ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の龍(11)

2024-12-30 20:48:56 | 水戸


 今年は辰年でしたので、最期は「水戸の龍」にします。

 

龍虎蝦蟇(りゅうこがま)仙人図(水戸市立博物館 大町3-3-20)
 去年、桜井雪館の龍図が展示されていました。この龍はいいと思いませんか。三幅対の掛軸のひとつです。江戸時代に生きた、大洗出身の画家で、江戸へ出て雪舟派の再興を目指した人だそうです。

 

雲(市民会館4F屋上から 泉町1-7-1)
 何とか龍に見えそうな雲がありました。紫色っぽい色合いも、アートタワーとの取り合わせもよさそうです。来年の干支・蛇にも見えそうですが、龍にしておきます。たまに雲を見上げるのはいいものです。

 

ホーリーホック旗(茨城県庁 笠原町978-6)
 ホーリーホックの応援旗には大きな龍がいるようですし、中にある三葉葵の周囲も龍のようです。龍旗隊という応援部隊があるそうです。茨城県庁2Fの県政広報センター1に展示されていました。

 

オブジェ(茨城大学 文京2-1-1)
 11月に開催された、茨城大学の学園祭である茨苑祭(しえんさい)に、針金でつくられた龍が飾られていました。美術部系の学生の作品なのでしょうか。

 

向拝(こうはい)にある柱の土台(中根寺 加倉井町595)
 千日堂の向拝にある柱を支える台に龍が彫られていました。千日堂壁面には、たくさんの小さな木彫仏が並んでいます。

水戸の龍(10)

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水戸の正月を前にした年末(3)

2024-12-29 21:40:06 | 水戸


 今日夕方に見た水戸上市(うわいち)の夕方風景です。年末というと、多少見える感じも変わってくるようです。

 

筑波山夕焼け(水戸市民会館から 泉町1-7-1)
 水戸市民会館4Fから見えた筑波山の夕焼けです。今ごろはこのあたりに日が沈むようです。 

 

市民会館(水戸市民会館 泉町1-7-1)
 「ライフ イズ ソングス-清く正しく美しく-」が開催されたようで、水戸市民会館へ入ると、たくさんの人がいました。まちなかの人出との違いが印象的でした。

 

イチョウ(銀杏坂 三の丸1)
 少し遅く黄葉する銀杏坂にあるイチョウの葉はほぼ散りつくしているようでした。むかし、このイチョウの根元には狐がすんでいたということです。

 

東照宮(宮町2-5-13)
 茅の輪もあって、正月の準備はほぼできているようでした。明利酒類㈱が奉納した「TAKAZO」というウイスキーの樽(写真矢印)が積まれていました。

 

デュオヒルズ水戸三の丸タワー(三の丸1-1-12)
 地元資本らしい、水戸駅北口の再開発ビル建設の進捗状況です。少しずつ形が見えてきているようです。

 

大工町(36°22'48.4"N 140°27'39.9"Eあたりから)
 飲食街に誰もいませんでした。今日は日曜日なので店のほとんどが休みだそうです。もったいないなと思いつつ見てきました。

水戸の正月を前にした年末(2)

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水戸の和菓子店

2024-12-28 21:38:25 | 水戸


 水戸にある和菓子店のいくつかです。

 

五條製菓(姫子1-807-1)
 伝統的な練り切りなどの和菓子のほかに、クリスマス用など現代的スタイルの和菓子もつくっているようです。今日は椿や水仙の練り切りなどが並んでいました。

 

木村屋本店(南町1-2-21)
 令和5年の和菓子・甘味処EAST百名店に選ばれたそうです。水戸を代表する和菓子の老舗なのでしょう。巳年の文字の入った薯蕷(じょよ)饅頭や、松の練り切りなどがありました。

 

にいつま(堀町2160-5)
 平成25年に、シューあら大福が全国菓子大博覧会で受賞したそうです。蛇や鶴の練り切りなどもありました。すぐ近くに、菓匠にいつま hanareという、食べられるスペースもあるようです。

 

ひろせ(曙町10-8)
 大正5年創業の菓子店だそうです。かわいい動物饅頭や、さつまいも饅頭などがありました。

 

亀印本店(見川町2139-5)
 水戸の菓子店で一番古い、江戸時代創業の店のようです。水戸の梅、吉原殿中のほかにも数多くの菓子を作っているようです。

 

