森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

最後の一葉

2005-12-11 23:45:02 | 日々の写真
私は晩学もいいところで、19歳4級で奨励会に入った。会社を辞めて、師匠の教室のお客さんの洋服店で雇ってもらって、大阪で暮らすことになった。なにしろ田舎者だし、洋服の仕事は向いているはずも無い。店番したり洋服を届けに行くのだが、愛想もないし、よく雇ってくれたなあと思う。でもそこの生活も続かなかった。半分ノイローゼ気味になり、悩んだ末にある日意を決して田舎に帰った。迷惑をかけっぱなしだったが、二股の生活では将棋の結果も出ないことを痛感したからだ。
 しばらく退会するかどうか迷いながらも、田舎から奨励会に通った。未練と口惜しさの板ばさみだったが、しばらくして岡山の姉のところに居候をして、旦那さんの仕事を手伝うことになった。スレートの仕事で、屋根の上に上がったりする仕事だった。でもある日、将棋を辞めるかどうか悩んでいたせいか、屋根から足をすべり落ちそうになった。次の日、意を決して仕事を辞めて、大阪に出ることを告げた。常に身勝手さがつきまとって、世話になりながらも申し訳ない仕打ちをしてきたかもしれない。
 ちょうど偶然に、将棋連盟の住み込みの塾生が開いていて、藁をもすがる心境で師匠を通じて頼み込んだ。将棋を辞めるにしても、もう一度悔いなく打ち込みたかった。塾生の仕事は将棋の勉強というより、ほとんど雑事に追われたが、私には天職だった。
 この当時の19歳から21歳までは、ほとんど落ち葉になった中で、最後の一葉だけかろうじて残っていたような運があったのだと思う。どれだけ人に迷惑をかけたかもしれない。将棋のプロになりたいではなくて、自分の心の葛藤で、口惜しさがすべてだったような気もする。
 将棋が強くなりたいと思ったのではない。自分の生きる場所を手探りで求めていたのだろう。その気持ちは今も変わらない。自分に与えられたもの、自分が選んだものに必死で取り組むしかないのだと思っている。
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写真について

2005-12-11 02:26:12 | 日々の写真
写真を始めた頃は、モノクロでばかり撮っていた。風呂場を暗室にプリントをするのだが、徹夜することもざらで、朝までかかって数枚しかできなかったこともある。機具が揃ってなかったので、ピントを合わすのに何時間もかかったり、秒を測るのに心の時計を使ったので、出来がぶっつけ本番だったりした。(写真の知識がないので説明不足ですが)
 一年くらい経ち、カラーフィルムを使うようになったら、色があるのは何て楽だろうと思った。それから少し横着になったようである。
 写真家の西川孟先生に「森さん、将棋なんて辞めて写真をやりなさい」といわれたこともあったが「但し、飯を食うようになるには10年かかるけどね」と言われて諦めた。でも撮影に連れて行ってもらって、弟子でも覗けないカットをみせてもらったりしたのはうれしかった。
 たまに助手の弟子に物が飛んでくるような厳しい先生だが、私はとっても可愛がってもらった。いろいろ助言していただいたのだが、ズボラは治らなかった。
 西川先生には見せられない写真もいっぱいあるのだが、そこは素人の図太さである。でも西川先生には未だにこのHPも内緒なのだ。
 
 顔がくしゃくしゃで、目も鼻もどこなのかわからないような、魅力あふれるネコである。この八方破れが私好みだ。
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