森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

日の出

2005-12-31 20:53:11 | 日々の写真
 昨年正月、伊勢志摩の”的矢湾”の日の出です。
 明けましておめでとうございます。平成18年、2006年になりました。
 ゆく年くる年を見ながら、今年はどんな年になるのか、思いを馳せます。
 「仕事というものはイコールを土台にしてやってはいけない。自分でこういう結果にするとか、こういう具合にするとか、自分の持っている尺度を持ってしてはいけないと思ってかかりました。図抜けて馬鹿な、図抜けて答えることのできない世界をやってみようと思ってかかりました」棟方志功
 ずっと以前に自分で色紙に書いた言葉です。今年はゆったり目に、しっかりと仕事をして、悔いのない日々を過ごしたいと思います。

 今年もよろしくお願いします。
                    元旦
 
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鎌倉の猫

2005-12-31 00:36:07 | 日々の写真
 私は鎌倉が好きで、東京に対局で遠征の帰りによく行った。この写真は確か北鎌倉の明月院だったと思う。アジサイで有名なお寺で、いつも静かなたたずまいだ。
 和室の奥で、ひなたぼっこしているネコがいた。光と影の明暗が面白くて、そこにネコがいたらと思った通りの風景だった。
 歴史のある街を歩くと、どこかに静けさが残されている。昔と変わらぬ余韻があって、今の時代とはかけ離れた時間がよみがえる。
 京都や奈良とも異なるのが、鎌倉は武士のにおいがすることだろうか。そして女性的な繊細さも漂って、不思議なバランスがあるように思える。歴史に残された悲劇は、ときとして語り継がれる物語にもなる。単なる権力者は未来において、客観的な評価がなされるに違いない。いつの時代でも、今を生きる瞬間に冷静な判断を下す視野を持つことは難しい。結果が出て、また大勢が決まってから、有利な方に付く日和見は、昔から多かっただろうなあと思う。
 それが一概にいい悪いということではないが、人間の生き様は悲しい性を持ち合わせているということなのだろう。潔さは古来のもので、今はさしずめバランスの取れた生き方がベストということかもしれない。
 自分はいつも中途半端だなあと思う。恐らく生きていくためなら、踏み絵も踏むし、屈辱もわりと平気で耐えられる。自分に確固たる信念がないからだ。
 鎌倉に行くと、建長寺、円覚寺、明月院が好きなコースだった。
 ”いにしえの 陽だまりのなか すくむ猫” 
コメント (2)
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