日本哲学33
なぜ、どうして、作麼生説破は禅問答、さあどうか、答えるぞ、というごとく、ソモサンsomosan 中国、近世の口語 精選日本国語大辞典の用例、※正法眼蔵(1231‐53)仏性「この宗旨は作麽生なるべきぞ」 という問いかけは、見よう、考えようによっては、常に、哲学の問いである。しかし、禅問答では説破する、その機縁を作ることにあるので、禅問答に見る公案が問いとしてある。
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>無観客試合の原因で一番多いケースが、観客のトラブルなどを原因とする規制措置や制裁であり、多くのスポーツにおいて、試合主催者となるチームや観客に対しての罰則として規定されている。ウイキペディアより
それが、罰則規定によるものではない、プロ野球オープン戦の無観客試合のスケジュールが発表になるというと・・・
新型コロナウイルスの蔓延を受けてのこと、野球、サッカー、ラグビー、大相撲などのスポーツ競技に . . . 本文を読む
遅かれ早かれ、早晩という、このような事態が来ることを、北海道、千葉、そして関西でも次はここかと、突然いやってくるものである。遅すぎたとか、早すぎたとか、その出来事に、いかに身近にしているかどうかのことになる。日本地図をメディは県ごとに色潰しして塗っては感染が出たことを報じる。世界地図でもそうである。多い少ないにかかわらず、一人でもいれば、それで北米は一緒くたになる。治療薬の開発が待たれて、3か月 . . . 本文を読む
人の振り見て我が振り直せ は、人の失敗を笑ったり批判したりするのではなく自分の振る舞いを反省しよう という意味をもつことわざを知る。辞典は類語に、他山の石 人こそ人の鏡 上手は下手の手本、下手は上手の手本 などが上がっているが、よくないものを見本とする勿れ、というようなことなのか、反面教師というのも上げる。出典には、論語、里仁第四 子曰、見賢思齊焉、見不賢而内自省也。
『論語』 人のふり見 . . . 本文を読む