伝統文法は実証に用例を明らかにしてきた。ときに実証主義と言われる。文法は現代語の記述に法則を明らかにしようとする。記述文法は言語現象をそのままにとらえる。いずれも実証、証明による資料がある。伝統文法は言語作品から、現代語文法はコーパスから、その資料にはおのずと異なるところがある。資料処理にコンピュータの計算が行われるようになってきたことである。したがって、その資料によっては、電子計算による設計があらわれる。これまで伝統文法が困難とした、それは、人力の手作業における限界にあったのであるが、それでも源氏物語のような作品を対象に分析をしてきた、それが、その量をはるかに凌駕する電子記録の活用が始まったのであるから、文法の解析に及ぼすところ現れる。 . . . 本文を読む
千字文と17条憲法を対照して、条文の読みときをしているブログがある。非常に興味深い。議論である。すでに、教育漢字と千字文を、その文字の異同を整理しているのは、ウイキペディアのページに同様のことをしていて、すでに引用したが、それをさらにをもって、わたしがかつて抱く疑問が説明されているのである。すなわち、十七条の憲法を読んだ時に、忤字を読むことができるかどうか、この文字が持つ意味はなにであるか。千字文を対照しての気づきは、果たして実証はいかがか。 . . . 本文を読む