今日は土曜教室。午前中は子ども教室、大石二段に指導対局を任せて、手合いを付ける。対局姿勢や態度を見て、全体に少し緩みがちだったので、厳し目にマークする。教室は雰囲気が大切だと思う。子どもは2時間集中力を繋ぎとめるのは大変だが、将棋に向き合うようになるとそれも可能だ。でもちょっとしたきっかけで収拾着かなくなるときもある。
とにかく目を凝らして、教室の子どもの表情を見ることがクセになっている。
私は基本的に、茶化すのがきらいで、根暗でもかまわないと思っている。子どもの頃は友達もいなくて、通知表には必ず「みんなと仲良く協調性を持たないと、楽しい学校生活が送れません」と書かれていた。私はひねた子どもだったので「何で協調しないといけないのだろう、何で楽しく過ごさないといけないのだろう」と先生を疑っていた。
高校生のとき隣に座った女の子に、みんなの前で「森君は何にもしゃべってくれないので、席を替わってほしいです」と言われたときもエッと思ったが、さすがにショックを受けた。
社会人になっても寮の先輩に「お前は人生楽しくないだろう。笑いが無いな」と言われて心の中でむっとしたが、やはり傷ついた面もある。
でもどのときも、そう言われても反論の余地はないとも思った。ただ悲しい気分になった。そしてへそ曲がりの私は「人に好かれようとか、明るくなんか絶対にならないぞ」と決心したのである。随分幼稚な決心だが、今も心のどこかの片隅に残っているようにも思う。
私は筋道を立てて、なぞっていくのが好きだ。人が人を批判するとき、どういう思考回路でその言葉が出るのか、推理するのだ。子どもの頃から妙に冷めて、ひねた子どもだった部分も、あまり変わっていないようだ。
とにかく目を凝らして、教室の子どもの表情を見ることがクセになっている。
私は基本的に、茶化すのがきらいで、根暗でもかまわないと思っている。子どもの頃は友達もいなくて、通知表には必ず「みんなと仲良く協調性を持たないと、楽しい学校生活が送れません」と書かれていた。私はひねた子どもだったので「何で協調しないといけないのだろう、何で楽しく過ごさないといけないのだろう」と先生を疑っていた。
高校生のとき隣に座った女の子に、みんなの前で「森君は何にもしゃべってくれないので、席を替わってほしいです」と言われたときもエッと思ったが、さすがにショックを受けた。
社会人になっても寮の先輩に「お前は人生楽しくないだろう。笑いが無いな」と言われて心の中でむっとしたが、やはり傷ついた面もある。
でもどのときも、そう言われても反論の余地はないとも思った。ただ悲しい気分になった。そしてへそ曲がりの私は「人に好かれようとか、明るくなんか絶対にならないぞ」と決心したのである。随分幼稚な決心だが、今も心のどこかの片隅に残っているようにも思う。
私は筋道を立てて、なぞっていくのが好きだ。人が人を批判するとき、どういう思考回路でその言葉が出るのか、推理するのだ。子どもの頃から妙に冷めて、ひねた子どもだった部分も、あまり変わっていないようだ。