞書義の用例には、>故旧忘れ得べき〔1935〜36〕〈高見順〉八「今の年代のもので、多少とも頭のいい者は、その頭のよさが彼に左翼的洗礼を受けさせずにおかない者はなかった」 というから、宗教的な洗礼のほかに、思想的なもの、さらには人生経験のようなことがある。現政権はそのスケジュールを打ち出して、国会の議席による、その勢力によれば改正も必至の大問題となったわけである。国民投票にかかることになれば、国論は割れて、これまでの1945以降の戦後日本が変わってしまう。事件になるかもしれない、という情勢の前に、メディアがこぞって言論の不自由をおこない、自由に輿論に訴えて主張したのは、平和憲法であった。2017年5月の連休に端を発し、東京都議会議員選挙 2017年7月2日投票をもって洗礼は終焉をしたかのようである。首相が憲法改正にスケジュールを、それありき、と表明しなくなったので、印象操作、隠蔽工作としての、政権主導の強引さに警鐘を鳴らし続けて、ついに新たな動きを見せる日本となった。そこにはフェイクニュースという現象を生み出した。 . . . 本文を読む