日本語の哲学、日本語による哲学、日本語哲学と、どれも響きがよいのか、どうなのか。日本語で哲学する、この謂い方もすわりがわるい。日本語問答をしてみる、日本語の論理を作る、日本語を分析するなど、日常にないことである。せいぜい、哲学とはどういう語か、その成り立ちに、翻訳がかかわると、もうそれは日本語世界にならない。と、ふと、この世界とは何かと考えだすと、哲学になりそうである。 . . . 本文を読む
体調管理、体調不良、体調を崩す、どれも元気でなくなったということだから、減氣なのである。旧字体の気を使うと、雲気が空に流れ、その一方が垂れている形に、客におくる食糧、食事のおくりもの、というふうに、字通の解説に見える。食編がつく異体字があるので、その本義となる。
氣 イキ・ケハヒ 妙義鈔の訓には、現在通用する、 気 のこと、いまの用い方になるが、もとは、空気の流れであるから、それに元気があるこ . . . 本文を読む