桜を見る会は総理大臣が主催する公的行事、であると、1952年、昭和27年から、例年4月中旬に新宿御苑で開催されているそうである。そこに非難批難、批判が集まっている。「招待客の基準が全く不透明」「こういう支出のふやし方というのは、官房長官、国民の理解は決して得られないんじゃないですか」という論戦である。トナリは何をする人ぞ、と言いながら、花見の話題に興ずる議員さんたちは、政治の関心をどうお考えか。 . . . 本文を読む
主語と述語を文の中で見つける練習問題を捉えて中学生の議論をしているのだが、これもまた、主語とはなにかを説明の上で明らかにしないで、ああだこうだという、まるで学習をして来なかった、その説明をまともにしてもらってこなかった経験があって、自らの学習経験での不足を言い立てては中学生がそうであるかのような話は、おかしなことである。そういう話をしているのだから、主語とは何かとか、文の中での役割を議論の外に置こうとする、まったくもって、自分がわからなくしているだけのような説明の仕方である。もちろん日本語だけでなくほかの言語でも主語が大事であるということをふつうに認めているようなので、中学校の教科書に書いてあるとかないとか言いながら、それ以上の、自身の考えを表明していない、ということは、学校での学習した説明をわかっていない、受けていない、というような文章になっている、としか思えないのは、中学生の国文法の学習を全く打ち消してしまった態度だからなのである。 . . . 本文を読む