木村屋本舗(南町1-2-21)
 最近は西洋菓子にも力を入れているようですが、和菓子も並んでいます。古代米を餡に練り込んだ皇帝大福は、TVで紹介されたそうです。

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徳川光圀の話あれこれ(19)

2024-12-27 21:43:12 | 水戸

 

 大日本史編纂のために徳川光圀によって集められた学者は30人余もいて、議論百出で仕事が進まなかったそうです。光圀は総裁を置くことにして、入札(いれふだ)という投票による選出をおこなったそうです。光圀も投票し、人見又左衛門(懋斎(ぼうさい))が全票で選ばれて、初代彰考館総裁になったそうです。入札はこれ1回だけだったそうですが、学者同士の選挙はたいへん珍しいことだったようです。ただし、当時の常識からして、人見が自身に票を入れたのかという、逸話に対する疑問はあるようです。

 

 光圀は快風丸という蝦夷探検の大船を送り出したそうです。その航海の3回目に、蝦夷の松前藩へ、松や梅などを贈ったそうですが、その返礼に松前藩からは黒百合や島梟(しまふくろう)の他に、丹頂鶴2羽があったそうです。その丹頂鶴を光圀は西山荘で放したそうですが、鶴は光圀になついたそうです。この鶴を農民が殺してしまったそうですが、その農民を手討ちしなかったという逸話もあるそうです。盆栽で松前藩に贈った松は、その1本が地植えされて、大正12年まで長らえたそうです。写真は水戸市立博物館で見た、復元された快風丸の模型です。

 

 光圀の父・頼房の2代前の水戸藩主は、甲斐武田氏の跡を継いだ家康5男の武田信吉(のぶよし 家康側室である母が、武田氏家臣の娘)だったそうですが、病弱で21歳で死去したそうです。信吉の母(於都摩 妙真院)の墓が分からなくなっていたので、光圀は調べて、現・松戸市の本土寺にあることをみつけ、貞享1年(1684)に碑を建てて祭祀をおこなったそうです。

 

 元禄3年(1690)に隠居して12月14日に水戸に戻った光圀は、正月を現・日立市大和田町にあった鄕士・大内勘衛門の宅に行って正月を過ごし、1月中旬まで滞在したそうです。そしてその後に、隠居場である西山荘に移ったそうです。政治の世界と決別したということの意思表示だったのだろうといわれるようです。

 

 現・茨城町の小幡にあった千貫桜を見ようと、雨の中、かごも使わずに笠をかぶってむかい、その木の下で宴を張り、歌や詩をつくって日を過ごしたそうです。その時のうたは、「春風も 心してふけ ち(散)るはう(憂)し さ(咲)かぬはつらし 花の木の本」だそうです。西山荘から小幡までは38kmあるそうです。

徳川光圀の話あれこれ(18)

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水戸の提灯(12)

2024-12-26 21:33:48 | 水戸

 

オブジェ(水戸市民会館 泉町1-7-1)
 提灯が花のオブジェになっていました。水戸市民会館で行われた「観光と物産フェア」で飾られていた、青野商店(新荘1-5-50)作らしいたくさんの提灯の中にありました。これはもっと上の方に飾ればいいのになと思いました。(撮影R5/10/7)

 

芸名(みと黄門まつり 泉町)
 今年おこなわれた、みと黄門まつりの提灯行列で、芸妓のおねえさんたちが持っていた提灯には、自身の芸名が書かれていました。だれでも持っていれば、何かで使えそうな気がします。(撮影8/3)

 

コラボ(文化デザイナー学院 泉町1-3-22)
 和風ユニット・華風月(はなふうげつ)とのコラボでつくられたらしい、扇形の提灯が、すずも提灯展に展示されていました。すずも(鈴茂)は、鈴木茂兵衛商店の略称のようです。(撮影8/3)

 

ミックイタヤデザイン(文化デザイナー学院 泉町1-3-22)
 同じすずも提灯展に、ミックイタヤデザインの鳥形提灯などもありました。伝統工芸品も、デザインによってまるでイメージが変わるといういい例なのでしょう。(撮影8/3)

 

お盆(満福寺跡 大塚町495-2)
 水戸ではお盆のとき、お墓に提灯をともす習慣があるようです。あちこちのお墓でさげられた提灯をみかけました。(撮影8/15)

水戸の提灯(11)

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