意味がないという千字文に意味を見るのは文字の組み合わせで読むからである。漢字が詞となって連なると、同じ文字を使わない連続は妙なことである。それなりに読めるように意味となり。一字には意義がある、字の形音義に見る字義であるから、それが意味となる様子が見えて、それで、千字文は意味がないというのは、漢字の哲学となってくる。いろは歌に意味がないと言いながら、なにやら教訓めいて、受けとったりするのも妙である。千字文は現代語の漢字でいえばおよそのことで2千字となったから、それをまた学習漢字1000字とする教育漢字は程よいことなのだろう。漢字を文字と受け入れた日本語はその漢字の組み合わせになるとさらに意味を知り、詩句を与えて用いてきた。 . . . 本文を読む
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